世界は粒子ですかぁ❓
【エッセイ】あまりに観念的
本を読んでいたら『おや?』と思う部分があった。
なんかさ〜、わかるよ。
『波動型』とか言われてもピンとこないもん。
世界は粒子です。
私も詩とかの題材に何度か無意識に粒子を出しましたが、今自覚を深めました。
粒子により空間が変容しています。風もお風呂も大人数が居る場所も皆、粒子云々なのです。
オカルトやスピリチュアルに対する理解は私にありませんが、感覚として、粒子の濃度としてなら少しわかりまし。
街を歩くと疲れます。いわゆる『人酔い』ですね。
🔺だいぶ前にこんな記事も書きました。
まあ岡潔氏の言う粒子と私のとで解釈に違いがあるでしょうが、無視します。
街中には『意図/目的』という名の粒子が溢れています。仮に、人数はそのままで全員が座って自分の事に集中してる街なら、私は酔わないでしょう。
人がどんどんぶつかってきそうになるでしょう❓
その『意図』なる粒子を避ける事に意識を注ぐソレ自体がしんどいのです。
引用の部分に『離れていても心のやりとりができる』みたいに書かれています。
つまり【良くも悪くも】なのです。
自然には『意図』がありません。どのようにでも感じる事ができます。
対して人の『意図』は解釈の幅が狭いのでし。強い目的意志を持つ人は、比例し粒子の濃度が濃く、触発もあれば疲弊もあります。
それが街中という大人数なら❓ 説明は不用ですね。
私はとことんまで『ひとり』になりたいのです。でも社会の中の子猫ですから無理ですした。でも欲しいです。
望む理想像は『他人にあまり関心がない空気(いい意味)みたいな人』ですかね。
こういう人なら苦じゃないです。
対して、常にせわしない人は殺意さえ抱きます。50年前のハッピーターンの粉みたいな粒子です。耐え難い。
文化祭の準備とかも耐え難いですね。ナニヤッテタッケ……
よし、頭が回らなくなってきたので終わります。
天気がいいと、気分がいいですね。
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それにしても岡潔氏は柔らかくて安心しますね。
仏教への理解もあるようで、『個』を重視しない所に好感を抱きます。
彼が褒め称える吉川英治の本も、近いうちに読みたいですね。
これだから読書ってぇのはやめられねぇんだ。この『関連性の継ぎ足し』みたいな繰り返しが、私のスタイルだ。
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