子どもの放課後
さて、子育て支援員研修、こんどは「放課後児童コース」を受けてきました。
「学童」とか「放課後児童クラブ」とか言われるこの事業、制度的には「放課後児童健全育成事業」というものとなります。【対象】小学校に就学している児童で、保護者が労働等により昼間家庭にいないものに対して、【内容】授業の終了後に児童厚生施設等の施設を利用して、適切な遊び及び生活の場を与えて、【目的】その健全な育成を図るものということになります。児童福祉法第6条3項の2には「適切な遊び及び生活の場を与えて」とあるように、ただ遊ぶだけではなく生活習慣を獲得することも目的としています。時として「働く親のための事業」と言われることもあるのですが、あくまでも子どものための事業なんですね。子どもが安心して預けられる。その結果として親が安心して働けるのです。
学校は画一的な面もありますが、逆に言うと平等で均一な教育が与えられているといえます。しかし放課後は、家庭の経済状況によって、子どもができる経験に格差が生じてしまう。裕福な家庭は様々な習い事をして豊かで文化的な生活ができるけど、貧困家庭は家でゲームという状況が生まれているわけです。経済状態によらず、豊かで文化的な生活が送れるようにしていく。それが放課後児童健全育成事業に求められているんですね。
ところで高学年の受入が可能になったのは平成27年度の子ども・子育て新制度以降であり、まだ体制が整っていない自治体も多いそうです。奥出雲町では6年生まで預けられますが、松江では1-3年生までなんだそうです。保護者の「労働等」の要件や預かり時間も自治体によって異なっています。待機児童は約2万人とされていますが、「労働等」の要件を満たさないため申請していない場合もあり、実際にニーズがあるのに預けられない子どもはこの10倍くらいいる(?ここ正確に聞き逃した)だろうと言われているのだそうです。これまでも量的な拡大が進められているところですが、一方で量的な拡大に伴い質的な格差が生まれてきた面もあります。基準・指針の制定によりある程度の質の確保が図られてきているところということです。
さて「健全育成」とは何か。「青少年健全育成条例」における「健全育成」は非行防止を指すわけですが、本事業における「健全育成」は、「発達段階に応じた主体的な遊びや生活が可能となるように、児童の自主性、社会性、創造性の向上と基本的な生活習慣の確立等を図る」こととなります(基準第5条1項)。「自主性」といっても、いきなり「自由に遊びなさい」といってもできない。そこで、自分で遊べる力を身に付けるように支援をしていく必要が生じてきます。例えば、喧嘩やトラブルを自分で乗り越える力、けがをしないように自分で工夫して遊べる力です。また遊ぶためには、やるべきことを出来る力も必要、つまり生活習慣を身に付けるということです。
事業の一般原則が「基準」第5条2項に記載されています。人権、地域連携、自己評価、保健衛生(設備)の4原則です。この子どもの人権の尊重は非常に大事。大人はつい「もう片付けの時間だから片付けて」と指示してしまう。しかしこれは大人の立場、大人の都合での物言いなんですよね。(私もついつい言ってしまいますけど・・・)ここには子どもの権利は忘れられています。子どもの権利を守るための法律には、日本国憲法、児童福祉法、児童虐待防止法、子どもの貧困対策の推進に関する法律、児童買春・児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律、子ども・若者育成対策推進法、いじめ防止対策推進法、児童の権利に関する条約と、たくさんの法律が作られています。それだけ子どもの権利は大人によって侵害されやすいということなんですね。児童の権利に関する条約の第12条には、意見を表明する権利が掲げられている。この権利は日本ではまだあまり認知されていないけど非常に大事なものです。大人が子供のすることを勝手に決める、子どもは黙って親の言うこと従えといったことは、子どもの権利を侵害していると、認識すべきです。
子どもの権利を著しく侵害するものの一つに虐待があります。虐待には、身体的虐待・性的虐待・ネグレクト・心理的虐待の4種があります。この心理的虐待が難しいなあと常々思っていました。心理的虐待の例に挙げられるものって、結構子育てしてると陥りがちじゃない?と思うし、心理的虐待にあっている子を見分けることも難しそうですよね。講義で取り上げた事例は、「片付け時間になってもゲームを続ける男子に対して、女子が無理やり片づけを始めたことに対して抵抗した男子の手が女子にあたり女子が泣き出した。そのことに対して指導員が男子に叱りつけた」というようなものです。この事例に対して、指導員の言動は虐待に当たると考えた生徒が多かった。私も、子どもを皆の前で大声で注意したこと、「もう来なくていい」といったことなどが虐待に当たると考えました。先生によると、この情報だけでは心理的虐待かどうかを判定するには至らず、「虐待の可能性がある」ということになるのだそうです。著しい心理的外傷を与えたかという結果を見なければならないということですね。とはいえ、もしこの指導者の言動により男子児童が傷つかなかったとしても、子どもの権利を守る、子どもの主体性を育てるという観点から、やはり取るべき対応は違ってきます。放課後事業では、子ども同士の喧嘩は多く発生する。その時に大人が仲裁・裁定するのでは、子どもたちが自分で乗り越える力が身につかない。「どうしたの?」と聞き、子どもたち同士に見解を言わせて議論させ、「どうしたい?」「どうしたらいい?」と投げかけ、子どもたちが自分たちで解決策を導けるように支援していくことが大切なのですね。
では虐待を予防するにはどうしたらよいのか。大人は不適切なかかわりをしてしまいがちだという自覚をすること、子どもの予想外の言動に必要以上に動揺しないように感情コントロールをすること、そして感情が高まった時にタイムアウトしたり休息をとったり(レスパイト)するなど、子どもの虐待等の予防法を身に付けておくことが必要です。また、組織としては、子どもたちが意思表明できる仕組み、職員同士が相談し合える・外部に開かれた組織づくり、研修や虐待届出・通告制度等の仕組みづくりも必要です。
ところで発達心理学では、受精から死まで発達し続けると捉えるが、教育学では人間が人間らしさを獲得していくプロセスととらえる。このように発達の概念はさまざまです。さて発達には原理があります。①遺伝的な要素と環境要素の両方が作用する、②順序性と方向性がある(積み上げていくプロセスが大事)、③連続・非連続の二つの局面がある、④文化と統合の過程を取る、⑤各側面が相互に関連する、⑥個人差と多様性があるという6点である。事業に関わるものは、子どもの発達を理解することが必要です。③について、子どもが何かを獲得する場合、じわじわと前進するフェーズと、ブレークスルーするフェーズがあり、じわじわと前進するフェーズは成長が見えにくいがそこをじっくり見守り支援することが大事です。また、④を理解したうえで、子どもが何かを習得しようとするときに、1つ1つの要素に分解して教えて、最後に統合するというプロセスで支援していくことが有効になるわけです。
また、児童期の発達では、個人差があるが、低学年では大人が示したルールに従う・子ども同士の関係を作る段階、中学年は自分たちでルールを作れる(仲間集団のオキテを作るなど)・仲良しグループを作る段階、高学年は条件に合わせてルールを柔軟に運用できる・大人からの自立を求め子ども同士の親密な関係を作る段階と考えられます。また、9-10歳の壁(節)というのもあり、算数において抽象的な思考が必要になる、1つの言葉に2つの意味を持たせて使い分けるなど、これらができないと壁にぶつかる時代でもあります。上手にこの壁をのりこえさせてあげること、出来なくても自尊感情が傷つかないように励ますことも大事です。11-12歳では大人は適切な距離を取って自立を促していく時期。子どもに企画を立てさせるなども良いそうです。こうした低学年・中学年・高学年の発達段階を考慮して関わっていくことが大切になります。
「子どもの主体性を伸ばす教育」とはよく言われるが、主体性とはどんな力なのか、この講座では、自分でトラブルを乗り越える力や、けがをしないように工夫して遊べる力を伸ばしていく力といった話がありました。具体的なイメージを持って関わっていかないとならないですね。子どもとのかかわり方など、今回もとても学びの多い講座でした。
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