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【#13】難病と今も闘うブログです〜
皆さんこんにちは〜!やすとみです。
前回は潰瘍性大腸炎がジワジワ蝕んでくるまで書きました。
実際、プロジェクトは順調に進みPMOも3名から気がつけば2名になり、A社の方はプロジェクト最終日の10月31日に送別会があり、そこに参加するとの事でした。本当に久しぶりで、今までの経過を報告しながら、酒を飲み交わしました。本当に楽しく酒を飲みましたね〜。
先ほども書きましたが、この送別会が最後となりますので、A社の方にお礼を言いましたら、「私は始めだけで後は全てお任せした。私は何もしてない。全てあなたの手柄です。」と言われたときは、正直嬉しかったです。
で、プロジェクトリーダーの方から「契約料が高いので次の契約は出来ない。申し訳ないがこれが最後になる。」と言われていたので、「了解しました。こちらこそありがとうございました。」とお礼を申し上げて大阪へ帰ることになりました。
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で、体調が悪いと思いつつ、ウィークリーマンションを10月末で契約解除しているので、何があっても出て行かないといけない。
この10月31日ってのが地獄の1日で、同日に送別会があり酒を飲んでマンションに戻って、荷物をまとめて近くのコンビニで大阪へ送り、何やかんや終わったのが夜中の3時を過ぎてました。
そして、翌朝ウィークリーマンションを明け渡し、新幹線で大阪へ帰ってきました。
こうやって文書に書けば数行なんですが、以前から体調が悪いと認識しているんですが、そこにお酒を飲むとやたらとガスが出るのです。
これがトイレに行く回数を増やし、また、荷物をまとめる足かせとなり、遅々として進まなくなるのです。
なので、無事にコンビニで大阪へ送ったときは安心から睡魔が襲って、直ぐ寝ました。
大阪の自宅に戻ったときは安心感からほとんど動かず、しばらく自宅療養していました。
病気だと認識がないため、激務に耐えた代償だと勘違いして、時間がたてば良くなると思い、何ら対処もせず日々を過ごしました。
それと、運動がてら散歩をしようと思い片道20分、往復40分の散歩を始めたのですが、散歩の途中でお腹の調子が悪くなる。
あるときは、我慢できず駅の公衆トイレで用を足しましたが、その時、私が公衆トイレを使うなんて!、と思うぐらい我慢できなかったんです。
よくよく考えると東京の蒲田でお腹の調子が悪くなりトイレに駆け込む回数が日に日に増えていき、空いているところがなくて必死に我慢しているのを思い出しました。
あの時は「この業界はストレス多いからトイレの空きも少ないのかな?」みたいな感じで捉えてましたが、中にはトイレで休憩している人もいてたみたいで、一種の休憩場所みたいになっていたみたいです。
とまあ、こんな感じで徐々にお腹の調子が悪くなっていくのです。
これはまずいと市販の薬(キャベジンとか整腸剤とか)を買って飲んではみたけど、それほど効果が出てこない。
何よりも弁が混じってない下痢、本当に液状が出るだけで便は全く出てこない。数日過ぎて何とか便が出る状態。
これを治療して貰おうと病院で説明するけど、ちっとも理解してくれない。お医者さんは「便検査するから持ってきて」と言うので、液状を持って行ったのですが、調べても病名は解明せず下剤の薬をくれるだけでした。
これが潰瘍性大腸炎だと判明するのは、まだまだ先になります。
今回はこの辺りで。また次回!