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徳を積む

名古屋駅のホームで自分の体の半分もある大きさの
キャリーケースを持っているおばちゃんがいた。

エスパー伊東なら
すんなり入りそうな大きさのキャリーケース。

そのおばちゃんは電車に乗り込む際、
めちゃくちゃ手こずってた。

それを見ながら私は
早く乗ってよ!とちょっとイラついた。

どんだけ重いのかは知らないけど
おばちゃんはキャリーケースを引きずりながら乗り込んだ。

私は乗り換えるため、
途中の駅で降りようとした時、
エスパー伊東のおばちゃんも降りるところだった。

案の定、降りるのも手こずってて、
後ろを詰まらせてた。

持ち上げようとしても
びくともしないキャリーケースと
格闘しているおばちゃんの姿に、
私は体が勝手に動いていた。

気づいた時にはおばちゃんのキャリーケースを
一緒に持ち上げていた。

焦っていたおばちゃんは嬉しそうに
「ありがとう」と私にお礼を言ってくれた。

名古屋駅のホームでイラついた自分が
小さい人間に思えた。

その後私は電車を無事に乗り換えることができた。

30kgくらいありそうな重さのキャリーケースを
あのおばちゃん、
よくここまで運んでこれたよなと感心してた。

と思った瞬間、
なんか私いい事したなぁと思った。

また次の瞬間、そんなことを思った自分に対して
嫌な気分になった。

こう思ってしまう時点で
いいことをしたという事実が
無かった事になる気がした。

いい事をしたって自覚することが
なんかおこがましい気がするし
ただの自己満だし
図々しいよなって思ってしまう。

無意識に当たり前にできる人に
なれたらいいなと思う。

スーパーに買い物に行った時、
カップラーメンのどん兵衛の売り場に
5枚切りの食パンが一つだけ
ポツンと置かれてあった。

誰かが返すのが面倒で、そこに置いたんだろう。

それを目にした私は、そのままスルーする。

それにいちいち罪悪感を感じてしまう。

気づいているのに元の位置に戻さない自分が悪に思える。

私が置いたわけでもないのに。
私の仕事じゃないのに。

こういう気持ちになりたくないから
気づきたくないのに。

かといって、元の位置に戻したら戻したで
私、いい事した!って思うんだろうな。

やらなくても嫌な気分になり
やっても嫌な気分になる。

意識せずに行動できる自分になりたいと思うことは
理想が高過ぎるのかと思ってしまう。

そう思うと才能もそうだなと思う。

周りからすごいと言ってもらえることって
才能や長所なはずなのに
当たり前すぎて受け入れられない。

息を吸うように当たり前のことだから。

すごいも何もない。

結局私はどうなりたいんだろ。

いい人でいたいのかな。
いい人でいたくないのかもしれない。
けど嫌な人にはなりたくなくて、なれなくて。
頭の中で葛藤してる。


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