名都美術館『福田豊四郎と堀文子』展・その3
そろそろ展示替えでしょうか。
こんなペースで間に合うのかしら。
堀文子『紫の雨』
(この絵の記事、別垢に移転しました)
福田豊四郎『六月の森』
森の緑は、梅雨となれば、湿気をたっぷりと含んで、
光まで吸い込むように濃くなって、それを滴らせるように葉先をたらします。
だけど、ここに描かれた森はまだ明るいので、まだ梅雨は来ていないのでしょう。
でも、こんなに視界がぼやけて緑色に染まっているのだから、この森の中は、たっぷりと湿気を含んで、まとわりつくように暖かい空気に満たされているのでしょう、
樹の幹や枝、広がった葉も、ぼんやりと、森の空気との境目が曖昧になっているようです。
それどころか、地面も緑色の海のよう。
確かに、よく繁った森の中は、目を下に向けても緑、顔を上げても緑。地面を左右に横切る木の根でようやく、足元と森の奥の区別がつくのは、この絵の通り。
ただ、湿気をむさぼるように伸びたゼンマイは、本来フワフワの綿毛のはずの輪郭をクッキリとさせていて、ひらひらと飛び回る蝶も、細部まで描きこまれています。
考えて見れば不思議です。
動き回って輪郭がブレるはずの蝶が、静止したようにクッキリと描かれている。
細く揺れる蜘蛛の巣、そこに息をひそめる蜘蛛、そんな姿は本来、葉の間に隠れていて、近づいて初めて見えるものなのに、やはりハッキリと見えるように描かれている。
それなのに、動かず、クッキリ、ハッキリと見えるはずの木々の根や幹、枝や葉が、ぼんやりと曖昧に、あるいは記号のように簡略化されて描かれている。
この逆転。
身を寄せ合う三人の子供は、この不思議さに戸惑っているのか、おびえているのか。
下の二人の兄弟をかばうように立つ黄色い服の子は、放心したようにこちらを見ている、
その腰に、何かにおびえるように縋り付いている、赤い着物の娘は、振り返って何を見ているのか。
青い着物の男の子は、いったいどんな音を恐れて、耳を塞いでいるんだろう。
命に満ちた森の、明るいけれど、それが恐ろしい、そんな経験。