カナダの塩対応から見る米国
国際関係において他国との対応の比較は良く取り上げられます。コロナ対策や現代の移民対策に限って言えば、カナダからみる米国、という視点で、他国から学べることがあるんだな、と思いました。
上記記事はカナダが米国との国境を開きたくない、とのこと。特にコロナ禍において、コントロールができておらず感染数がとても多い米国からの入国制限をしたい、というカナダのポジションだそうです。経済的、人的、一定程度はカルチャー的にも繋がりが強い、陸でつながる隣国から、来ないでください、と言われる米国も問題ありでしょうが、カナダも国境閉鎖のPro/Conの両方の意味をちゃんと理解しているのでしょうね。
またコロナに関係なく、でしょうが、米国での移民への制限(高技能のワーカーを含めて)が今後も厳しくなっていることで、シリコンバレーと呼ばれている、米国のサンフランシスコより、カナダのトロントの方がテック関係の移民を多く受け入れている、との上記記事もありました。やはり移民は仕事を選んでいますし、特に高技能のワーカーは、(カナダの福利厚生も大きく寄与しているでしょうが)英語圏であり、価値が認められやすい北米市場のカナダに移民する、という現象をみて、面白いな、と感じました(ヨーロッパとかフィリピンとかじゃないんですね、という点で)。
またFTの社説(上記記事)のように、米国の民主主義の問題を、今回のトランプ大統領の任期や政策、またコロナ対応を通じて、見えてきた、とのこと。日本の憲法作成、将来の修正に通じる概念もあり、興味深いな、と感じた。
この三つの記事を見て、カナダという隣国に優秀な労働者を取られ、国境封鎖という意味で背を向けられた、(以前は民主主義を世界中に推し進めようとしていた)アメリカが、これも民主主義の重要な役割の一部である、大統領選挙という民意を通じて、再度変わろうとしている。そして欧州や日本など他国がローカライズさせた民主主義をまた米国に伝えなおす、という面白い時代になってきたんだろう、と勝手に感じている。
一方で理解しておく必要があるのは、米国が大統領選挙を通じて変わりそう、みたいな話は聞こえがよいが、日本と似ていて結構変わりにくい、という気もする。
一つの例として、BLM運動を通じてあまり積極的な声明や活動を見せなかったフェイスブックから大企業達が広告掲載を停止や一時削除、といったアクションをとったという話は、下記投稿にも書いております。
しかしフェイスブックの決算によると、そのような大企業による広告掲載削減後も、同社への財務的なインパクトは軽微であったとのこと。そうであるなら、フェイスブックが以前から広告掲載主の分散や中小企業を広くフォーカス、と自らのビジネスモデルを理解し、成長していた、との言えるし、フェイスブックほどの大型プレーヤー(企業)を他の企業が動かせない、となると、米国での変化がいかに難しいものか、という反面教師にもなるのかな、と感じる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?