見出し画像

先輩から学んだこと

鬼門の3回目です。三日坊主なのでここらが正念場かも知れません。

そんなこんなで、今回は僕が中学時代の先輩から学んだことを書きたいと思います。

僕は基本的な発言がポジティブです(良いも悪いも含め)。
仕事でどんな無理難題を押し付けられても『なんとかなるの精神で考える』ことを念頭に今まで乗り切ってきました。

その『なんとかなる精神の考え』を教えてくれたといいますか、見て学ばせてくれた先輩に僕は中学時代に出会いました。

中学時代、僕はとてもとても廃れていたクズです。
廃れていたと言っても不良ではありません。

ただ、ひねくれていました。
その原因となるのが2個上の姉でした。
頭の良かったのなら、とても美人だったなら、きっとひねくれることはなかったです。

姉は嫌いではありません。家族ですから。
しかしながら、姉は底なしの馬鹿でした。

勉学は常にドベ。
何かしら問題を起こし。
発言が馬鹿そのものでした。

猪突猛進。
むしろミサイル並の推進力で当たって砕ける人間でした。

そんな姉がいたからこそ、僕は中学時代は常に姉と比較されてきました。

姉を知る同級生や教師は
勉強が出来れば「姉と比べて頭良いな」「あいつの弟なのにね」とこぞって言いやがります。

姉が嫌いだったのなら喜んだでしょうね。
しかしながら、家族を嫌いになるという考えがない僕ですから
「なんだこいつら」とひねくれました。

小学生時代の傷が癒えてない僕は『友などいらぬ!』の精神で過ごしていましたが、幸いなことに他人に合わせることが上手かったこともあり、ずる賢い頭の回転速度があってしまったため。

とりあえず、クラスメイトから情報提供してもらい姉と同級生の口は黙らせてました。
「二度とその事に触れないでほしい」優しくそう言いました。
幸いなことに人は秘密を抱える生き物ですからね。使いようです。

教師は悪気がないの人たちがほとんどでしたが、今でも思い出して胸くそ悪くなるのが数学教師です。名前は控えます。

その教師が僕に言ったんです。
「ちゃんと授業出てればな、馬鹿でも勉強はできる。姉ちゃんに言っとけ」と。

まずは落ち着いて深呼吸しました。
そして、考えて僕は決めました。

『二度とこいつの授業はでない』とひねくれが発動しました。

さすがに授業を出ないのは不味いと思ったので、出ても爆睡、基本的に授業はサボりで3年間通しました。
1年の最初のテストの時「どうなっても知らないぞ。追試なんてやらせないからな」と脅されましたが。
幸いなことに教科書を読めば勉強できたので、1度も数学で赤点を取ったことはありません。

閑話休題

後にも先にも。
テストというもので赤点を取ったことがあるのは、英語だけです。
高校も合わせて6年間、真面目に授業を聞いてても出来なかったのが英語です。

何故か英語だけは無理です。
26になる今でこそ、なんとなく理解は出来るようになっていますが、理解できるようになったのは大学生になってからです。

でも、化学系の論文は英語でも理解出来ました…。
多分、化学式やら図面でわかったんでしょうね。

さてと話を本筋に戻しまして。

姉が卒業した中学2年生。
このときには、姉と僕を比較するのは数学教師くらいでした。

姉の同級生と交渉するために使っていた情報網は、そのまま使ってました。
誰かの恋愛相談に乗ったり、人付き合いを円滑にするために利用していました。

そんなある日、僕は1人の先輩に呼び出されました。
それが僕に『なんとかなる精神の考え』を学ばせてくれた先輩です。

名前だけは知ってました。
僕の一個下に妹がいることや、人の中心になれる人だということも。

そんな先輩に呼び出されたもんですから。
正直「あっ、ついにやっちまったかな」と思いましたね。

でも、なんら怖いこともなく開口一番。
「友達になろう」と真っ向から言われました。

心底憧れました。
こんな人がいるもんかと。

1年後に先輩の妹と付き合うことになる僕ですが。
この人はそれが目的で、僕にこんなことを言ったのを知ったのは3年後です。

妹の株を上げるために近づいてきたクソ野郎です笑

ちなみにこのとき、僕の答えは
「友達って宣言してからなるもんじゃないでしょ」と一言。
その日はそれで終わったのですが…。

そっからは地獄です。

廊下で見つかれば名前を呼ばれ。
教師にはどんなやつなんだと聞き周り。
さらには僕のクラスメイトにも聞き周り。
たまに部活に顔出しに来るし。
門の前で待ち伏せするし。

正直、ホモがゲイの類いだと思ってました。
割と真面目に。

でも、何度か接してるうちに
『あっ、こいつ何も考えてないだけだ』ということがわかったので、なんだかんだで遊ぶようになりました。

よく家に泊まらせてもらいましたし。
原チャの後ろにも乗らせてもらいましたし。
髪の毛を脱色させられましたし。
ご飯もよく奢ってもらいました。

そんな風にいつも通り遊んでて、その先輩が僕にこう言いました。


「お前は発言がな後ろ向きなんだよな。考え方もそうだけど。問題が起きる前から考えても防げないもんは防げないし、なんとかなるもんはなんとかなる。
後ろ向きにいたら前に歩けないじゃん?気楽にいこーぜ」と。

そう言われて気付かされたんです。
『どうせ』『また』『でも』が僕の口癖だったんですよね。

それが先輩は嫌だったのかそう言ってくれたんです。

で、気づいて変わろうと思い。
「たしかにそうですね。気楽に考えていってみます」と答えた1ヶ月後くらいに、先輩の妹に告白されたわけで。
いや、別に可愛い女の子でしたよ。でも、そんなのはいらないと思ってた人間でしたから。
断るわけにもいかず保留にしたら。

「気楽にいこうとは?」とメールが来るからいいめしたから。ハメられたな。と今は心底思います。

でも、なんだかんだ中学卒業するときに妹さんとは別れましたし、僕が高校を卒業してからは先輩とは連絡をとったことはありません。

しかしながら、あのときの言葉は僕の胸に響きましたし。
本当に『なんとかなるの精神で考える』で行動していたとこを5年くらい見てきたので、考えても考えなくてもあんまり変わらないんだな。とは思えるようになりました。

今はそれが進化して。
『考えるべきこと、考えないでいいことがある』となっていますし。
「とりま、なんとかなるっしょ」っていう口癖が出来ています。

性格は未だに後ろ向きではあります。
悪いことを前提に考えることはしばしばあります。

でも、そこから楽しい方向に考えます。

良いことは後ろじゃなくて前にある。
そう思っています。

前に進めばなんだかんだ良いことはあるもんですよ。