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オール讀物新人賞落選作品: 荼毘の山

 伝染病がはびこり、生き死にに関係なく荼毘に附された山の中。

 それはまさに焼き討ちであった。村人たちは逃げ惑い、わずかしか生き残らなかった。

 ごうごうと燃える火の後で、一件の小屋だけがきれいに焼け残った。

 燃え残った小屋の中には、木綿の布団の中に死人の白装束があった。人影はなかった。

 

 そこで幽霊がふわりと起き上がった。

 死んだはずの私は、その装束を着たまま、庵の薄布団の中で目を醒ました。

 家ではない場所だ。天井の吹き抜けから風が吹いてくる。鋤と一輪車が置いてある。そうか、ここは弥七の家だ。どうしてこんな所にいるのだろう。見回したがよくわからない。そして焦げ付くにおいがした。

 私は跳び上がり、家の戸を開けた。

 周りは焼け野原。まだしゅうしゅうと煙が上がっている。

 白髪頭についた三角の頭巾が邪魔で、私はそれを振り払うようにほどいた。前合わせが逆の白装束のまま、焼けた村を徘徊した。

 十吾の家、太八の家、庄屋であったはずの我が家。どこも炭の山だった。

 おしち、おしち。私は愛しい若女房の名を呟いた。哀しいことに返答はなかった。

 私の家の傍らで、うつ伏せて死んでいる炭の塊があった。近くには赤子らしき黒い塊。

 これがおしちだと信じたくなくて、私は目を逸らした。

 林はまだ燃えていたが、村の奥の離れた祠だけは残っていた。私はかしわ手を打ち祈った。どうかこの仕打ちが夢であらんことを。

 

 私が死んだのは、少し前だった。まだ意識の留まった死体から、周りを観察してはいたが、みなまだ元気だったはずだ。

 効かない鼻からにおいがしたことを思い出す。腐ったような異臭をはなつ男が来てから、村が俄にざわめいた。

 男は庄屋に滞在したかと思ったら、すぐに発病して死んだ。その時だろう、私がこの家に移されたのは。

 男の病気の詳細は分からなかったが、すぐにうちの赤子に伝染したのだと、誰かが言っていた記憶がぼやりとある。

 

 私は焼けた我が家を虚しく漁り、為す方もなく弥七の家に戻った。水瓶から柄杓で水を掬い、口に含むと、漠然としていたこの大火の現実感が増した。

 もうこの村には誰もいない。私はこの火事と、私が起き上がったことの原因を何度も思い返そうとした。しかし縋る標すらない。人のいない茅葺き家で、昼夜をすごした。なすすべもなく、私は弥七の衣を借りて、朝方に家を出た。

 祈っても無駄だったようで、弥七のこの家以外は焼け落ち、無惨な焼け痕が転がったままだった。

 里山まで黒く焦がしたあとの煙は、もうほとんど立っていなかった。

 

 どうしよう、どうしよう。

 女房の死が受け入れられず、なにも入らぬ土盛りの墓を建て、廃材の墓標を立てた。

 そこで祈った。死者の魂の健やかに還らんことを。

 手は土でくすんだ。心は深く黒ずんだようだった。まだ信じられないという思いを抱えながら、おしち、おしちと名を口に出し、溢れる涙も拭かずに山を下りた。

 

 山は半分ほど焼け焦げていた。

 裾野から村まで延焼がひどかった。

 鼠一匹いない焼け跡を歩いて、私は麓の村まで降りた。弥七の衣は少し丈が短かった。

 

 麓の村は人が行き交っていた。

 私の住んでいた山中の地名が人々の口から上り、山中では焼き討ちが、侍が焼いたのだ、あれで生き延びた者は殺さねばならぬらしいという噂が私の耳にまで届いた。

 私はその山中出身者であることを隠しながら生きねばならぬようだ。この村では生きられぬと覚悟し、地元を出る決心をした。

 焼けた家からかき集めた銭があったので、それを使ってそば団子を食って、そこから東に下ろうと歩き出した。

 

 東に下るには、京を通るのが最適だと思い、京へ上ったが、そこもひどい有様だった。

 死人は道ばたに野ざらしになり、烏がつついていた。

 私はそこで初めて飢饉があったのだと知った。銭があっても、食うに困った。

 私の住んでいた村は比較的寒冷な山辺だったから、大した影響はなかったが、都は熱風が吹いていた。

 

 干からびるような熱気に、竹筒を潤すために何度も河原へ下りた。その河原でさえ、死人の身体が浸かっているような状態だった。目も当てられなかった。

 自然と念仏を唱えながら歩くようになった。南無妙、南無妙法蓮華経と。生き変わって極楽浄土に行けるのなら、この者たちにとっても、随分楽なことだろう。

 歩き続けて、わらじがすり切れて、ついに買うに至った。銭はこぼれるように減っていった。

 

 やがて大津についた。

 大津は京に比べるとやや寒冷であったが、やはり道ばたには今にも果てんとする人間がくずおれていた。白骨死体もあった。

 私は今、世の中でなにが起きているのか聞く必要があると感じ、この辺りの寺に寄ることを決めた。土地勘がないから、たまたま路傍で耳にした、石山寺という寺へと向かうことにした。痩せた老人に問うと、行き方を分かりやすく教えてくれた。

 長く道を行くには、老脚は堪えた。足に血豆がにじみ、膝は曲がりにくかったが、体力の方は一向に問題がなかった。驚くほどに続く足取りを、京で知らぬ亡骸からもらい受けた杖が支えた。

 喉は潤うが、空腹がひどかった。目の前で行商の馬が糞をした。草ひとつさえ生えない道路で、それは神饌のごとく見えた。私は膝をつき、指ですくって食べた。ひどく胃に堪えた。

 石山寺まで来ると、もう日はとっぷり暮れてしまっていた。

 京から大津へ来る時も、夜だけは避けた。この不作の中で、山賊や飢えた獣のことを思い測れば身の毛もよだった。

 石山寺の山門は、長い参道の手前にがっしりとそびえていた。門は閉まってなかった。

 境内に入るときには、挨拶をする気力もなしに、私は門をくぐり参道を行った。

 

「この方、御免ください」

 伽藍の前で、かすれた声で言った。

 聞こえていないかもしれない。

 さすがにくたびれて、杖に縋るようにして座り込み、そのまま眠ってしまった。

 

「もし、もし」

 肩をはたかれて目を覚ました。朝になっていた。私を叩いたのは、長い法衣の坊様だった。

 ああ、はやはや。私は気の抜けた声を出した。坊様はくくくと笑ってため息をついた。

「良かった。またここで死んでしまう人がいたらどうしようかと」

 石山寺の参道はきれいだったが、もしかしたら、これは路上で死んだ者たちをしっかり弔った結果かもしれない。私は手を組んで祈った。

「坊様、坊様、今この世ではなにが起こっているのですか。私の村は焼け落ち、京には死体が溢れ、とてもこの世のこととは思えない光景が」言いながら私はぽろぽろと涙をこぼした。

 坊様はまた一つため息を殺し、腹が減っているだろうと厨に呼んでくれて、炊いた菜っ葉を皿に半分分けてくれた。

 昨今、噂では。坊様が話し出す。

「飢饉と流行病が蔓延しておる。その上に戦だ。比叡山の延暦寺は武士に立ち向かおうと準備を始めている。お前さんの村を焼き討ちにしたのはきっと僧兵か侍だ。流行病を根絶しようと、どちらも村々を焼いておると聞いたよ」

 菜っ葉にがっつく私の前で、坊様は落ち着いて茶をすすりながら話してくれた。

 山の麓で聞いた話は本当だったらしい。

 急に腹が鳴り、私は気持ち悪くなった。坊様、便所はどこですか、と聞いて飛び込んだ室で、死ぬ思いで腹を抱えてひり出した。やはり馬糞なんて食べてはいけなかった。さっき食べた食糧も、吐き出してしまった。

 外から心配した坊様の声がした。

 平気だとはとても言えない中、私はあまりの腹痛に意識を落とし、その場でくずおれた。

 

 起き出したのは夜だった。

 私は夜空が見える位置で薄布団に包まっていた。

 便所の側の縁側だった。近くでは火が焚かれている。

 ああ、私は。起き上がって我が手を見つめた。坊様が助けてくださったのだ。

 身を起こすと、今朝のとは別の坊様が、ああ、太吾郎どのが起きなさったよ、と、朝に世話になった坊様を呼んできてくれた。

 あの坊様は御名を葉明様とおっしゃった。

 なにか悪い物を食べたかと聞かれたので、素直に大津で口にした馬糞の話をした。それは・・・・・・と葉明様は口を噤んだ。

 水を勧められて飲み、ともかく、生きていて良かったという葉明様の言葉に安堵した。

 そのまま一晩を縁側で過ごした。私のような者が生命を救われて、京で野晒しになった者やおしちは死んだ。宿命について考えた。

 生き、流れゆくのに必死で、考えてはいなかったが、私は一度心の臓が止まり死んだはずだ。

 私が起き出したあの家が残ったのも不思議だった。

 きっと死体を置くのに、流行病の穢れの観点から庄屋である我が家ではなく弥七の家に私の死体を置いたのだろう。しかし、なぜ私はまた生きねばならぬのか。死にきれず痩せ細った腕を星明かりの下で見て、手を額に置き、涙をこぼしてそのまま寝入った。

 

 

 翌朝、泣いて眠ったせいで腫れぼったい瞼を開くと、屋根に痩せた子雀が停まっていた。こんな小さな雀まで飢えているのは、世の縮図だと思った。

 一つくしゃみをして、ぎゅっと掛け布団を抱き、そうだここは石山寺であった、と起き上がった。

 せっかく来たのだから、恩返しがしたい。

 葉明様を探していると、朝から勤行に行く坊様たちと行き合った。

 おはようございます、この方、なにか恩返しがしたく、よろしくお願いします、と言うと、寺の中にできた畑へと案内された。曰く、この畑に水を撒いてほしいと。

 痩せてカラカラの土に、申し訳程度に野菜が生えているこの土地を、私は小さく生唾を飲んで見つめた。山中はもっと食糧が青々と茂っていたが、この付近でここまで潤沢な畑はないだろう。謹んで、雑草を食べ、井戸と畑を往復して水を撒いた。

 それが終わる頃にはすっかり境内も賑わっていたから、坊様たちに続いて雑巾がけをし、明るい日差しの下、縁側で座って梅茶をいただいた。

 私のような訪ね人が他にも来ていたが、寺は随分と平和で、民間から隔絶された浄土のように感じた。

 本当はここにずっと居たいけれど、食客が増えては寺が保つまいと、私は次なる新天地を探そうと思った。

 朝餉は、少ない粥を下男下女とともに食べた。

 

「葉明様」

 自分の持ち物を携え、出発の準備を万端にした姿で、私は葉明様の元を訪れた。

 葉明様は独りでお経を上げておられたが、私の訪問に、わざわざこちらに向き直って座り直された。

「そろそろお暇申し上げます。大変お世話になりました」

「太吾郎どの、短くはありましたが、お元気で生きられませ」

「はい」

 私は懐から銭袋を取り出して、少ないながら五文の金を置いた。

「少なくはありますが」

「いけません。ご自身が生きられるのに使われませ」

「お世話になりましたから・・・・・・」

 幾分押し問答が続いたが、結局葉明様は受け取ってはくれず、私は銭を引っ込めた。出しなにこっそり二文を浄財箱に入れた。

 

 意気揚々と歩き始めたは良いが、目的地がなかった。私の腹の底では、どす黒い怨念が渦巻いていた。私の故郷を焼き払ったのが僧兵か侍であるというのなら、延暦寺を目指して、せめてもの敵討ちをするのが妻子に報いる手立てではないかと考えた。

 一路、京の比叡山延暦寺を目指した。杖は先が傷み出していた。着物も擦り切れ始めた。なにか買おうにも、職は戦の下使いしか転がっていなかった。街道から山科に入り、どうしようかと思案しているところに、武蔵坊弁慶のような僧兵が現れた。

 僧兵は人員を募っていた。買いたたかれていく職のない人々。私は群がる野次の連中の後ろで、首を伸ばして様子を見つめた。皆、三文で買いたたかれ、その場で髪を剃られていた。

 私は顔を合わせるのが怖くなり、目を伏せて通り過ぎた。

 僧兵たちの宗教戒律を思うに、侍に対し反撃はすれど、民を無作為に殺すようには思えなかった。だからこそ、私は私たちの村を焼き討ったのは侍だと断定し、密かに復讐の火種を胸の内に肥やしていった。

 おそらくこの僧兵たちは、侍の軍団と衝突するのだろう。私は募集にかかろうとせず、密かにその動向を知ろうとした。それで、比叡山の大津側の麓に定住することを決めた。

 

 

 幾分日が経ち、稲わらが収穫を迎えるころ。私は居候の太吾郎どのと呼ばれてすっかり村に馴染んでいた。

 田畑には雀が群れて、そろそろ収穫しなくては、と村の皆が口々に囁いているところだった。馬に乗った侍と足軽がこの村に現れた。

 私は呆然とした。昼間なのに二本の松明を持った侍たちは、我らが田を焼こうとした。松明が放り投げられると、ボッと勢いよく火の手が上がった。村人たちは大慌てで火の手を止めようと水くみを始めた。私もそれに加わったが、どうしようもない憤りから、侍たちを追いかけ走り出した。

 侍は比叡山を一気に駆け上がり、山の中で僧兵と合戦を始めた。私はハラハラしながら、茂みの中でその行く末を見送った。

 僧兵は薙刀で侍の刀を腕ごと払った。侍は侍で、僧兵の胸を一閃に貫いた。先日雇われたのだろう延暦寺側の傭兵たちは、すぐに死ぬか逃げるかで散り散りになった。

 そのとき、背後から嘶きと蹄の音がした。私は身を震わせて茂みの中深くへ潜り込んだ。現れたのは羅紗を着た武将であった。

「退くな。行け! あの僧兵どもを焼き討ちにせよ。埋田と山中と同じように!」

 私はその声を聞いて顔を上げた。武将は髭を生やした厳つい男だった。山中と同じように、ということは、この侍たちが私の故郷を焼き払ったということになる。

 竹の葉の積もった傾斜の上から、矢が落ちてきた。僧兵も侍も関係なくそれが刺さる。鉄笠がある分、侍の方が有利なのかもしれない。その矢が、武将の馬の土手っ腹につんつんと突き刺さる。馬が暴れて武将が落ちた。そこに群がったのは、僧兵ではなく侍だった。

「死ね!」

 叫びながら侍は武将に剣を刺す。それを僧兵は首を振りながら見ているだけだ。

 この者たちは、きっと、無理矢理合戦に連れて来られたのだろう。私も固唾を呑んだ。

 武将は呆気なく死んだ。厳つい目を見開いて、大きく口を開けたまま。侍がその死体に唾を吐いた。

 僧兵はその様子を見届け、わざわざ背中を見せ、負傷した仲間を担いで延暦寺の方へ帰って行った。まるでことが終わったかのように。

 侍の一人が武将の腰と懐を探って、銭を引き出した。薄汚く笑うその背後で、別の侍が刀を構えた。刺した。銭を拾った者は末期の一声もなく倒れた。他の侍も銭を拾おうとする。

 私の口からため息が漏れた。この期に及んで潰し合うとは。侍たちは銭を奪い合い、最後の一人になるまで闘った。僧兵たちは姿を消していた。

 私は息を呑んだ。全ての侍が許せなかった。この者が山中を焼いたのかもしれない。そう思うと憎く、殺戮欲求が芽生えた。運良くこちらに最後の一人が歩いてきたので、私は飛びかかった。その瞬間、侍は刀を落とした。

 死ねと顔に表れるくらい強く首を握った。侍の両目はなにかを確かめるように私の両目を見つめていた。やがて泡を吹き、こてんと首から力を抜いた。それでも私は両手で首を掴み続けた。憎きおしちの仇を討った気がした。私の野望は一つ叶った。

 銭の袋は、盗る気はなかったが、私のものになった。

 

 生きている者のいなくなった合戦場で、私は使命を果たした達成感と、絞殺の感触の興奮から、息荒く大津の村に帰って行った。

 帰る道すがら、あの侍が私に絞め殺されたのは、運命的な出来事だったという考えに囚われた。あの山中の火災から生き残った私が、殺生に関わるのは、神がそうさせているように感じた。

 私は、あの侍を殺すために息を吹き返したのか。だったとしたら、あの合戦場で死んでいてもおかしくない。この場に、息をしながら村へ帰って行くのは、まだやり残した運命があるのだとしか思えなかった。しかし、神は私になにをお思いか。それを考えても答えは一向に返ってこなかった。おしちたちの仇を討った今、行く宛てもやることもないが、とりあえずもう少し生きてみようと思った。

 高揚感の中、生き残ったことを噛みしめて村へと走った。

 

 田んぼの消火は終わっていたが、四角い田の半面が二つ分焼けていた。

 男たちは私を見つけると、田吾郎どの、田吾郎どのと口々に言い近づいてきた。

「どうなったんだ、侍は」

「侍は延暦寺の僧兵と戦って、ほとんどが壊滅した。途中武将が現れたが、その者も仲間割れにて死んだ。侍は一人残らず死んだよ」

 その声に歓声が上がった。ざまあみろ、田んぼなんて焼くからだ、と口々に村人たちは言い合った。

 私の目的は果たされた。あとは、どう生きようか。もうこの村にいる意味もない。

「侍と僧兵の戦いも見届けられた。私は明日、この村を出るよ」

 そんな、ここにいてくれよ。と引き留める村人に首を振って、私は荷造りを始めた。

 夜にまで掛かりそうだったが、今日の事件を受けて、稲刈りが行われ、田んぼには干した稲わらが案山子のように立っていた。

 その夜は古米ではあるが握り飯がたんと炊かれ、皆微笑みながら口にした。私はこの地の最後の夜を宴を開いてもらったような気分で過ごした。

 

 翌朝、私は村を出た。宛てのない放浪の旅になる。侍を絞め殺した手の感触が抜けず、私はその感触と殺人の味に怯えながら、再び山中でのありし生活を思った。

 大津から山々を越えた辺りで、この旅を供養の懺悔旅にしようと思った。口から念仏をはき続け、目に入ったらば、動物の死体の前でも手を合わせた。

 大津の村人たちからは稗や雑穀をたんと用意してもらっていたので、ありがたく一日一飯頂戴した。首筋は骨張って痩せていたが、脚ばかりは強くなった。

 

 京北の辺りに降り立ったとき、以前京に来てからあまり惨状は変わっていなかった。人々は茣蓙に座り物を乞い、そのまま風化した死体がいくつもあった。

 私は念仏を唱えながら亡骸に手を合わせて歩いた。見ない振りをしたが、生ける者は、私に手を合わせていた。その後は京を南下し、一旦は羅生門を目指した。

 京の町には、生ける者より骸骨が多い気さえするほど悲惨な情景だった。犬が人の死体の手をもいでいた。私はいちいち屈んで念仏を唱えた。

 羅生門には生ける人が多く集っていた。皆目をぎらぎらさせ、追い剥ぎや食人を狙っていた。あまりにも恐ろしく、私は思わずそこから京を出ることをやめた。

 土の湿った雨降りの日、右京の方から都を出た。

 ポツポツと、大粒の雨が私の藁笠を打った。相変わらず、使われ衰えた杖をついて、私は村々を回ろうとした。京から稲荷、稲荷から宇治へと、長く脚を伸ばした。

 宇治では、京で見たような風化した亡骸はほとんど見なかった。代わりに、血痕を見ることが何度かあった。そして、その先の過ぎゆく景色に、鳥葬の野辺を見た。

 禿げた野辺には烏が集り、鷹やトンビが舞っていた。鳥葬の風景は地獄を思わせ、私は死体の合間を縫って念仏を唱え続けた。すると、ほかにも念仏を唱えていた者たちのうち、一人の老女が私に握り飯をくれた。笠を触って挨拶すると、私に向かって手を合わせてお辞儀をした。

 ここから私の人生は変わった。

 翌日も野辺を歩いた。遠巻きから念仏を唱える者は増え、私に向かって懇願するように合わせた手を振る者がいた。私はそのような存在ではないのに。雑念が湧いて首を振った。 南無妙、南無妙法蓮華経と唱え続け、朝が昼になり、太陽が落ちる手前まで歩き続けた。次第に人は私を「上人様」と呼ぶようになり、私は自分で「遍昭」と名乗ることを決めた。

 数日経って、この地の死にし御魂は浄化できたと感じたとき、私の元に集まった者たちは、私に頭を垂れ、握り飯と酒を与えてくれた。私は辞去せずそれを受け取った。

 それまでわからなかった、この世に再度生を受けた所以を、少し悟った気がした。

 そこから奈良街道を行った。念仏を唱えながら、飯を頂戴する、行脚の日々が続いた。

 山城から奈良までの道は、私のような存在にとって、とても生きやすい場所だった。

 山城の国と奈良の狭間で、大雨に遭った。

 増水した川は、家屋をも飲み込みそうだった。人々は土嚢を積もうと、増水した川に踏み込んでいた。

「やめなさい。あまりにも危ない」

 私の声も聞こえぬようで、私は思わず河川の中に踏み入った。

「やめよう。命の方が大事だ。逃げるのだ」

「坊様、しかし、ここは我々の国です」

「命があればまた再興もできよう」

 そう言って説得し、涙と雨が混じる村人たちを川から上げた。一人、流されてしまった。「急ぎ高台へ」

 そうやって、村人たちの案内に合わせて人々を避難させた。

 雨を含んだ川は龍の如く荒ぶり、村を飲み込んだ。助けられそうな村人は全員避難させられた。飲み込まれる村の様子を見て、皆は雨粒に紛れて大泣きしていた。

 雲が晴れるまで、丸二日かかった。その間、皆がびしょ濡れのままだった。

 天気が良くなると、急ぎ着物を乾かした。

 女も男も褌一丁になり、とにかくまた来るかもしれない雨を凌げるように、屋根を作った。

 屋根を作り、葉で作った敷物を敷くと、そこに病人が寝かされた。昨日までの雨ですっかり弱ってしまったようだった。

 このままでは伝染病が流行る。

 私は熱のある者たちの隔離を提案した。それはすんなり受け入れられて、まだ動ける者たちを、ほとんどは男たちだったが、別の場所へと移動させた。そして、私を含めたその男たちは、枯れ草の上で眠った。

 朝は早く起きて、先日できなかった土嚢積みを始めた。決壊しているところから塞いだが、なかなか水の流れは上手く止まらなかった。私は、まず水の流れを減少させようと、土嚢を斜めに積み、川を細くすることを提案した。最初は理解してくれなかった村人も、では指揮をとってくれと、私に指揮を任せることで、なんとか水流を操ることに成功した。 村の男たちの意気揚々とした声の中、乾いた着物を着た女が現れ、いくつかの訃報を告げた。それは男たちの妻や娘息子や父母で、あちこちから嘆き声が響いた。

 私は居たたまれなくなって、一旦指揮を止め、死者の元へ赴いた。

 南無明、南無明法蓮華経。なんとか水に浸からなかった家から線香を持ってきて、野花を掻き集めて葬儀を上げた。

 臥せった者の中で、まだ動ける者もあったが、あまり近づいてはならないと私が人を遠ざけた。皆一様に水を欲しがり、食べ物を欲さず、順に果てた。

 辛うじて生き延びた女たちは、完全な回復を待たずして煮炊きを始めた。

 土嚢積みは一日で終わり、次の日には家屋の修理に漕ぎ着けた。家々の倒壊した様が、私の故郷・山中を彷彿とさせ、他人事とは思えなかった。

 工事の日々の中でも、臥せる者は順々に出てきて、熱を訴えたり、身体の不具合を訴えた。その者たちを二手に分け、病が伝染しないように気をつけ、熱病で果てた者は早くに火葬してしまった。

 それに異を唱えた者が現れた。しかも、一人ではなかった。

「このクソ坊主のせいで嫁が死んだ」

 責任転嫁も良いところだが、私は鬱憤の標的になった。頬を殴られ、臑を蹴られたが、他の男衆が私を庇ってくれた。それでも、あまり長くここに居てはいけないと思い、村を離れ、奈良の大仏を詣る決心をした。

 出立の折り、深々と頭を下げると、村人たちも多くが頭を下げ、感謝の気持ちと共に一部の村人が食物を与えてくれた。

 奈良の東大寺を詣ると、折悪しく、私は熱に倒れてしまった。

 

 

 熱に浮かされて目を覚ますと、倒れた時と変わらぬ場所で寝転んでいた。大仏の社殿に続く廊下であった。私はまた倒れてしまったのかと、石山寺を思い出しながら身を起こした。

「生きてたんやな、あんた」

 東大寺の僧だろう人がそう言った。私は熱くなる額を頷けて肯定した。

 トントン、と紙の束を経台に打ち付けて僧がこちらを見る。

「大仏のお参りで死ぬのはお釈迦様に失礼ですよ」

 私は石山寺との違いに、深くため息を吐いた。結局大仏には詣らず、二月堂という場所に行こうとして、その途中の道で倒れた。

 

 鹿が往来を行き来している。旨そうだ。

 ぱっと目を覚ますと、そこは小さな民家だった。私に膝枕をして、額の汗を拭いてくれている女がいる。

「ああ、すみませぬ」

「かまやしません。生きたはって良かったわ」

 女はにこりと目を細めた。私は有り難い気持ちに心がじんとして、礼を言った。

「ありがとう」

「えらいお坊さんなんですか?」

「宗派には属してません。遍昭と申します」

 そうやって、私は二日をこの女の家で過ごした。名はお町というらしかった。彼女には旦那が居て、出稼ぎからそろそろ帰ってくるはずだと言っていたが、私がいる間は帰ってこなかった。

 私は何度も人に救われている。この経験を持ってして、一切衆生を愛そうと、また深く深く思うのであった。

 

 奈良での夜はたびたび魘された。

 おしちが夢に出てきた。お釈迦様の声で「汝、弔いを忘れたか。大きな存在になったつもりか。感謝が足りぬ。懺悔が足りぬ。延暦寺でのこと、努々忘れるな」と私に忠告するのだった。

 目が覚めて、ああ、私は上人と呼ばれて粋がっていただけなのだと再認識した。本当に、東大寺で倒れて死んでしまっていたら、お釈迦様に失礼だっただろう。御仏は、私になにをお求めなのだろう。一度は死んだはずの私を、再び起こして。

 それが、あの山城と奈良の国境での洪水の指揮のようなことに思われて仕方がなかった。私に役割があるとしたら、そうだ。だからこそ、御仏の意に倣って、治められるものは全て治めようと思った。

 

 熱が下がったら、深く深く女に礼を言って、もう一度大仏殿を目指した。

 大仏の慈しみ深い睨眼を見て、私はいたく感銘を受け、手を合わせて長らく経を吐き祈った。

 もうすぐ雪が降るだろう。故郷・山中は雪がよく積もったが、こっちの方はどうなのだろう。誰も冬支度らしい冬支度をしていなかった。奈良は、京に比べると暖かで豊かだった。

 そういえば、あの時住んだ大津の人々は、雪が降っても達者でいられるだろうか。幸い、私はずっと食わせてもらっている。まだ温めていた、彼の侍の銭を使い、食糧を持って、世話になった大津の地を目指した。

 奈良街道を京へ向けて行こうとしたが、草鞋に足がやられて鼻緒が切れ、新しいものを探している内に、京で雪が降った噂を聞いた。 しんしんと山城にまで雪が降る中で、笠を被った私は薄着だった。動いている間は寒くても平気だったが、宿場で人が混んで足を止めると、耐えきれないほど凍えた。それでも私は薄着のまま、大津を目指した。一俵の米俵を背負って。

 

 大津のあの村の人々は、私の帰省に多大に喜んでくれた。まだ米も雑穀もあったらしかったが、喜んで私を迎え入れ、炭を焚いて半纏を着せてくれた。私は、しばらくどこかへ行くのをやめ、この村に滞在することにした。 半纏と火鉢はすごく温かかった。誰かの女房が私の手のひらをさすって、温めてくれた。人の温もりに触れて、私は堪えきれなくなった。

「冷たいでしょう。すまないなぁ」

「いいんですよ。田吾郎さんがまた生きて帰ってきてくださって、良かった。道中のことなに一つ知りませんが、大変だったでしょう」

「私が、生きて、かぁ」

「そうですよ。ここはあなたの帰る場所ですから」

 こんなに優しくされたことはない。ぼろりぼろりと涙が頬を伝った。垂れた涙はすぐに冷たくなった。ここは私の第二の故郷だった。しんしんと積もる雪と、米を届けたい思いがなかったら、おそらく来なかったこの場に、そしてこの誰かの女房に、私はいたく感謝をした。もう上人などやめても良い。人と交わり暮らしたい。

 幸いだ、という思いがよぎって、私はそれを大事に受け止めた。

 雪が止んだら、山中へ帰ろう。そう思った。

 

 

 雪が溶け始めると、私はまた出立するのだと村人に言った。誰も止めなかった。田吾郎さん、お元気で。またいつでも来るといいよ、と優しい挨拶をくれた。

 大いに感謝して村を出て、峠越えを目指した。相変わらず寒かったが、女たちが綿の入った着物を着せてくれたから、寒いのは草鞋の足だけだった。

 

 まだ夕日が沈むのが早いから、小刻みに宿をとった。さすがに雪の積もる中の野宿は耐えがたかった。銭があって良かった。

 今も思い出す、侍の首を絞めた時の顔は、脳裏に焼き付いているが、手の感触はなくなった。もしかしたら、これは御仏にも許されないことなのかもしれないが、私は諦めがついていた。どうせ地獄に行ったって、畜生に生まれ変わったって、いいのだ。私は今世、私をやり遂げた。これはなんだか上人らしいな、と鼻を啜って一人笑った。

 

 山中の麓の町までは、遠くなかった。

 人々の口から山中の話は消え、雑多な通行人があっちへこっちへ行き来している。

「おい、爺さん。どこまで?」

 団子屋で不躾に聞かれた。

「ああ、山中まで」

 私はその地名を口にした。

「山中? あそこはもう、焼き討ちで滅んで何一つ残ってないぞ? 知らないのか。まあ、見てみろよ。ひどいありさまだから」

 そうか、と私は頷いて、茶を置き、甘味を半分残して、ごちそうさん、と団子屋を後にした。

 言われずとも知っておるのだ。言われずとも。

 寂しくなって私は歌い出した。

 

 山中へ続く道は、焼け野原が雪を被っていたのが、雪解けとともに顕わになり、まだ焼き討ちの名残から再生せぬ傷のようだった。その光景は私の心を深く痛ませた。弥七の家から飛び出してきたあの日から、山中は時が止まっているのだろうと思う。

 歩が進まなかった。それでも、時間が経てば着いてしまう。

 焼け跡に残った二本の木に、しめ縄が渡されていた。きっと、焼けた住人が祟らないように、誰かが祀ったのだろう。私はそこをくぐり、山中を目指した。

 ここを出てきたときと同じように、夢であってくれと望むのだった。

 ひゅう、と一陣の風が吹いた。雲がすっかり晴れ、快晴の青空が澄み渡った。

 からからと、風車の音がする。

 私は目を疑った。

 そこには、弥七の家どころか、私の家も、十吾の家も、みんなみんな、あるのだ。涙が溢れて視界が霞んだ。

 みんなみんな、あるではないか。みんなみんな・・・・・・。

 私は目を擦った。これはきっと現実じゃない。

 目を開けると、曇り空の下、弥七の家だけ建っている。あとは燃え残った残骸だ。私はため息をついた。弥七の家に入って、絶望を感じながら、上がり框に腰掛けた。弥七の家は、雪で歪んでいた。

 さっきのはなんだったのだ。私の望んだ憧憬が映し出されただけなのかもしれない。それでも良かった。私は、あの中へ溶けていきたかった。震えが来て顔を覆った。分厚い衣を着ているのに、寒くて寒くて仕方が無かった。

 ばんばんばん、誰かがこの家の戸を叩く。私は思わずその音に応えた。戸を開けると、おしちが居た。

「田吾さん、今まで、どこに行ってらしたの。随分探しましたよ。帰ってきてくれて良かった」

 私は、考えることをやめた。おしちの手を握り、その死と、自分自身の過ちを懺悔するために両膝をついた。

「すまなかった。すまなかった」

「もう良いんですよ。ほら、行きましょう」

 それは神の声に聞こえた。

 私は安堵して、深く息を吸い、そのまま息を引き取った。

 亡霊だった私は、消えるようにこの地を立ったのだった。

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