【僕とチェッカーズと武内享】
小学生の頃デパートの文房具売り場で小さなテレビから流れてきた音楽と映像に釘付けになった。
たぶん初めて全身に電流が走った感覚だったんだろう。渾身の願いで母親に缶ペンケース鉛筆を買ってもらった。それがなんなのかも知らずに。
テレビをつけるとその奇抜な衣装と髪型音楽にやられた。それがビートルズやストーンズなんかだったら格好はつくのだろうけれど僕が虜になったのは国民的アイドルバンドチェッカーズだった。
それから解散まで好きで部屋中にポスターを貼り掲載されている雑誌は必ず目を通しビデオに音源は全て揃えテレビ録画にと人生で後にも先にも一つの事に集中した事はない。
それから新潟から上京し目黒通りのガソリンスタンドでガソリンを入れていたら目の前にチェッカーズのリーダー武内享さんが!心臓がバクバクした。
自分の車のガソリンは入れ終わった。
でもこんなチャンスはないっ!と思い洗車をお願いした。時間のかかりそうな手洗い洗車だ(笑)
待合室にあの憧れていた享さんがいる。中に入りうろうろしながら全く読みたくもない新聞を広げながら見ていた。
何度もセリフを考えながら思い切って『すみません、あの子供の頃からファンです!』と伝えたら享さんは気さくに「まじか?ありがとな〜』携帯を出して『電話番号教えて』と・・・えっ???090の〜お伝えすると僕の電話が鳴った。
『今の俺の番号ね、なんかさチェッカーズって女の子のファンばっかだったから男のファンって嬉しいんだよな』と。「そういえば今夜麻布十番でイベントやるから良かったらおいで」と。そりゃ行きますよね(笑)緊張していたら享さん周りのメンバーが知り合いばかりでびっくりした。
それから行けるイベントには大体参加させていただきそのうち関係者枠に入れてくれる様になったけどファンなのでお金を払って関係者口から入るということをしていた(笑)
その頃はアパレル業をしていたのですが29歳の時に失敗してしまい、享さんにメールをして失敗したことをお伝えした。
そしたら享さんが大変だったことそれを何度も乗り越えてきたことそして『猪本夢は描けば必ず叶うもんだ、頑張れよ!』と・・・泣いたすごく泣いた。
今も思い出したら涙が出てきた(笑)
子供の頃はお金の悩みなんかなかったなぁ子供の頃から大好きだった享さんに頑張れって言われてる。
そこで奮起して居酒屋を渋谷と三軒茶屋の間の池尻大橋に居酒屋を開店させた。
ある日の昼間に携帯に着信が・・・『武内享』?????享さんの電話番号は知っていてもかけたことなんかなかった。
震えながら電話に出ると「猪本お前水臭いじゃね〜かよ、なんで飲み屋やってるの言わね〜んだよ」と「予約するけどいいか?」「もちろんです」もうね、小学生の頃の自分に自慢したい(笑)緊張しすぎて仕事どころではないくらいでした。それからことあるごとにわざわざ足を運んでくださりました。
それから池尻大橋たむろはチェッカーズファンのコミュニティーストアになったり享さんの伝説を作り上げていく事になるのです(笑)
お付き合いが長くなればなるほどチェッカーズの武内享から男としての憧れの武内享として常に尊敬の念を抱いてる。
そんなある日、ファンの方から雑誌に猪さんのこと載ってるよ!と。その雑誌を頂戴した。
出会いから今までの経緯について書かれていた。
また泣いた(笑)
今日、大爆音でチェッカーズを聴きながら仕事をしていたら書き留めたくなったので。
なんかどんなことでもいいと思いますが夢中になることや熱中できることって誰しも何かしらあるんじゃないかな。
僕は幸い音楽、ファッション、髪型(今は坊主だけどW)と影響を受けその音楽を聴きながら若い頃のパワーを思い出している。
現在クラウドファンデイング中で千葉から東京に行っていた時に、享さんの家の近くを通り過ぎた時に会いたい!!って思いその日は時間がなかったので翌日に連絡した。享さんたむろの人気メニュだったマグマーボーをとにかく辛くしてくれと言われ様々な唐辛子を組み合わせて作って出したのですが全く平気に召し上がってました(笑)
そして久しぶりに連絡をとりました。電話番号知っていてもやっぱり緊張するので(笑)しかも久々のTwitterで。
相変わらずのやりとりと近況報告をした。
https://www.makuake.com/project/magmarbo/)
2年前、27年住んだ東京から千葉県富里市に引っ越す寸前にいつもは絶対に通らない道を懐かしくて曲がった・・・
えっ?享さんがいた!!(笑)
すぐに窓を開けて簡単に話をしてまた連絡した。
送別会までしていただきそれから2年。
Twitterの入り方が多々わからなくなったり寝たきりだったりで怠慢にも連絡を怠っていた。
タイミング見計らって会いにいこう!!全裸で!!