『無価値』からの出発📝
【エッセイっぽい詩です】詩ぽいエッセ?
おまけもあるよ❗️🍭
混沌は、タダだ。
どこにでも転がっている。
『自分には人と違うナニカが備わっており、それを認められてないから不遇だ』
……のんのん。
人それぞれ皆、混沌を有している。
いや、混沌そのものか。
表面上の行動や数値しか見ていないと、勘違いを起こすだろう。
『人間を舐める』ってのは畢竟、混沌を認めず、機械的で紋切り型な存在程度にしか見ていない事だ。
『そのように』認識した方が、ラクだから、考えたくないから、向き合う勇気すら持っていないから。及び腰のへっぴり野朗さ。
簡単さ。
誰でも知ってる。
『人類みな兄弟』ってな。
すぐさま試してみるといい。
身の回りの人を、どのように認識しているか。
様々が付帯し、あんなにも重そうだ。
おかしいな、混沌に質量なんぞ無いハズなのに。
色眼鏡の『色』は、あくまで『色』
私は時折、身近な人への認識が『ブレる』
なぜここに今、存在しているのか分からなくなる。
おそらく、その瞬間は『混沌』だと認めているから。
付帯した前提が瓦解し散る。
しかし再形成。
『どこどこのだれだれ』が出現する。
その認識を自分にも向けてしまう。
だから身を硬くする。
言ったハズだ。
混沌などありふれていると。
私はモノを書くのが好きだ。
その出発点は『混沌』でなければならない。
そして結論も『混沌』でなければ。
言うまでもなく、『結論ありき』など。
私が度々いろんな記事で
『ダメだ❗️ まとまらない❗️』と〆るのは、本当に何も考えずに反射で書き出してるからでし。
無価値の混沌が無価値の混沌を生む。
ほら、こんなにも気がラクだ。
勢いに任せ玄関ドアーを飛び出し庭へ向かう、そんな幼子のように。
どんな遊びをしようかな?
なぜこんなワケわからん思考を巡らせているか。
前提のない抜き身……これがいかに難儀か。
そうだな、確認したいだけ。
無価値の混沌は、ナニを見るか。
世界が冬のようだから みな厚着してる👔
なろうよ、全裸。
【おまけ】さっきの出来事
ウィーン コンビニ買い物完了♪
(登)犬連れのおっさん、近寄る
「セブンスターのソフト、買ってくれんかの? ほら、犬連れとるけ、のぉ」💴
『(確かに❗️)ええよ〜、セブン の ソフトね』
(入)店員、既に棚からタバコを出している
「見えたもので」
『有名な方なんですか❓』
「ひゃい」
(出)『買うたよーライターある?』
「おぉ、あンがと、あンがと」(去)
……
…………🚕(――やべぇ有名人とお話ししちゃった❣️)
書いてみたらあんまり面白くなかったです。