【八幡宮の謎に迫る⑧】最古の八幡宮は「八幡宮」ではなかった⁉
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市口哲也です。
「八幡宮(はちまんぐう)」とは、宇佐八幡宮(宇佐神宮)や石清水八幡宮などの八幡宮から「八幡神(やはたのかみ/はちまんしん)」の分霊(ぶんれい/わけみたま)を迎えて祀っている神社です。神様の分霊を迎えて祀ることを「勧請(かんじょう)」といいます。
『誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)』(大阪府羽曳野市)は、創建が559年と伝わっており、宇佐八幡宮(宇佐神宮)の創建571年よりも古いため「最古の八幡宮」とされます。
しかし、「鶏が先か、卵が先か」と同じく、宇佐八幡宮(宇佐神宮)よりも先に創建された『誉田八幡宮』は「八幡神」を勧請した神社ではないので、本当は「八幡宮」ではないのです。
『誉田八幡宮』は、かつては応神天皇陵の誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)内にありました。前方後円墳の円墳側に応神天皇を祀った宗廟(そうびょう)が始まりです。
応神天皇という名は漢風諡号といって、奈良時代以降に贈られた名です。生前は「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」または「誉田天皇(ほむたのすめらみこと)」と呼ばれたようです。
「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」の「ほむた」が「ほんだ」、「こんだ」と変わって、現在の地名にもなっています。これを転訛(てんか/発音が訛って変わる)といいますが、全国には同じように転訛で発音が変わった地名がたくさんあります。
そのため、現在は『誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)』ですが、創建当初は「誉田天皇宗廟(ほむたのすめらみことのそうびょう)」や「誉田宮(ほむたのみや)」などと呼ばれていたのかもしれません。
その後、859年に石清水八幡宮(山背国男山)が創建され「八幡宮」が徐々に浸透し、1051年に誉田御廟山古墳から遷座して現在の場所に祀られて、後冷泉天皇の行幸などがあり、応神天皇を祀る神社として『誉田八幡宮』となったようです。
誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)は、2019年に世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」として登録され、大仙陵古墳(大阪府堺市)に次ぐ全国第2位の規模の巨大古墳です。
誉田御廟山古墳があるのは、応神天皇が幼少の頃に居住し、皇后となる仲津姫の父である品陀(誉田)真若王が治めた地のようです。
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