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楽譜のお勉強【41】ルドルフ・ヴァーグナー=レゲニー『7つのフーガ』より

新年最初の「楽譜のお勉強」です。今年もちょっと珍しい曲をシリーズになりそうなことを予感させる選曲をしました。昨年連載した「楽譜のお勉強」でご紹介する音源をYouTubeで探していて気付いたことがあります。このシリーズでは私にとってそこまで無名の作曲家の作品を取り上げているわけではないつもりでいるのですが、第一線の人気というわけではない作曲家を多く取り上げてきました。また、大変人気のある作曲家の曲の場合、少し知名度が低い作品を取り上げるように意図的にしています。たくさんの先行研究が簡単に見つかるのにわざわざ私の短く拙いエッセイを読む必要もないと思うからです。しかしそういう基準で音源を探していると、有名な作曲家の曲でもYouTube上に音源が全く見当たらないことがあったり、動画の再生数が100に満たない(もしくは一桁)こともありました。思いの外マイナーな曲をご紹介しているのかしらんとも思いましたが、出来るだけ多くの方に色々な作品に関心を持っていただいて、演奏会でも個性あるプログラムがたくさん聞けるようになると良いという想いで連載を続けています。今年もその路線を守って、日本で聴く機会の乏しい曲を中心にエッセイを書いていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、そのような基準で新年最初に選んだ作曲家はルドルフ・ヴァーグナー=レゲニー(Rudolf Wagner-Régeny, 1903-1969)です。いわゆる東ドイツの作曲家で、日本での紹介はほとんどありません。東西ドイツが統一してからも、旧東ドイツの作曲家たちは紹介のチャンスをことごとく逃してきました。政治的思惑に翻弄されて仕方がないこととはいえ、残念なことです。ドイツ統一後にドイツ国内で東ドイツ出身の作曲家たちに大きな活躍のチャンスが思うほど訪れなかったことには、美学的な差があったためと思われます。西ドイツでは先進的な技術を用いて(科学技術を含む)、実験的、先鋭的な音楽がどんどん生まれていきました。それに対し社会主義思想の影響下で活動していた東の作曲家たちは、実験的野心を持ちづらかったり、持っていたとしてもそれをうまく隠す必要があったように見えます。実際、多くの作曲家の曲が、同時代の西ドイツの作曲家の曲に比べて非常に保守的に聞こえることも事実です。

ヴァーグナー=レゲニーは、フランツ・シュレーカーなどに作曲を学び、最初はオペラ作曲家として活動します。しかし、今日彼の音楽は、オペラはおろか、よく演奏されていると呼べるものがないように感じます。ドイツ国内でもそう感じていたので、他の国では全然演奏されていないのではないでしょうか。かろうじて知られている作品に、スピネット(小型チェンバロ)のための『Spinettmusik』(スピネットの音楽)があります。これはオーストリアの大手楽譜出版社ウニフェルザル・エディツィオンから出版されており、出版社のピアノ・レパートリー・カタログに現在も見つけることができるので、知られているという感じです。

私が出かけた色々なドイツの街で古本屋や楽譜屋を巡っていると、思わぬ掘り出し物に出会うことがあります。今回ご紹介するピアノのための『7つのフーガ』(Sieben Fugen, 1953)を含む、ルドルフ・ヴァーグナー=レゲニーの「ピアノ作品全集」(Das gesamte Klavierwerk, ©︎1975 VEB Detuscher Verlag für Musik Leipzig)も、そのようにして出会った楽譜です。ドイツの大手楽譜出版社ブライトコプフ&ヘルテル社と経営が同じドイツ音楽出版社から出ていた楽譜ですが、現在絶版で、再版の予定は不明です。編集は同じく旧東ドイツの作曲家のティロ・メデク(Tilo Medek, 1940-2006)が務めています。メデクもなかなか興味深い作曲家ですので、いずれご紹介できたらと思います。

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ヴァーグナー=レゲニーの「ピアノ作品全集」に掲載されている作品を動画検索してみると、ほとんど何も引っかかりませんでした。先述の『Spinettmusik』等、ごく限られた作品の音源だけ気軽に聴くことができます。CDを探してみても全然ありません。近代の作曲家で、名前こそ今も少しは知られていますが、作品はすでに忘れられてしまいそうです。ピアノ曲の内容を見てみると、多くの作品はヒンデミット風の擬調性で書かれていることが分かります。ブラッハー風のリズム操作も時折見られます。しかしどちらの要素を見ても、ヒンデミットやブラッハーのような突出した個性となっているようでもありません。この辺りが西洋クラシック音楽業界での評価を決定づけるので、いたしかたないのかな、とは思います。しかし、作曲をする身としては、何かと比べて突出した個性でなくても、作品そのものを味わってほしい思いもあるので、これはこれで結構面白い作品たちなのでは、とも感じています。

ご紹介する音源は作曲者本人が演奏した『7つのフーガ』から4曲です。第1番「カール・オルフのために」、第2番「ボリス・ブラッハーのために」、第3曲「ゴットフリート・フォン・アイネムのために」、第6曲「クルト・ヴァイルの思い出に」(動画説明では第4曲となっていますが、7曲中6曲目)です。ちなみに演奏されていない曲は第4曲が「ダリウス・ミヨーのために」、第5曲は「エルンスト・クジェネクのために」、終曲が「パウル・ヒンデミットのために」となっています。第4曲は付点のリズムを生かした主題の軽快な曲、第5曲は半音階的進行を持つゆったりした曲、第7曲は複合3拍子系の主題に2分割系の副主題を絡めた、ヒンデミットの対位法書法を意識しているようなやや複雑なフーガとなっています。

第1曲「カール・オルフのために」は、短2度のモチーフを下行形と上行形を組み合わせて出来た主題を持っており、2/1拍子という特殊な拍子で書かれています。拍子の設定に古楽を意識していたオルフを意識している様子が窺えます。3声で書かれており、音階的な副旋律が四分音符で刻まれて、曲に流れを作ります。この楽章で最も個性的な瞬間は、曲の後半で主唱が再帰するとき、A音の保続音が現れるのですが、このA音が4オクターブにも渡ってゆったりと散らされていることです。ピアノの音域ごとの表情があり、A音を含まない主題が中心に位置づいてくっきりと浮かび上がってくる様子は大変美しいです。

第2曲「ボリス・ブラッハーのために」は、3声のフーガですが、曲集中最も素朴で、どのように特徴を表現したら良いかあまり分かりません。強いて言えば、後半に主題が低声部に移ったときに、反行していく上声がオクターブになり、構造上のクライマックスを充実した響きで聴かせている点は魅力です。最後の和音は、録音ではうまく聞こえませんが、ニ長調の3和音の上にニ短調の3和音が乗っているもので、不思議な響きの終わり方です。ただし、ニ短調の和音は1小節前に演奏したものが伸ばされているので、よほど意識的に第3音を強調して弾かないとうまく残ってくれないのかもしれません。絶妙な塩梅で残っていることが分かる演奏で聞いてみたいです。

第3曲「ゴットフリート・フォン・アイネムのために」は前半と最後が6/8拍子で書かれていて、2/4拍子の中間部があるのが特徴です。中間部の主題は別物ではなくて、最初の主題のリズム変奏になっているのが洒落ています。曲集の中で一番軽快な音楽と言えるかもしれません。フーガと認識しなくても、何らかの舞曲として考えても魅力的な音楽です。

動画の最後、第6曲「クルト・ヴァイルの思い出に」は、ラルゴ(幅広くゆるやかに)と指示があり、拍子はありません。旋法によるゆっくりとしたコラールを思い起こさせる曲です。用いられている音価も、最も短いものが二分音符で、全音符、倍全音符が主体となる古楽の楽譜のような見た目をした楽譜です。楽譜の見た目は、旋法を用いたケックランやクジェネクの合唱曲にとてもよく似ています。作品成立の少し前に亡くなったヴァイルを悼む哀悼歌です。

今日ほとんど聴く機会のないヴァーグナー=レゲニーのピアノ曲たち。この楽譜もとても入手が難しいものになっていることも考えると、これから機会が増えていくこともあまり望めないのかもしれません。この記事をお読みいただいたピアニストの方で彼のピアノ曲に関心を持っていただいた方はぜひご連絡ください。最後に「ピアノ作品全集」に掲載されている曲のリストをご紹介して終わります。

・ワルツ(Walzer, 1921)
・スピネットムジーク(Spinettmusik, 1934)
・クラヴィーア小曲集(Klavierbüchlein, 1940)
・2つのソナチネ(Zwei Sonatinen für Klavier, 1943)
・ヘクサメロン(Hexameron, 1943)
・ソナチネ(Sonatine für Klavier, 1945前後)
・ラルゴ(Largo, 1945以降)
・2つのソナチネ(Zwei Sonatinen für Klavier, 1949)
・レッスンや家庭のための2つのピアノ曲(Zwei Klavierstücke für Unterricht und Haus, 1949)
・2つのスケッチ(Zwei Klavierskizzen in ein Album für Gerty Herzog, 1950)
・レッスンのための3声のフーガ(Dreistimmige Fuge für das Lehrbuch, 1950)
・ヘルムート・ローロフのための2つのピアノ曲(Zwei Klavierstücke für Helmut Roloff, 1950)
・ソナチネ(Sonatine für Klavier, 1950)
・パルッカのための2つの舞曲(Zwei Tänze für Palucca, 1950)
・2つのピアノ曲:変拍子のための練習曲(Zwei Klavierstücke. Studien in variablen Metren, 1950)
・ゲルティーのためのピアノ曲集(Klavierstücke für Gertie, 1951)
・3つの香水(Trois parfums. Pastisches dodécaphoniques en mètres variables, 1951)
・2つの料理へのオマージュ(Deux hommages à la cuisine, 1951)
・ゴットフリート・フォン・アイネムのためのカクテル(Cocktail für Gottfried von Einem, 1951)
・静かな目(L’yoresse tranquile, 1951)
・7つのフーガ(Sieben Klavierfugen, 1953)
・子どもの主題による変奏曲(Variationen über ein kindliches Thema, 1954)
・キクッシュのためのピアノ曲(Klavierstück für Kikusch, 1954)
・音楽カレンダー(断片)(Der musikalische Kalender, 1954)(Fragment)

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。


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