自分をいじめても何もかわらないと気づかされた友人の言葉。
今から3年前のこと、思い通りにならない子育てに悩んだ時期がある。双子の娘たちが4歳、長男が1歳のときだった。
何でうまくいかないの…
やり方がいけないのかな…
もっとできるはずなのに…
どうしちゃったんだろう…
何でこんなにイライラしてるの…
他に何かいい方法ないの?!
あれこれ自分なりにやるけれど、現実が思い描くようにはならなかった。自分に厳しい言葉をかけて、頑張らせていたけれど次第に「限界」という二文字が見えてきた。前向きに行動していた自分が過去の人のようになり、いつしか自信をなくして、心もからだも疲れていった。
こんな私だからいけないんだ…
自分をひたすらにいじめたし、何なら可哀想なわたし…のようなイメージが完全に出来上がってしまった。
自分を責めてしまうこと。それをしていると、同じような状況にいる人に出会ったり、そのような内容の文章が目にとまっていった。同じ悩みを感じているからどこかで安心して、「責めちゃうよね〜」「そんなときもあるよね」と共感している自分もいた。一瞬わたしだけじゃないんだとホッとした。
そんなとき、子どもたちの通う保育園で仲良くなったママがいた。その彼女は初めて会った入園式から何だか気になる存在だった。いつか話してみたいなと直感で感じていたくらいだ。
気になる存在の彼女と自然と仲良くなり、いろんな話をするようになった。そのなかでビックリするような言葉があった。衝撃的だった。
「自分責めって、
実は現実からの逃げなんだよ」
今まで見聞きした言葉の数々と全く種類の違う現実に開いた口が塞がらなかった。同時にあまりの衝撃に自分のからだのなかに彼女の放った言葉がビリビリと染みわたるのを感じた。
「責めているときは何もかわらない」
「変わらなくていいからラクなんだよね」
「現実と向き合ってないから」
その後もわたしの衝撃は何度も続いた。大きな雷に打たれたその感覚はしばらく抜けず、自宅に帰ってから忘れないようにお気に入りのノートに筆を走らせた。
そして、彼女の言葉のギフトを何度も何度も頭のなかでリピートした。繰り返していくうちに「そういうことか!」と納得したわたしがいた。現実から目を背ける方法を永遠にし続けているなんて、時間がもったいない!そう強く感じたわたしがいた。
その日を機に新たな選択肢が突然浮かんだ。このまま自分を責めていたいのか、それとも責めるのをやめて現実に目を向けるのかということ。
わたしは小さな頃から「変化」が好きだった。やりたい!と思ったことを自分なりに声にして、あれこれ挑戦させてもらえた環境にいたことをこのときばかりは感謝した。変わりたいのか?変わりたくないのか?そう自分に聞くと、出る答えはいつも「変わりたい」だ。なぜなら、変化すると自分の選択肢がグッと広がって楽しいからだ。
そこから現実から逃げるのではなく、自分と向き合うことを心に決めた。自分を責めてしまうのは単純にクセだということも理解できたし、そのクセを自分なりに変えていけばいいと腑に落ちたのも大きいと感じている。
クセがでてきて責めてしまうときもあるけれど、そんなときはいつも彼女の愛溢れる言葉を思い出している。「逃げたくない!」「自分に素直に生きたい」いつもこの言葉がわたしを前に向かせてくれる。
彼女に出逢えて、気づけたことがたくさんある。子どもたちがいなければきっと出逢えていないはず。そう思うと、素敵なご縁を子どもたちはいつも連れてきてくれる。あと43日で引っ越しをする。必ず素敵なご縁がある。そう思うとめちゃくちゃワクワクする。
たくさんの気づきをくれた友人にたくさんのありがとうを届けたい。いつもありがとう。これからもよろしくね。