癒すということ。
暑い毎日がつづく中、ふと思いたったので
綴ってみる。
気がつけば8年。
わたしは、「癒すということ」を生業にしている。
2024年現在、情報過多な社会が広がり
「癒し業」についても様々な意見が飛び交う。
「癒すということ」は一体、なんなんだろうと
自問自答したり、本を読んだり、文献をみたりして、
日々お客様と向き合ってきた。
科学的な根拠もあるが、
今回はもう少し別の角度から綴ってみる。
癒す=自己治癒力によりそう
この世に命を受けたものは、大なり小なり
自己治癒力がある。
ヒトも同じ。
しかしヒトは複雑なイキモノで
自らの行動で、自己治癒力を低下させることがある。
それが、「過度なストレス」
怪我を治すときも
栄養を吸収するときも
排泄をするときも
この過度なストレスが原因で
うまく機能せずに
苦しい思いをしてしまう。
それを自身で修繕しようとするが
うまくいかず
痛みが長引いたり
辛さが取れなかったり
不安が押し寄せてきたりする
そのような悪循環を繰り返し
ヒトは狂ったように
怒りを人にぶつけてしまったり
何もないのに泣いてしまったり
食べても吐いてしまったり
様々な症状を引き起こしてしまう。
しかし、これを病院に相談にいっても
病気ではないと言われたり
ご自身で解決方法を見つけなさいと
放り出されたり
案外この「過度なストレス」に
一緒に向き合ってくれるヒトやモノは少ない。
自己治癒力が低下していると言っても
たしかに、命の危険性があるかと
問われれば「ない」かもしれない。
しかし、本人は明らかに不調が続いている
そこに、よりそえるのが「癒すということ」なのだ。
むかしから、
「てあて」というが
これは、絆創膏を貼ることや、傷薬を塗るだけの話ではなく、
どうしようもない不安を抱えている時に
お母さんやお父さん、ご自身が信頼しているヒトから
「大丈夫だよ」と「ぽん」と背中を触ってもらったり、さすってもらった時に「ホッとする」
という効果のことも含まれる。
不安や恐怖は
誰かに受け入れてもらえるだけで
解消する場合がある。
カラダの痛みも似ていて
少し触れてあげるだけで
痛みが和らいだりすることもある。
これも科学的な根拠はあるが
今回は割愛する。
ただ、それが「過度なストレスによりそうこと」であり、
「癒すということ」の最大の力といえる。
それを踏まえると
わたしたち、「癒すということ」を仕事にしているヒトは、どんな風に役に立っているのか
という一つの明確な答えが出てくる。
「癒すということ」は「過度なストレス」によりそい自己治癒力を高めることに役立つ
過度なストレスが原因で
不調がつづく。
それを解決するには
自身ではどうにもならず
他人の力を借りるしかない場合もたくさんある。
わたしたち、「癒すということ」を生業にしてるヒトは
その1番の理解者になることが大切。
解剖学を学ぶことより
量子力学を学ぶことよりも
そのヒトが抱えている
不安、恐怖、怒りに寄り添い
過度なストレスから、解放してあげることが大切。
その手段はさまざまなので、
絶対にこれが正しい!!なんて
癒すことを生業にしているヒトが
焦ったり、急いだり、急かしたりするようでは
どんなに優れた知識や技能を持っていたとしても
効果は半減してしまう。
それは、癒すことを生業にしてるヒトが
過度なストレスにさらされているから。
思い当たるヒトは、
まずは、ご自身の過度なストレスを解放することから始めてみませんか?