三甲美術館『女流画家展』と常設展示・その2

上村松園『春駒』

名都美術館にも上村松園の春駒図はありますが、こちらは扇面。
春駒は、新春の門付からお座敷の出し物にもなった芸。縁起物の画題なので、初釜の茶室の掛物などには、さぞ映えることでしょう。
ここでは、洋式の展示室をちょうど出るあたり、白い柱に額装されてかけられていますが、それでも扇面という形から、初春の穏やかな風が薫るかのよう。
女流画家展の〆ともいえる場所にありましたから、たっぷりと個性を味わった後に添えられる、ゆかしい上村松園の小品は、まるで、揺蕩う残り香に見送られているようで。

ちょっとしたサロンにお邪魔して、短いけれど楽しい時間を過ごさせていただいて、お名残り惜しいがそれではと、お暇するような、不思議な気持ち。
こういうのは、大きな美術館の、大規模な企画展ではまず味わえない気分です。

で、そんなほのかな満足感を抱いて出た先に常設展。
そこは、まったく古びた洋館のホールという趣ですが、入ってすぐに、洋式の床の間みたいな凹んだ一角がありまして、
一畳ばかりの絨毯の向こうの壁に、数年前に収蔵したばかりという大作が。

オーギュスト・ルノアール『肌着を直す若い娘』

15号(65cm×55cm)なので、物理的に大きいわけではないのですが、やはりルノアールともなると、存在感はそれ以上。洋式の床の間的な演出もあいまって、展示室に入って振り返った時、ゾクリとしまして。
そも、こんなタイミングでルノアールに会うとは思わなかったので、実際に声を上げてしまいました。

ルノアールの美少女というと、イレーヌ嬢やシュザンヌ嬢、ジョルジェット嬢、ジャンヌ嬢といった肖像画と、ピアノやダンスにふけっていたり、草花やフラフープを持っていたりする、無名の少女たちという二つの方向がありますが、この『肌着を直す若い娘』は、ルノアールの無名少女の画の魅力をとても分かりやすく伝えてくれる作品です。

というか、それこそ『ムーラン・ド・ギャレット』のような当時の風俗を描いたものとか、『〇〇嬢の像』などの肖像画では、描かれた情報量が多すぎるように思います。
純粋に、ルノアールの描法、モチーフを見る眼差し、そういったものを楽しむのであれば、ただ彼が好きな美しい女性を、思いのままに描いていて、描かれているのは誰だとか、何のシーンだとか、そんな余計な情報などないのがよろしいかと。

まったく、ルノアールの個人的な趣味と思い入れが、そのまま伝わってくる単純さ。画家にとっても個人的な作品であるから、楽しむほうも、ただ個人として、単純に心地よくなることができるように思います。

ふと思ったのが、もしもこの絵を、文化施設、教育施設、公共施設という顔を持たざるを得ない大きな美術館で見たら、こんなに単純に、この絵との出会いを楽しめただろうか?
この絵を純粋に心地よく味わえたかどうか?
ということ。

絵の側に、余計な情報が無いのが良いというのなら、見る自分の方にも、余計な情報はあってはいけないのではないか。
大きな美術館に行く、大規模な企画展に行く、その時点で、何か余計なものを、自分は持っていないか。

存在も知らなかった美術館で、おもいがけず巨匠の作品に出会った。それはとても大きな経験でした。

マルク・シャガール『グランド・サーカス』
ジョルジュ・ルオー『サーカスの娘』

……などと冷静に語れるのは、もうずいぶん時間が経っているからなのです。
ルオー、シャガールは本当に好きな画家で、それこそ美術館で人目もはばからず涙を流したコトがありました。

そのシャガールの、サーカスを描いた作品です。
ルオーが道化師を描いた作品です。
どちらも作者がこだわって描き続けたモチーフです。
1メートルあまりの大きな画面に、彼らが極めた描法や眼差しがしっかりと刻み込まれています。
言うなれば、美術館の企画展であっても、そこそこ大きい扱いを受けるレベルの作品。

それで、広間にはほかに誰もいないのです。
他の鑑賞者はおろか、監視員すらおりません。
作品は手の届く距離。息すらかかってしまいそう。
美術館ではなく私邸に招かれたような雰囲気の中、
何の心の準備もできていない状態。

そんな中で、ひとりで向き合う事になってしまったのです。
作品の前でがちがちに固まって、内心は半狂乱。
そんな自分を、シャガールの青い空間が呑み込んでいくような。
自分の体に、ルオーの太い黒い輪郭が刻まれていくような。

作品の前に立つという事は、ただ見るのではない。体験するという事。
それを改めて実感しました。

エドガー・ドガ『三人の踊り子』
ベルナール・ビュッフェ『駅のホテル』
モーリス・ユトリロ『シャトウの教会』
モーリス・ド・ヴラマンク『積み藁のある風景』

すました顔をしてずらりと壁に並んでいるのですが、企画展ならば、かなりの待遇をされるレベルの作品ばっかり。
ドガはデッサンで他は風景画なので、邸宅の壁というのは、まさにうってつけの環境。美術館の展示室よりもすわりが良い。
そんな自然な有様のおかげで、なんとか理性を保つことができました。

林武、野口弥太郎といった日本の洋画家、前田青邨や山口華楊などの日本画の展示もあり、そこでも立ち尽くすような思いをしましたが、この方面は知識も経験も不十分で、何を書いたら良いのかよくわからないので、後々の課題としたいと思います。

なにぶん、ルノアール、シャガール、ルオーの三連発の後だったので、他の作品には真っ当に向き合えなかった気がします。

展示を巡った後、晩春の日差しが明るく照らす、沙羅双樹のある庭を眺めながら、お抹茶をいただいて、ようやく通常の精神状態に戻ることができたのでした。

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