【エッセイ】受験のキオク
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ま・る。原稿用紙の最後の一マス。書き入れると同時にベルが鳴った。瞬間、ぶわぁっと肩で息をした。どうやら途中から呼吸を止めていたらしい。
やった……なんとか書き上げた……!
大学入試のため大阪に来ていた。私は学科試験の他に小論文のテストがあったのだけれど、どちらかといえば心配していたのは学科の方。正直ここまで小論文に手こずるとは思っていなかった。
お題が何だったのかは覚えていない。ただ時間ギリギリに書き終えたこと、鉛筆を置いた手のひらが汗で濡れていたことは確かだ。
私はかつてない高揚感に包まれたまま帰りの電車に乗った。未成年じゃなければ一杯やっていたかもしれない。帰宅すると待ちかねていた母がやってきた(右手にオタマを持っていたことをなぜか覚えている)。
「どうだった〜?」
「うん、何とかね。小論文が時間ギリギリに終わってさ」
テーブルにボストンバックを置き、ジッパーを開いた。
ん?
見ると開かれたカバンに小論文が入っていた。しかも丁寧に折り畳んである。
次の瞬間、家中に私の悲鳴がこだました。きっと極度の緊張から解放されたためだろう。私は答案用紙を持ち帰ってしまったのだった。
大学に電話すると、担当者もあからさまに戸惑っていた。
「うーん、そうですね……とりあえず送ってもらえますか?」
そう言われ送ったものの、ほどなく不合格通知が届いた。
この一件は、私という人間をよく知るきっかけになった。以来母は言う。
「人の命に関わる仕事にだけはつかないでね」と。私もそのつもりだ。ただ手術で患者の体内にハサミを入れ忘れた医者の気持ちが、私は少しだけわかる気がする。
入試に話を戻せば、私は残り一つの大学に背水の陣で臨み、何とか合格することができた。もちろん、今度は答案も持ち帰らないよう心がけた。
今でも受験シーズンになるとこの時のことを思い出す。特に今年の受験生は例年にない災難続きで、私の時なんかよりよっぽど大変だと思う。あと少し、何とか頑張って欲しい。
答案用紙を持ち帰るような人間からアドバイスできるようなことはないけれど、同じことが起こらないようせめて書いてみた。