なぜ僕が精神障がい者の兄サトシの投稿を始めた理由。
それは、自分と人に正直に生きると決めたから。
僕は、今まで、家族写真や結婚写真を主に撮影してきたフォトグラファーだ。
会社員最後は、広告写真をさせて頂いたが、どちらかというと「ふつうの人」を撮影する家族写真や結婚写真の方が興味があった。
兄サトシがエスパー(僕は、精神障がいのことをこう呼ぶことにした)になったのが、僕が17才高校2年生の冬。
その時の気持ちを綴ったノートに、
「事実はなんなんだ」とあるように、サトシがエスパーになったその日が衝撃的だったために、人間はこうも変わるものかというショックとともに、発狂する人間とはなんなんだろうという問いが僕の中で生まれた。
まず、夜に新聞社などの報道写真に興味があったため某新聞社の編集局でアルバイトを始め、同時に昼は百貨店の写真館でアシスタントのアルバイトをし始めた。
当時、2001年世界同時多発テロ事件が起きた時に新聞社にいたので、毎日締め切り延長で深夜までフロアを走り回っていた記憶がある。
レイアウトする部署や校閲する人に記事を配るというなんともアナログな仕事だった。
そして、翌日。基本的に寝不足の中、昼の写真館ではいわゆる「ふつうの人々」が写真を撮りにくる。
そこでは、家族写真や肖像写真、七五三、成人式、お宮参りなどの記念写真を「ふつうの人々」が撮りにくる。世界中から送られてくる写真や映像より目の前の「ふつうの人々」の方が僕はリアルを感じた。
仕事で写真を撮影し、19年生業にしてきた。
会社員時代は、家族のため、自分の仕事の幅を広げるためと言い聞かせ、向いていない仕事や嫌な仕事もしてきた。そりゃ誰しも、嫌な仕事をしていると思うが、もともとそういうことに心底向いていない。
向いていないがよく頑張った。
向いていないことを頑張ると、様々な思いもよらないことがやってくる。
はっきり言って、裏切られたり、裏切ったり。
会社員時代も一言ではいいきれないぐらいたくさんのことがあった。
自分をごまかしながら、生きるのはもうやめた。
自分の写真を始めたルーツを辿りながら、ここ10年ぐらい撮り続けたサトシと僕と家族をあきらかに「報道」しながら生き方を丁寧に見つめたいと思ったから。
今まで僕の写真のルーツ隠しながら撮影してきた仕事の写真も、
僕はこうなんだよって知ってもらいながら撮影したいと思っている。
もしかすると、仕事は減るかもしれないけど、そんなことより大事なことがある。
僕の記事は、自分の「不幸」を曝け出して、時に嫌な内容を投稿するかもしれない。なんでこんなこと書いてどうなるんだろうと思っている。
ただ、想いは一つだ。
事実をあきらかにして、幸せになる。
兄サトシのこと、家族のこと、写真のこと、自分のこと、前進しながら自分が今後取り組めることを考えて行きたいと思っている。
この稀有な経験から僕にしか撮影できないものがあるはずと思う。
おこがましいことかもしれないが、
そんな写真が誰かの支えに、あわよくば誰かの道しるべになれたら幸せだろう。
そして、そこから広がる写真や未来の仕事。そして、出会える人もどんな出会いがあるのか、とても楽しみでワクワクしている。
つづく。