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謎の脳内現象の話〜パチパチ

私はねぇ、時々深夜に訪れる『映像っぽい気がする見えざるけど見える気がする感覚の時間』が好きなのだけれどねぇ、今んところ法則が掴めず再現できないのですよね。

たとえるなら、金縛りの時、明らかにこちらに近づく恐怖の存在息づかい……があるでしょう。アレの恐怖ナシバージョンって感じなのよね。

本などで関連の勉強(無意識/変性意識など)をしましてもね、結局ようわからんのんです。だってそもそもが――

私は前回のエッセイに『迂遠な類推』という言葉を出しました。自分のぉ……この言葉を、よくよく考えていたら、もしかして近いかもって。

私たちはきっと、普通であろう状態の時に無意識に『関連』を探していると思うんです。自分の中にある『ナニカ』と関連の糸が繋がれば、仮の理解が得られるでしょうしね。

だから人間は、全く別の人生を歩んだ他人と通底したナニカを見つけたりできる。しかしそれは、『おや、もしかして……』という理性寄りの脳内運動な気がするんですよね。ゆえに、理屈チックなのよ。

そんで深夜🌙

あの時間……たとえばパッと起きたあの瞬間、その理性のブレーキが外れている事がある。ここの条件が謎だから再現できないんよね。

それはまさに、『迂遠な類推』が自由に飛び回っているかのような。寝ている時の夢とは違い、なんだか支離滅裂ではなく幾何学のような。極めて示唆のある一定の必然……かのような(?)

私はその感覚を『受け取るしかない』と理解するまでもなく了解理解している。すごく、すごく静かな時間。

はぁ……好きだなぁ……

だからたくさん摂取したいのですねぇ。

けど、本能が拒絶するが――という前提アリなら、法則の一部分を説明できます。

その拒絶部分とは『普段のルーティンから外れた事態があった日』なのですよね。身近な例としては、インフルエンザで急な高熱が出た……とかそういう。

あるいは『人にすごく酷い事を言われた』とか。

身体的、感情的な部分に――落差がある。今まではそういう時になった。

けれどまぁ、脳ってのは安定を望む。平凡な明日を望む。岡本太郎よ、あなたは『怖い方に飛び込んでごらん』と言ったな。う〜ん、勇気が……ねぇ?

つまり『やり方は実はある程度わかるが、う〜ん』という結論になりました。

おい、誰か説明できるか?

意図的に人為的に『自分にとってあってはならない』を引き起こす方法を

……だが、勿論『マイナス意味での』という限定ではない。
『想像の100倍楽しかった‼️』みたいな体験でも、おそらくイケる。おっと、その怪しい白い粉は仕舞うんだ。

まぁ、大した事は言えなかったな。
もし読んでくれた人が居たら、ありがとう。


なんつーかさ、こういう話できる人居ないし。大体の会話って『あっ、そっすね』じゃないですか。
たとえばさ、ピアノを初めて目の前にして、延々と一日中『ドの音のみ』の音の出具合の追求をしてる人が居るとしたら……友達になってみたいじゃん。

そんな変な、なんだかなのエッセイでした。

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