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カリスマ美容師のこれまでの経験物語
今回の主人公はカリスマ美容師とも呼び声が高い那須洋一さん。 幼い頃を田舎で過ごした那須さんは、学校の決まりで高校に入るまで丸坊主で過ごさなければならなかった。 高校に入りヘアースタイルを楽しめるようになり、それからの高校生活は様々な髪型で過ごした。 ヘアアレンジの楽しさに魅了され、高校3年の時に進路を決める時に「美容師になりたい!」と親に相談するも猛反対をくらい、公務員になるよう強く言われ、一度は警察官になったものの、やはり美容師の道が忘れられず、半年ほどで警察をやめて美容師の世界に飛び込む。 あこがれを持って飛び込んだ美容師の世界は思ったような世界ではなく、最初は雑用と練習をこなす日々で「嫌だな..」と思った時もあった。 しかし、ある日突然人生の転機が訪れた。 当時勤めていた美容室のお客さん(飲み屋のオーナーさん)に「将来は自分の店を持ちたい」と話をしていたら、「お店を出してあげるからやってみない?」と言われ、店長を任せられることに。 不安を乗り越えながらも店長としてお店を切り盛りしていたが、いち早く美容師としてお店をやっていた地元の先輩からアツイラブコールが。 最初は断っていたが、何度も誘われるうちに那須さんの心境にも変化が生じ始め、新たな環境で新たな仲間と再チャレンジの道へ! 店舗が変われば技術も変わり、那須さんはシャンプーから自身の技術を磨き直すことを決意。 それからは先輩の夢を実現するために寝る間を惜しんで働き続けた。 しかし、そんな矢先先輩が大きなお金をかけて東京に焼肉店を出店することを決意。 まだ地盤の固まっていないなかでの大きなチャレンジということもあり、当時のスタッフの中には理解できずに、少しずつスタッフの心はバラバラになっていく。 必死にまとめようと努めたが、力及ばず空中分解寸前。 先輩からも「どうしたいかはお前が決めてくれ」と言われ、何よりも大切な家族のことを考え独立を決意。 独立後新たな仲間とまた1歩1歩、順調に足を進めている中で襲いかかってきたコロナ。 これまで数々の経験を積んできた那須さんはコロナ禍でも攻める姿勢を崩さず今も新たなチャレンジを続けている。 一人の男が様々な経験をしながら乗り越えてきた荒波は決して楽な道ではなく、それは到底一人で乗り越えることすらもできないほどの険しかった。 一番側で支え続けた家族があり、その家族とついてきてくれるスタッフを守るために、今日も攻めの一手を打ち続けている!
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美を通じて健康に寄与するパーソナルトレーニングジム パザパ「pas à pas」の航海日誌
幼い頃、サッカーをしていた時に手で触れて患部を治療する姿に憧れを抱き、理学療法士の道を目指して走り続けてきた。 努力は身を結び、理学療法士になることができ、人のためになれる仕事でもあることに誇りを持って向き合っていた。 しかし、理学療法士は科学的根拠に基づいたものしか認めてもらえない世界。 ほとんどの患者さんのためになることはできるものの、僅かな数の患者さんのためになることはできなかった。 全ての人のためになりたいと強く思う平野さんは病院の中でわがままを言うよりも、自分でそうした事業を起こすことを決意し、幼い頃から憧れていた理学療法士の世界から飛び出した。 しかし、一歩飛び出した経営の世界は思ったよりもずっと厳しく、誰も守ってくれない孤独の世界。 それでも一歩一歩積み重ねた先に大きな成果があると信じて、『pas à pas(フランス語で一歩一歩の意味)』という名前でパーソナルトレーニングジムを開業。 それから国際的なモデルボディメイクの指導ができる資格も通信教育で取得するなど、独自性を磨き続けてきた。 しかし、ある時売上がどんどん下がり始め、何をやってもうまくいかなくなってしまう。 果たしてその状況を乗り越えることができたのか!?
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椎葉村の過疎化に立ち向かう!よこい処椎葉屋オーナー椎葉昌史の航海日誌
日本三大秘境のひとつ。 宮崎県は椎葉村。 その椎葉村の一角でそば屋とお菓子屋を経営する1人の男がいる。 東京の飲食店に勤めていたが、幼い頃から大好きだった祖母が他界した際に、仕事もあって「帰る」という判断が出来なかった。 薬や化粧品の販売をしていた実家が、飲食事業を始めるということもあり、椎葉村への帰郷を決意した。 しかし、帰京してからの3年間はカラ回りの3年間だった。 何をやっても上手くいかない。。 市場にも受け入れてもらえない。。 何となく過ぎる毎日を変えるべく、一つずつ行動を起こし始め、その行動が実を結び始める。 新たな事業も少しずつ軌道に乗り始め、店舗も新たに併設した矢先にコロナが襲いかかる。 このままでは家族も守れない。 背水の陣で臨んだ起死回生の一手! その行方は!?
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ゴールデンボンバーと同じ舞台にたったこ とも!?異色の経歴の経営者。ディスカバーバルーン友田敏之オーナーの航海日誌
音楽の道での成功を夢見て上京。 1週間のほとんどをライブハウスや音楽に費やす毎日。 『必ずその中から1組は売れる!』と言われている「神宮外苑花火大会でのライブ」にも出場したが、同じ楽屋だったゴールデンボンバーとの実力の差を目の当たりにした。 追い続けた夢は思ったよりもずっとずっと遠く、夢を諦め地元熊本に帰郷。 とあることがきっかけでバルーンショップの立ち上げに携わり、周りがHAPPYに囲まれる素敵な感覚を体感した。 そんなHAPPYを風船に込めて、たくさんのHAPPYの連鎖の起点になるような風船アートを届けるために、今日も風船の装飾を作り続けている。 また、一方で世界にひとつだけの昆虫食自動販売機を店の横に設置するなど友田オーナー独自の感覚での経営で、常に前に進み続けている。
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勇気の決断。コロナ禍で前に進むために大きな経営判断を迫られたREDLINE(レッドライン)の航海日誌。
「コロナを甘く見ていた。。」 そう話すのはFood & Bar & Club LED LINE(レッドライン)のオーナー清田千可志(きよたちかし)さん。 お店は大人数も収容可能なパーティ・イベント会場系の飲食店。 これまで、東北震災後の自粛ムード、熊本震災など予約が大きく落ちることもあったが、どうにか乗り越えてきた。 しかし今回のコロナは、これまでに経験したことのない大きな打撃を与えた。 毎月発生する家賃などの固定費。 給付金や融資なども受けたが、団体での予約が入らない今の状況ではただただお金が消えていく日々。 家族を養うために昼はバイトをし、夜はこんな時期にもきていただけるお客様にただただ感謝の気持ちで接した。 しかし、このままではいけないという思いから、大きな決断をする時が! もがき苦しみながら進んできたこの半年間の荒波を乗り越えるために下した決断とは!?
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住職でもありパン職人。二足のわらじを履く男の日常に迫ります。
生まれて間もなく、死の直前を体験。 祖母に助けられ、「人助けの人生」を歩むことを決意する。 大人になりスーパーの精肉に就職をしたが、数年後パン屋を営む父が作るパンを食べて、その美味しさに感動。 「こんなパンを自分も作れるようになりたい」と言う思いから、スーパーをやめて父のお店でバイトを始める。 日中は住職の業務をこなし、夜中から早朝はパン屋のバイトの毎日。 あるとき父が他界し、パン屋を閉めるかどうするかの判断を迫られる。 その時、知人の言った一言で大きな決断をする。 多くの友人を持ち、不思議と人があつまるパン屋さん。 その過去と日常をインタビュー形式で聞いてみました。
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過去は気にしない。見ているのは未来だけ!男らしく荒波を乗り越えていくアウトライン河部典敏の航海日誌。
看板屋に勤めていた河部に職人が声をかける。 「いつまで雇われているんだ。そろそろ独立したらどうだ?」 その言葉ではじめて、そんな選択肢があることを知った。 事業計画書を片手に、創業資金の融資の相談に国金を訪れるも、門前払いにあい、急遽銀行から融資を受けることに。 「せめてお金を借りに行って、断られないくらいにはなりたい」 そんなことを最初は夢見ていた。 そんなある日、事件は突然起こった。 創業して間も無く、前職の看板屋から裁判を起こされたのだ。 当然訴訟を起こされるなど経験もなく、初めての経験で全く仕事が手につかない時期もあった。 創業後10年ほど経った時くらいに、会社のターニングポイントが訪れる。 高校の先輩が紹介してくれた会社によって売上は順調に右肩上がりに伸びて行った。 「仕事は断らない。働かざるもの遊ぶべからず」 という信念を持ち、仕事も遊びも全力で挑む。 過去のことは気にしない。 とにかく前を向き続ける男。 だれよりも男らしい河部典敏のドキュメンタリー。
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数千万円の売掛金が回収不可に。しかし、SNSの力で事態は一気に好転する。波乱万丈酪農家による奇跡の航海日誌。
(前編) 酪農に専念していた頃に経験した生産調整。 牛乳が水よりも安くなり、酪農仲間からも死者が出るほどに。 https://youtu.be/4u9EWMg974Q (後編) いよいよ、自社でヨーグルトの製造許可を取り、本格的な製造を開始する。 ヨーグルトが様々な出会いを生み、初めての経験をたくさんさせてくれる。 より独自性を高めるために、絞った瞬間のミルクの質に徹底的にこだわり、ようやく完成した『MILK’ORO』が、また新たなステージに連れて行ってくれる。 しかし悲劇は突然やってくる。 日本の宝物グランプリでグランドグランプリを受賞し、有名なドキュメンタリー番組にも出演。飛ぶ鳥を落とす勢いで売り上げも伸ばし続けていた最中、コロナで3〜4ヶ月分の売掛金数千万円が回収できない事態に。 それでも諦めずに現実に立ち向かう姿がまた奇跡を起こす。 そんな奇跡の物語を大薮裕介(おおやぶゆうすけ)社長に聞いてみた!
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生産調整によって仲間が自殺。両親もこのままでは。。酪農家のビジネスモデルを疑い、ミルクを売らず、全て加工品にして全国へ販路を広げていく革命酪農家の航海日誌。
家業である酪農家になり、しばらくの期間は真剣に酪農と向き合うこともなく、家業をなんとなく手伝っていた。 ある日牛乳の生産調整があり、牛乳の価格が暴落。 水よりも牛乳が安くなってしまい、とうとう酪農家仲間の中から自殺者が出るほどに。。 そんな時に出会った、ある方からの一言が今後の酪農人生を大きく変える。 酪農家でありながら、ミルクを売ることを諦めて、新たな道へと突き進む、男の物語。 革命酪農家の波乱万丈の物語は大作につき、(前半)と(後半)で分かれています。 (前半) 専業酪農家期間の話 (後半) 加工品製造スタートしてからの話 お楽しみに。 #職の航海日誌 #経営者 #インタビュー #経営 #酪農家 #六次化
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父親の一言が全てを好転させた。なかなかうまくいかなかった事業を好転させた背景にはどのようなことがあったのか。時代と懸命に戦う女性ネイルサロンオーナーの航海日誌
若くして、プライベート空間のネイルサロンを開業。 最初はお客さんも少なく、様々な副業をしながら生計を立てていた。 しかし、そんな時に父親から言われた一言で、自分の現状をもう一度見直すことに。 それから副業を全て辞めて、ネイルサロンだけに集中。 それから少しずつサロンの売り上げも伸びていくが、その後地震やコロナなどの影響も受けながらも前に進む、女性オーナーにインタビューしてみた! #職の航海日誌 #経営者 #インタビュー #経営 #ネイルサロン
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カスタムスクーターで全国にその名を轟かせるも、スクーターの事業を辞める決断。その後廃業寸前まで追い込まれるも、その時救ってくれたのは同業者の仲間たちだった。バイクの道をただひたすらに突き進む熱い男の航海日誌。
若い時に勢いに任せてバイクショップを創業。 仲間たちといつか「鈴鹿8時間耐久レース」に出ることだけを夢見て、必死に夢を追いかけていた。 しかし、ある時カスタムショーカーのイベントに誘われて、カスタムスクーターに力を入れ始める。 その腕とセンスは全国でも高い評価を得て、雑誌の表紙を飾るほどであったが、その一方で「バイク職人」と言うイメージを失っていった。 自分が本来やりたかった「バイク職人」としての仕事はほとんど来なくなり、気付けば創業当時のお客さんは離れていた。 もう一度ブランドを作り直そうと試みるも業績はどんどん悪化し、本当に辞めてしまおうと思った時も。 しかし、そんな時に救ってくれたのは、県外の同業者だった。 もう一度夢を持って、1からの走り出す。 そんな男の物語をインタビュー形式でまとめてみた! #職の航海日誌 #経営者 #インタビュー #経営 #経営の歴史