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フラット 第1話 感情が傾く

 月明かりが差し込む暗い夜に、鉄道を走る列車の音だけが、周囲に響く。

 列車と言っても、そんなに騒がしい音を鳴らしてはいない。
 従来のように動力である石炭で動いているわけではないこの列車は、地面から供給される電力で動いている。
 音として存在するのは、モーターの駆動音である高周波成分と、列車の車輪を回す機械的なリンク機構が回す摺動音だ。

 車内は、乗客が眠りにつきやすいように、明るい照明ではなく、暖色の温かみのあるLED照明と、木目調の内装が落ち着きをもたらしていた。

 環境問題の観点から、プラスチック樹脂部品を無くした列車は、従来のように石油由来の製品ではなくなり、純粋な木造になっており、人間にとっては、無機質ではない温もりが感じられた。

 植えれば、元通りか。

 僕は、そんな大言で語られたスローガンを口にして、手触りの良さを確認する。

 もっとも、樹脂部品が木造に置き換わったのは、環境問題の他に、重大な心に及ぼす問題が大きく、取り上げられていたのだが、そんなことまで、言うのは野暮なので考えるのをやめる。

 車窓の外に目を向けると、砂漠地帯に点々と太陽光パネルが設置されているのが確認できる。
 点々としている太陽光パネルの間には、太陽光パネルが取り除かれた痕跡がある。

 エネルギー分散システム

 廉価版太陽光パネルを用いた世界で普及させた取り組みは、道半ばで挫折をした。

 シリコン系太陽光電池の発電効率は29%
 増えてくる人口比に対して、147,244,000km²の地球の大陸面積を使えば、賄えることを予定していたが、そう甘くはなかった。
 陸地の中でも、設置に向いている場所、不向きの場所があった。山間部が多く、インフラが整っていないアフリカ大陸では、普及が進まず、南米大陸でもアマゾンに代表される森林が多いため、普及が進まなかった。

 先進国に名を連ねる諸国はどうかというと、比較的、気象条件も良く、農地にも向いている土地を手放したくなかったのか、自国民だけではなく、全地球市民の為の太陽光パネルの設置には、積極的ではなかった。

 食料が食べられなくては、エネルギーがあっても、元も子もない。
 そんなことを言う、ポピュリストに国際機関は負け、計画を諦めた。

 水素発電はというと、昨年起きた、事故を契機に落ち目が見え始めている。

 天然ガスはというと、エネルギー価格の上昇により、今やリッチな国だけが使う資源になってしまった。


 途上国の解決手段はというと、
 そこらじゅうに立っているアンテナで宇宙から伝送されるマイクロ波で充電を行う方式になった。

 直接、太陽光を受ける衛星を用いて、マイクロ波を地球に向けて伝送し、地球に設置された基地局で充電を行う方式だ。
 この方式のおかげで途上国は、エネルギー問題に終止符を打つことができた。
 と同時に、衛星が放つ赤い光が夜空を埋め尽くしたことを忘れてはいけない。

 車窓の外は、久しぶりに明るい星が見える景色が広がっていた。

 地球の神秘は偉大だと、僕はしみじみ感じる。


 ルネサンス期の自然科学の万能的な先覚者であるレオナルド・ダ・ヴィンチがもし、この光景を目にしたら、きっと、こういうのではないだろうか。

「人間は、絶妙なバランス感覚の上に文明を築いていた」

 途上国の上にとどまり続ける静止衛星は、やがて、その直下にいる国民たちに、ある災害をもたらした。

 最初は、だれも気づかなかった。
 しかし、夜になると増え続けるその事件の推移に自然と、世界が注目しだした。

 こうして、いつも気づいた頃には手遅れになるのだ。

 僕の国でも、発症する人は次第に増え続け、認知されていった。

 それは、感染症といった類ではなく、極度の精神疾患。

 まさに、絶妙なバランス感覚の上に人間の感情が保たれていることを証明していた。

 誰もが、その因子は持ち合わせていた、殺人因子αアルファ
 人々はその因子によって、唐突に殺人衝動に駆られることが分かっている。

 人間という生物は、難しい生き物である。
 2020年代に世間が自覚したように、人間は孤独になると鬱病を発症し、集団になると、人間関係に悩み始める。

 リラックスをしに、田舎に帰ったかと思えば、忙しくないと、人は何もしていないと思い、不安感に駆られる。

人々は、感情が傾くことを恐れている。

この列車に登場するために訪れた街でも、自然な線引きが行われていた。

「いらっしゃいませ」
と笑顔で、応対してくれるウェイトレスも、必要な部分以外は笑顔を消していた。
もちろん、食事を提供してくれる時、目が合うタイミングは顔は笑っていたが、食事の場を去るタイミングで、すぐに表情をフラットに戻していた。

「どうぞ」
と、店のビラを配るビラ配りもそうだ。
笑顔で語りかけるのは一瞬、相手の手元にビラが渡った瞬間、この人も表情をフラットに戻す。

「めんどくせえ」
道路工事の作業員も、そうつぶやきながら、手持ちの道路を舗装する工具タンピングランマーを、ガツガツと鳴らし始める。
その工具音に身を任せたときの表情はまさにフラット。無表情で、道路舗装を続ける。

最近では、醜い自分を見て、感情が落ちないように、ひたすら健康器具を握っている人たちもいる。

こんな無宗教化した時代にも、再び盛り返したのが、懺悔を規則とする宗教だ。

今の時代は、心のモヤモヤが人生の浮き沈みも決める。

人々は無宗教と語りつつ、懺悔という行為も、科学的信条の上に論理的帰結の上に行う行為になっている。

ほんとに、変わってしまったな。
そうつぶやいたとき、前方の方の席で、滅多に聞かない叫び声が聞こえた。

狂想曲のような、自由なコード進行と、ループする転調。聞きなれない不協和音が耳を不快に刺激をする。

「誰が曲を流しているの??誰か止めて。今すぐにぃいいいい!」
車内に婦人の発狂した声が響き渡る。

周囲を見渡すと、立ち上がるものは一人もいない。
乗客の殆どが、自分の好みのヘッドホンを装着し、自分の世界に没頭している。
ドタドタと、騒音が鳴って、気づいたフリをした頃には、もう一度、目を背けていることが分かった。

僕は、この状況を止めるために、立ち上がり、声が聞こえる車両に移動した。


婦人は、狂想曲に耳を傾けるのを嫌がり、両手で耳をふさいで、車両の奥で縮こまっていた。

その怯えた表情を確認したあと、僕は、発生源を止めに、座席の上で爆音でなっているスピーカーを探した。

「大丈夫ですか?」
僕が向かう方向とは逆方向に走り、婦人の体調を確認する女性の姿と目が合い、お互いの役割を確認すると、僕はすぐさま、列車の窓を開けて、その爆音が流れるスピーカーを外に投げ捨てた。

「ありがとうございます」
その時、婦人の面倒を見ていた女性は、僕にお礼を言うと、婦人の精神安定状態を目につけているコンタクトレンズ型の感情測定器で確認し、無事を確かめているようだった。

僕も一応、身につけている同様の感情測定器で、婦人がレッドゾーンに落ちていないことを確認し、自分の座席に戻った。

しばらく、座席でゆっくりくつろぎ直した頃に、列車が停車し、僕のもとに黒い制服を着た車掌さんが聞き取りに来た。

「ご対応ありがとうございます。先程、ご婦人の悲鳴が聞こえたのですが、運転中で対応できず、代わりにご対応いただきありがとうございました。」
そう言い、車掌さんは深々と礼をした。

「言い訳と言っては、大変申し訳無いのですが、この列車は、北部の街に向かうための従業員にとっては、大変不人気の寝台列車になりますので、サポート体制に限界があります。また、このような事態が起きても、対応することが難しいと思いますので、その点はご了承ください。」
車掌さんは申し訳無さそうに、帽子を外して、謝意を表明する。

僕は、毎回おなじように、乗客に説明をしているのだろうと、薄々感づきながらも、軽く会釈をした。

「しばらく、停車し、リラックスタイムを設けますので、少し夜は寒いですが、きれいな星々を見て、心を休めてください。では」
車掌はそう言うと、自分の持ち場へ戻っていった。

車内放送では、先程話した内容が、同じように流れ、人々の動きに気がついた人々は、流されるように、車両の外に出ていった。

僕も、久しぶりの騒動を目にして、疲れたのか、車両の外に出たくなり、厚めのコートを羽織ると、意気揚々と星々を見るために、外の世界へ踏み出した。


地元でも見ることのない環境破壊で荒廃した砂漠地帯は、普段は褐色を帯びたサラサラな土になっているはずが、月明かりに反射して、青白い地平を築いていた。

神秘的だな。
ぼくは、ボソっとつぶやく。

しかし、北部へと赴くためのこの列車は、どんどん寒い地域に向かっているせいか、やはり、気温はとても低く感じた。

自分の吐息が温かい。
吐息がもくもくと逃げないように、両手で口元を抑える。

僕は、しばらく深呼吸をしていると、パチパチと音をたてたのが分かった。

少し、車両から離れたところに、車掌さんが、ドラム缶に木材を投げ入れ、焚き火を始めていた。

車掌さんは言う
「今は、焚き火も本来は厳禁なのですが、精神状態を緩和するための焚き火は認められています。みなさんいつもは、音源でしか聞いたことはないと思いますが、この寒い環境での火の温もりと、火の弾ける音は落ち着きますので、ぜひ、近くによってリラックスしてください。」

車掌さんは、静かな空間の中で、そう、外に出た乗客に語りかけると、あちこちドラム缶を設置して回った。

僕も、ぜひ体験してみようと、設置したドラム缶の近くに行くことにした。


生で見る炎の揺らぎは、なんとも感慨深いものであった。
揺らぎとともに自分の心を落ち着かせてくれることが、直感として理解できる。
太陽が生命の源として、燃え続けているように、僕らのそばで燃え続けている炎は、落ち着きとともに、活力を与えてくれるようだった。
「温かいですね」

横から、女性の声がする。
暖かそうな帽子をかぶった彼女は、そっと呟く。

僕が気づいて、そちらに目を向けると、炎のオレンジ色に照らされた彼女の表情が確認できた。
そこで、僕はふと、先程の光景を思い浮かべる。

婦人が奇声を上げたときに、音源を特定する僕の代わりに婦人の面倒を見てくれた女性だった。

「あ、さっきの」
僕が、そう声をかけると、彼女は嬉しそうにニコっと笑った。

「となり良いですか?」
彼女の問いかけに、僕が返事をすると、彼女は、僕が座っている丸太の上に腰を掛けた。

「さっきは、ありがとうございました」
僕は、先手を打つように彼女にお礼を言う。

「あ、いえいえ、困っている方がいたらお互い様なので。そんなお礼なんて」
彼女は、そう言い、軽い会釈をする。

しばしば沈黙が流れ、彼女は夜空を見上げる。
「綺麗ですね」

「ええ、都会では見なくなりましたもんね」
僕は、応対する。
「自由で、神秘的で静かな夜。なんだかロマンチックですね」
彼女は、ふふっと笑う。

僕は、その表情に気を食らいそうになったが、思い留める。

感情の動きが、健康に害を為すと、言われて数年。
人類は皆、感情を動かさないように努めてきた。

そして、彼女の胸元に目をやると、僕はなるほどと納得した。

彼女は協会の証であるペンダントを前にぶら下げていた。

「どうして、この列車に?」
彼女は、僕に質問をする。

「紛争地帯の医療従事に行く予定なんです」
僕がそう答えると、彼女はハッとしたように、ペンダントを握り反応した。
「無事を祈っています」

平和を愛する者と、紛争を支援しに行く者、この相反する立場のモノ同士が、理解し合った瞬間だった。

人類は今世紀で戦争行為を撲滅することに成功し、残すは最後の紛争だけとなった。
僕がその最後の紛争に向かっているのだと、直接的な言葉を話さずに彼女は理解した。

「あなたは、どんな用事でこの列車に?」
僕は、聞かれたついでに彼女に同じ質問を投げかける。

「途中駅に、私の家族がいるので会いに行く予定なんです。年齢が近い、弟がいて、その。すこし体調が悪いと聞いて、様子を見に伺う予定です。」

「そうなんですね」
僕は、応対しつつ、最近流行りの病に思考を広げた。

紛争地帯周辺で流行っている病。
まだ、原因が不明だと聞く。

できるだけ情報を集めてから、紛争地帯に向かおうと思っていたので、続けて、病症を彼女から聞こうとしたが、言葉を遮られた。

「あの、お名前は?」
え、突然の質問に僕は戸惑う。

「マサトです」
僕は彼女の質問に答え、同じように聞き返す。

「ミサです。よろしくお願いします」
彼女はそう言うと、改めて会釈する。

「マサトさん。そういえば、昼間の狂想曲。原因は何だったんですか?」

「スピーカーから、流れていました。止め方もわからなかったので、外に捨てましたが。誰が仕掛けたのかは分かりません。」

「外ですか。大胆ですね」
ミサはふふっと笑い、口元を抑える。

「気持ちもわかります。私の住んでいた街でも、ときどき、衝動的になる人がいるんです。私は、もし、気持ちが揺らいだら、懺悔でとどめていますが、でも抑圧的な雰囲気はときに、人をオカシクします。この列車も1日1駅間隔で7日間、走り続ける列車ですし、うまく気分転換が必要な気がします。」

「たしかにそうですね」
僕は、素直に同意する。

車窓の外は、大きく変化をせず、何もない景色が続く。
ヘッドホンからは、同じ音楽が次第にループする。
座席の席順は変化は起きず、変化のない日々が続く。

変わるのは、一日一回の下車駅の町並みの風景。
そこで、停車中にリラックスタイムを送り、買い物を楽しみ、乗車中に買ったものを楽しむことになる。

それは、退屈になると思い、返事をする。
「大丈夫ですよ。これから、旅も長いのですし、なにかあればいつでも、頼ってください。」
僕は、そうミサさんに言うと、ミサさんは嬉しそうに反応した。

「旅は道連れ世は情けと言いますもんね」

「ええ、せめて、せめて、紛争地帯につくまでは何もハプニングがないままでいたいです」
僕は、自虐を交えてそう答えると、ミサさんはくすっと笑い、そうですねと言った。

車掌さんの移動を再開する合図が聞こえる。

僕も彼女もそれを理解し、お互い「じゃあ。また」と別れを告げて、それぞれの席へと向かった。


僕は、席に座り、先程のことを思い返して目を瞑る。
周囲は、すでに消灯していて、窓に備え付けてあるカーテンも引かれ、睡眠モードだった。
長い旅路になるが、憂鬱な旅路が少し、楽しくなりそうだ。

無線のイヤホンを耳につけ、適切な環境音で自分を睡眠へと誘導する。


しかし、僕の抱いた密かに抱いた期待は安々と裏切られ、翌朝、アラームと共に目が冷めた。

その聞き慣れない耳から流れるアラーム音と、目を開いたときの拡張現実のアラートが、その様相を物語っていた。
コンタクトレンズは瞳の涙から糖分を抽出し、駆動源とするので、朝も問題なく駆動する。
少し、目がゴロゴロする感覚に感情が揺さぶられながらも、起きている自体を目に映る拡張現実の感情センサー周辺測定結果で理解する。
額からは、冷や汗が流れ、思わず、測定結果を無意識に発した。


”感情”が傾いた。

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