障害者は「かわいそう」なのか
正直、タイトルに小一時間悩んだ上で、この記事を書くきっかけがTwitterのTLに流れてきた一つの呟きからだったので、このタイトルを採用させて頂いた。
一番初めに書いておくと、私は専門家でもアドバイザーでも問題提起人でもなんでも無い、ズブの素人である。
素人が今まで生きてきた中で感じ取った感想文だと思って欲しい。
あと感想文なので、多分気分を害す人も出てくると思う(特に障害者に関わる人達…)けども、ズブの素人が今まで生きた中で感じたありのままの感情なのでご容赦願いたいが、私は親に「こいつ何か普通と違う」とか子供の頃から思われている思考が一般的では無い人間なので、なんか着眼点が違うかもしれないので、こういう奴も居るぐらいで観察する程度で見ていただくと楽かもしれない。
まず、はじめに私は人の名前と顔を一致して覚えるのが大の苦手で、学友の7~8割ぐらいは名前が吹っ飛んでいる状態である。顔は…ギリギリ覚えてるかな…!!困ったのは就職した後に、現場へ行って作業する職種(ぶっちゃけるとプログラマー)で、そこでお世話になる先輩の顔が最初覚えられなくて、食堂で合流する時に「どの人だ…!!!どの人だったっけ…!?!?」ってミッションが始まっていた程度と言えば、どんぐらいヤバめで顔と名前が一致しないか理解していただけるかと思う。ちなみに、この方の名前は初日に脳内で念仏の如く「〇〇さん〇〇さん〇〇さん…」と唱えていた。あと、この現場で私を嫌っていた上司の名前はもう忘れている。
さて、そんな私が名前も顔も一致して覚えている小中学校が一緒だった学友が居る。もう連絡取らなくなって久しいし、今どうしているかは私は知らないし、そんなこんなでこんな記事書くよとか言っていないので仮に苺ちゃんと表記させていただく。
苺ちゃんはたぶん、下半身不随だった。
何故たぶんなのか。私が本人に聞いていないからである。
苺ちゃんとは小学校から中学校まで同じ学校だったり、同じクラスだったりしても、そんなに仲良くなったかと言われれば「まあ話すクラスメイト」ぐらいだと思う…けど、彼女が近隣に引っ越してきた時に家に行って1回だけだが遊んだな?そのレベルはどういう友人になるんだろう…何分狭く深くな友人関係しか築けてないので、一般的にどう言うかが分からない…
ともかく、そんな感じで私はがっつり彼女と関わったと言う感じの人物ではない。と、思う…
なんで、こう…煮え切らない書き方になるかと言うと、私の小中学校はそこそこ田舎なので、車椅子で移動していた苺ちゃんの為には環境整って無くて、生徒や先生が彼女の車椅子を運んでいた。そして、私もその車椅子の階段移動をよく手伝っていた。多分、同じクラスで移動教室だった時は…思い出補正がない限り、8割は手伝っていたと思う。思い出補正が無ければ…!(自分のことなので自信がない)
あと下の話になるが、彼女はトイレも難儀していた。よく足が不自由な人が出てくるお話とかで、その人の心情や周りの反応はクローズアップされても、ごくごく普通の生活は描写されないなって今書きながら気づいたので書かせていただくが、彼女は多分下半身不随だと今なら思えるのはトイレ事情だった。
五体満足の人のトイレは「トイレ行きたい」と思って、休憩時間にトイレに行くけど、彼女は決まった時間にトイレに行っていた。此処でちょっと学校が設備何もしてないって書いたけど、小学校のトイレは彼女用に個室作ってたわって気づいたので、設備が無かった云々については訂正させていただく。
ともかく彼女は決まった時間にトイレに行っていた。私の学校では大休憩と昼休憩と呼んでいた長い休憩時間のやつである。そして、今思えば介助者を連れてトイレに行っていた。
私は行っていた人間だが「手伝わないとなー」ってぼーっと思っていたので、ぶっちゃけそんな凄い名前が付くようなもんじゃない感が拭えないのだが、とりあえず手伝う人が要ったのだ。彼女は…オムツって書くとな~~~~~んか赤ちゃん専用なイメージが付きまとうので、いつかTwitterで見た「老人に履かせる時に『リハビリ用パンツ』と言ったら履いてくれた」というのを思い出したので、以下は『介助用パンツ』と呼ばせていただく。
彼女は介助用パンツを使ってトイレを済ませていた。介助用パンツを使っているし、彼女自身で後始末をするのであんまり手伝ってなかったなとか思ったけど、当時の介助用パンツは人の手を借りる事が前提の作りだったので、仕上げにテープだか粘着部分を止める作業を手伝っていた。しかし、まあトイレなので大がある介助用パンツも見ることが有った。今考えると定期的な時間でトイレ行くのは、生理のナプキン変える作業と同じ感覚で行ってたんだろうか…?
でも私は「そんなものだ」と思っていたし、大変そうだな。っていう感想ぐらいしか無かった。
それよりも、小学生で車椅子である。イジメの対象になりそうな感じだが、うちの学校(少なくても学年)は平和だった。こう、機械を「すげー!」って見ている感じだった。ちょっと乗せて欲しくてソワソワしている奴も居た。私もである。この感覚がわからない人は、学生時代に足の骨折って松葉杖で来た級友に「ねぇ、ちょっと貸してみて?」って言ってどんなもんかやったり、してみたかった人には共感していただける感覚だと思う。まあ、自分がやったこと無いから興味を持つ部類の面々だったと言うわけである。
もしかしたら、私が興味なさすぎて知らないだけで、苺ちゃんへのイジメは有ったかもしれないが、帰りの会とかで議題にのぼってなかった程度には…陰湿でなければ平和だった…改めて思い出していると自信なくなってくるこの現象はなんだろう…まあ、帰りの会では私が当時はまだ珍しかった小学1年生から眼鏡のせいでからかわれていたので、私が相手を告発してた方が多い。「チクんじゃねぇよ!」って言われたら「チクったらぁ!!!」と言い返してた。あの時の方が強いな自分…
まあ、何が言いたいかと言うと「養護学校に行けよ」って多分本当は言われてたんだろうなって苺ちゃんが居ても、何も変わらなかった。普通のクラスメイトだった。
なんなら私は苺ちゃんの腕相撲で全力で負けてたので「苺ちゃんすげぇー!」って思っていた。車椅子を自分で操縦するから握力も腕力もつくし、階段の上り下りも自分でしていたから当たり前では有るんだけども…ちなみに、今だと色々問題になりそうだが、当時の苺ちゃんは自分で階段の上り下りをしていた。腕で。表現が難しいが、四つん這いの格好だが、足に力が入らないので引きずる形になるけど手で上り下りしていたのだ。毎日鍛えてる状態の苺ちゃんに勝てるわけが無いね!!
そんな感じで暮らしていたので、障害者に対する…偏見?みたいなものは持っていなかった。ただ、持たなすぎて別の同級生の妹さんが心臓に疾患があるの、私だから…って教えてくれたんだろうけど、普通にクラスの中心で喋ってしまったのが…すごく悔やまれる…私は「大変そうだな」で終わってたけど、その時の同級生がまさしくあれは「引きつらせていた」という表現が正しい顔をしていたので、幼心に「やっべ!言っちゃいけなかったやつ!?」となったが…今考えると何も思っていなかったとしてもデリカシーが無いな…しかもそれ謝れてないのが悔やまれる…その後でも普通にクラスメイトしてたけど、「言いやがって」って思われてても仕方ないことしているな…
ところで、前述で「持っていなかった」と過去形にしていたことを気づかれた方はいるだろうか?
オタクが千差万別居るように、やっぱり障害者にも千差万別というか、いろんな症状を持っている人が居ることを小学生の頃の私は知らなかった。
ある意味凄い確率なんだろうけど、小学校では身体的障害を持っていた苺ちゃんと過ごしていたが、中学校では隣町の小学校の子と一緒になったので、別の障害を持っている子と級友になったのだ。
仮に栗くんとしよう。栗くんはたぶん知的障害者だった。
初めて障害者とされる人に出会って「どうすればいいのか分からない」という状態に陥った。
一番顕著に思った出来事が、体操服の胸元に名前が刺繍されているが、私の名字は地元…と言うより隣町だと「石投げたら当たる」程度に居る名前で(田舎あるある)名字だけだと誰の体操服か分からなくなるので名前の1文字めまで入れていたのだ(ちなみに、とあるミラクルが起こって「これ意味ねぇ!!」って友人と一緒に笑うことになるのだが割愛)
多分、栗くんは「この名字、あいつと一緒」みたいな感じだったんだろうな。と今では思える。ちなみに隣町からの同学年には私の名字は2人居た。そのどっちかと一緒だ。って意思表示したかったんだろうな。と思う。
名前が刺繍されてる胸をつーんと触られた。
思い出していただきたいのは、この時、私、中学生。中二病とかも患っているけど、一応思春期。
思考停止したよね。
多分人生で初めて「どう反応すれば良いのか分からないので停止する」に陥った。
パニクった私はその後近くに居た女友達のところ(同小学校)に助けを求めて、その友人は怒ってくれたけど、その時栗くんがちょっと呆然としているように見えたので、なんでそういう反応されたのか分かんないのかな…悪気はないのかな…とはちょっと思ったけど、繰り返すが思春期の異性なので謝ろうとも思わなかった。ただ、謝ってとも思わなかったけど。
私達が苺ちゃんが一緒にいるのが普通なように、隣町から来た子たちは栗くんのことを普通に過ごしていた…と思うけど、あれは結果的に諦めに近いところがあったような気もする。「栗くんだから仕方ない」といった空気だ。私は前述の事もあって基本方針として関わらない。という方向にした。というか、別案件でイジメまがいの事をされていた子とよく組まされていて(研究課題で一緒に組むとかそういうの)そっちに意識が割かれたのであんまり考えてもなかった。
…書いてて思ったけど、先生的に便利の良い生徒だったんだろうか…?(ボッチに宛がう的な意味で)本気で「生理的に無理」ってなってた子には公言していた(?)せいか、組まされることは無かったし…
ただ、苺ちゃんには変化が起こっていた。中学の頃は小学校の頃より苺ちゃんと距離ができた私だったが、表面的に私でも分かる程度には「イジメ」だと思われることがされていた。私が見た現場はカバンがチョークの粉まみれにされていた。
思わず苺ちゃんに「大丈夫?」って聞いたら、苺ちゃんは「大丈夫」と淡々と答えていたのが記憶に残っている。小学生の頃平和だったとか書いたけど、淡々と答えられる程度には…何か有ったのかもしれないなぁ…と今更ながら思う。
特に隣町からきたガキ大将みたいな男子…坊主としておこう。坊主はよく苺ちゃんにちょっかいをかけていた。最初は好きな子にちょっかいかけるアレかな…とか思っていた。なお苺ちゃんは嫌そうな顔をしていた。
ただ、中3のときだったか…とりあえず中学生生活も後半になってきた頃に、誰かが「なんで苺ちゃんにちょっかいをかけるのか」と聞いた時だったと思う。
「だってあいつ車椅子じゃん」
「はぁ?(#゚Д゚)」(同小学校卒女子一同)
坊主はあの場に居た女子を敵に回した(私含む)
坊主の評価は元々高くなかったが、ガーンッと低くなった瞬間だった。苺ちゃんの何か性格が気に食わないとかだったら坊主も弁解?の余地が有っただろうけど車椅子。私達にはもう「苺ちゃんは車椅子に乗って生活している子」という認識が普通だった。故に、そこで弄られるのは多分感覚的には「あいつ太ってんじゃんwww」とからかっているのと同じ程度の問題になっていたと思う。当時の友達に確認とっていないので分からないが。
少なくても、私にとって「身体的障害が理由で攻撃される」という例を初めて認識した瞬間だった。
栗くんは知的障害者だと思うけど、私は自分が「え、よく分からない、怖い」となったら攻撃するのではなく、距離を置くタイプなので栗くんの中学の生活はよく分からないけども…この件により、私は意思疎通が難しくなると駄目のようだった。もっとも、苺ちゃんみたいに小学生から一緒に居たり同性だったらまた違ったのかもしれないが。
世の中、障害を持ってる親御さんが普通の学校に子供さんを入れたい。と言っているのをネットやTwitterのお陰で昔よりは認識するようになったし、学校側が「設備を理由」に断るというニュースも見てきた。
学校側の反論はまあ分からんが(単純に金が無いもあると思う。この夏の気温でクーラー設置に難儀しているし…)親御さんの言い分はちょっと分かる。
少なくても、子供社会の中心核の人物がその子を「異物」と捉えなかったら、私達みたいな「苺ちゃんは苺ちゃん」というクラスメイトを得ることが出来るだろう。栗くんも、隣町の子たちには「栗くんは栗くん」ととらえられていたようだし…私の学年は中学時代、不良を排出しまくったという物凄い荒れた学年だったのだが(上下はそこまでじゃないというか思春期のませた程度だったらしいので私らの学年が異常)不思議とその二人に対する応対は酷いものじゃなかった。ので、普通の生徒のように「不良こわ…近寄らんとこ…」としていれば、普通に生徒として過ごせたのだ。
ただ、子供社会の中心核の人物がその子を「異物」と捉えてしまったら、きっと大変なことになるんだろうな…とネットやテレビのおかげで色んな事を知って思うようになった。というか、うちの学年が…その…気に入らない先生に対して…新任の先生を1年で別の学校に異動させる沙汰させてて…向こうでは人気な先生になっていたので、ほんと、相性が悪かったんやな、あの先生…って我ながら同情したし(ほっっっっっっっっと今となっては恥ずかしい話、私も僅かながらでも一旦を担っていた)あっちでは「個性」として受け入れられたんだな。って思ったので、子供社会に障害者の子を入れるのは賭けだと思ったほうが良いかもしれない。子供って残酷と言われるけど、取り繕う事をしないから残酷って言われるだけで、実際は大人社会の縮図だから本当にリスクはとんとんだと思う。
栗くんなんかは、完全に養護学校のほうが彼のためにもなったんじゃないかと思わないでもない。彼とは苺ちゃんとは違って中学校の3年間だけ一緒だったという状況もあるけど、彼のテストの答案用紙を見て「えぇ…」って思ったからだ。解答欄に「あ」だけが書かれている丸付け満点された答案用紙を見て誰が言ったかは覚えてないけども「書いてりゃ良いんだから良いよな」って言われていた。そして「栗くんだからそういう事言うなって」ってたしか言われていた。あれは苺ちゃんが「車椅子じゃん」って理由にされて怒った理由じゃなくて、本当に「栗くんだから、真剣に取り合っていても仕方がない」という諦めの言動だった。
個人的に障害者と言われる人たちは、何かができない代わりに他がとりわけ出来るようになっている。と思っているので、苺ちゃんみたいに栗くんもきっとめっっっっちゃ秀でた得意分野が有ったのかもしれない。ただ、それは普通の学校では見つけてあげるというのもおかしいが、埋もれてしまって諦められていた。私は養護学校がどういう学校なのか詳しく知らないけれど、少なくとも、私達以上には彼らを理解している人たちが居る筈だから、あの諦められていた独特の空気は無かったのではないかと思っている。
だから、障害者は養護学校に行くべき。だとか、周りの子も「そういう人がいる」と知るために普通の学校に行くべき。とも言わない。冒頭に書いたように、これは私の人生における感想なので。
さて、身体的障害を持つ苺ちゃんと知的障害を持つ栗くんに出会ってはいたけども、私はまた違う障害を持つ人に大人になって出会うことになった。
体の一部が欠損している人である。
ぶっちゃけの素直な感想を言わせていただくと、私はびっくりした。
ただ、びっくりしただけで、あとは普通にやりとりした。視界に入るとびっくりするけど。
こう…20年以上生きてきて、例えば腕がある…と頭が思っている場所に空間が有って「!?」って有るのに無い?!となるのだ。変な話、カラス避けとして、カラスの死体を模した人形をぶら下げてるとカラスが避けるみたいな心理なのかなって思っている。この先危険が有ると脳内が危険信号受け取るみたいな…
ただ、個人的に安心したのは、よく物語に出てくる「生理的嫌悪」を感じなかった事である。「私は(びっくりするけど)この人達と普通にやり取り出来る」という感じで。
ただ、そのノリを理解されたのか、何かやたらと気に入られた時はどうしようかと…すみません!!喋れる(外ヅラが良い)コミュ障なんです!!!ご夫婦の会食に呼ぶのはちょっと…ちょっと…!!せめて、うちの会社から誰か…!!!(頭抱え) なお、この会食はコミュ障が理由で辞退しました。ちゃんと社会人的なお断りはしてますけども!!
だから、もし欠損などの障害を持っていらっしゃる方は「びっくりした」っていう人も居るって事を知って頂きたいな…好奇心で見てるんじゃないんです。びっくりして見ちゃったんです…でも、不躾な視線って失礼になる…!?って頭抱えてるのです…
あと、車椅子で移動されている人も不躾に見ちゃってごめんなさい…私の場合は「すげぇ!!昔は(苺ちゃんを思い出しながら)自分で動かさなきゃいけなかったのに、今は電動の車椅子があるんだ!っていうか出社を車で移動しなくても出来るようになったんだ!便利!!」ってなってるんです…車カッケェ!!っていうノリで見ているのに近いです。でも不躾ですよねすみません…
で、表題に入るんですけど、障害者は「かわいそう」なのか。っていうのには私は「かわいそう…???」と首を傾げます。よく考えたら、人間相手に「かわいそう」っていう感情をあんまり持ったこと無い気がします。ただ、コロナで今年創業した会社とかが苦境に…!っていうのを見ると「かわいそう!」ってなりますけど…
状況とか見て(例えば九州に集中豪雨が来て自然災害発生して大型台風きたときには「かわいそう!!!」って叫びましたけど)言う言葉は出ますけど、その人が持って生まれたもので「かわいそう」って思ったことは…無いんじゃないかな…?相変わらず自分の事なので信用できないのですが…
その代わり、私は「大変そう」という感想を持ちます。
まあ、大変そうだから「かわいそう」と行き着く人も居るのかもしれませんが、私は「大変そう」で終わります。
小学生の頃の担任の先生が言った言葉で、今でも覚えている言葉があるんですけど
「補助が居るっていう意味だったら眼鏡をかけてる私だって『障害者』だから!!」
私は変なところで素直じゃないので、その先生が本気で言ったのか、先生という立場だから言ったのか、苺ちゃんが居る学年だから配慮で言ったのかは分かりませんが、眼鏡をかけている私は「なるほど」となりました。
私は乱視が酷く、近視も入っている眼鏡無いと生活苦しい人です。一日で眼鏡作るよ!って謳い文句の眼鏡屋さんに「在庫がなくて…」と言われる程度には乱視がキツイみたいです。コンタクトにしてもハードしか選択肢が無いです。一応無しでも動けますし、近くだったら文字見れますけどね!
ただ、健常者の人と比べたら「めんどくさい」と思う事があります。
もう直近だとヘッドホンしてたら眼鏡のつるの部分(耳に当たる部分)が圧迫されて痛くなったりだとか、顔に汗かいたら眼鏡がずれるとか…割れたら万飛んでくお金とか…!(コンタクトの人は落としただけで悲惨)
余分にお金と設備が必要なんで「めんどくさい」と思っており、障害者とされる人たちは、この延長線上の金額と物資と戦わなきゃなので「大変そう」になるんです。
「かわいそう」という人たちは、きっと今まで障害者と呼ばれる人たちとそばで生活してこなかったんだろうな…と思いました。そして「かわいそう」で論争によくなってるので(「〇〇だけどかわいそうじゃない」とか「上から目線じゃん」とか…)「もう大変でいいじゃん!?」ってなったんですよね…そのTwitterの呟き見て…私、人間の言い合い苦手なんです…ドラマとかアニメとかギャグじゃない限りなかなか見れないのが、人間の論争が耳から入ってくるので苦手なんですよね…物語には有ったほうが盛り上がるからよく使われるんでしょうけど…
まあ、こんな意見を持っている奴なので、某ロングタイム番組は好きじゃないです。あの番組ってなんかこう「かわいそうでしょ?援助しよう?」って番組構成になっててこう…(感情を説明するのが下手くそ)「あれこれ物資に金が掛かって大変だから募金しようぜ!!!」って番組構成してくれたらもっと変わる気がするんですよね。私は「眼鏡新調するなら援助しようか?」って言われたら秒で「助かる!!!!」ってなります。今スペア持ってないので、今かけてるの壊れたら暫く生活が大変なことになるんで…チャリティー番組なのに出演者が金もらってる噂は此処では論じません。真の「愛は〇〇を救う」をやってくれたのは東日本大震災の時の香港の番組だと思っているので。謝謝香港。
誰かがこれもTwitterで言ってたんですけど「世界に誇る最先端の技術!」とかで障害者を支援する機材を紹介したほうが良いじゃん。っていうのに酷く同意しました。そして、それを手に入れるのにいくら掛かるから、募金しようぜ!のほうが…でも日本人には「お涙頂戴」がウケがいいんですかね…国民性…ただ、その国民もじわじわ「お涙頂戴」には難色を示し始めてると思うので「お涙頂戴を補助する薬とか機材にお金ぶっこめよぉ!!」って思わんでもないです。
表題の話題、めっちゃ少ないな????でも、表題に小一時間悩んだのに納得していただけるかと…
本当に私の人生における障害者と関わった上での感想文なので、これを読まれたからと言って何になるのか。と聞かれたら「私の意見だよ!!」としか言えませんが。ほんと、専門家とか評論家とかコメンテーターじゃないんで。
ところで、これだけ私なんやかんやで人生で障害者の人と関わってきたわけだが、将来の職業にそういった方面に進もうとはミリたりとも思わなかった。元々、小児科のお世話によくなっていて(風邪よく引いた)お医者さんや看護婦さん(現看護師さん)が大変そうにしているのを見て、子供のうちに「私はこっち方面無理だな」って思ったし、中学校の時不良に泣かされてる先生とか見てたので憧れすら抱かなかったし…まあ、人を助ける職業に向いていないと思っていたからだ。
だけど、苺ちゃんの手助けは、時に面倒くさいなーと思いながら(にんげんだもの)も、普通に手伝っていたのはきっと苺ちゃんがいい子だったのと、性格の相性がそんなに悪くなかったからかと思われる。
だからこそ、私は医療従事者とか学校関係者の皆様凄いなって思ってます…モンペとかはまず自分の子供時代思い出して…どんなクソガキだったか思い出して…先生たちクソガキ相手に頑張って…!!
まあ、私にも信頼できる先生と出来ない先生というのは居ましたけどね。せんせいもにんげんだもの。聖人君子じゃないものね。って今は思います。あと、アタリと母に言わしめた先生に出会ったのは幸運だったなと思います。
あと、本気でどうでもいいですけど、最初は「~だ」とか書いてたのに最後の方になればなるほど「~です」とかなってるの、何なんでしょうね?小論文だったら添削されるレベル。まだ2記事目とはいえ、無料とはいえ、もうちょっと記事を書いてスキルを上げたらどっちかに寄せれるようになりたい…もしくはもうこれが素ってことで納得してもらうか…(基本めんどくさがり)
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