見出し画像

文章と思考の雑味について

雑味ってのは他の媒体を思わせる表現であったり、滲み出る自己陶酔自己顕示(その判断はあくまで主観でしかないが)であったり野暮だったり。

こういうモノが少ない文章ってなんだろう。

私が歓迎するのは『率直に自分の感覚を用いている文章』かもしれない。
だがこの方法は道を間違えればナルシシズムに迷い込み雑味となる気がする。
先立ってある『こうしたい』という欲望に釣られ捻じ曲がってるような。

これを避ける為の容易い方法などないと思う。追い詰められてやっと『発揮』されるだろうから。
たとえば自分が人質にとられ、サスペンスドラマの如く、ポケットの中のスマホで文章を用い助けを求める時に自己陶酔してる場合じゃないだろ❓

『率直に自分の感覚を用いる以外に「このナニカ」を深める事ができない』……という変な説明。
他人に解説されて納得するモノでもないし、本をたくさん読んだからといって溜飲は下がらない。後付けで得た知識では太刀打ちできないモノに対し目を逸らさず挑み続ける態度……かな❓

集中力と真剣さと五感と観念を駆使してやっとアクセスできる僅かな欠片のような。僅かだが、雑味は少ない。

こんな『宝石』のようはモノを得る為にはそもそも自己陶酔や承認欲求はジャマだし、他人の表現や流行り言葉もジャマ。自分自身がノイズを遠ざけないと。
無闇に褒めてくるヤツが【 敵 】だって認識も必要だ。ヤツらは褒める事で相手を満足させ、足を止めさせる目論みを抱いている……かもね❗️

たとえば思春期の男のように頭の中が『うぜぇ』『えぐい』『だりぃ』などの言葉で埋め尽くされていたらどうか?
『うざい』という感情が原動力となり何かを成す……ってパターンもあるかもしれないが、大抵は他の表現を知らないからシグナルとして発しているだけだろう。

『短絡的でみすぼらしいシグナルを度々発する』のが思考にとって有益か無益か。時間のムダだと思うね。
ちなみに私は大抵の事を『(そっか❗️)』で済ますし、考えるに値しそうなら黙る。

本をたくさん読むと『他人の観点』をたくさん得る。noteにも引用ばっかする人が居るが、絶対頭の中で処理しきれてないだろうな〜って思います。
いかなる高説だろうと幾人のモノを並べれば矛盾や相反が発生する。その場合どれを選ぶ❓ 最終的にひとつに絞るなら、最初から並べないのが手っ取り早い。

まあ私が書かんでもショウペンハウエルの『読書について』に、読書に対する文句が網羅されている。

説明不用だが、『他人の観点』ってのも雑味だ。
私はよく『もっと人の立場になって想像したら❓』なんてお説教をされるが、私は厳密に人の立場になれないし、脆弱な足場から繰り出される想像は貧弱だと思うのであまりしたくない。
まあ『なりきりゲーム❗️』みたいに割り切って遊ぶ分には好きだが。

よくある『結論ありきの文』も雑味だ。じゃあ結論だけ言えってなるし、私が見たいのは僅かな光に向かう思考の足跡か、深海へと沈む勇気。
先に結論を『ドン』と据えたら思考の過程に重大な欠落が生じる気がする。私は避けたい。



ごちゃごちゃ書いたが、実際に私が普段意識してんのは『この考えはどこから来た……❓』という問い。

最近ネットで見た意見? 身近な人の発言? 本の知識? 映画のセリフ?

色々あるが、多くは必要ない。大抵は捨てるか、思考の出発点として残すぐらいか。

ともかく『雑味』になりうるので、意識的に捨てつつ『じゃあ(完全な断定は無理くさいが)自分の考えはどれだろう❓』って探して集めます。それに立脚して文章を書く。これで少しは雑味が減るだろう。
勿論さっき書いた『追い詰めてせざるを得ない状況にする』のも有効だろう。

考えがまとまらなくなってきた。シンプルに言うと

頭のごちゃごちゃうぜぇしだりぃ❗️
整理整頓しよ❗️ した❗️
思考のえぐみと怠さと雑味が減った❗️
よし新しい事考えよっと❤️

みたいな〜? ですでし。



私は度々『言葉が溢れて思考がまとまらない状態』に陥ります。
あの時は『なんで自分の考えすら言葉にできないんだ❗️』と悔しく情けなくなります。そういう状態で書かれた文章は、雑味だらけだなって。

あと説明が難しいですが、人から『答えなんかどうせないのにこの場で仮の答えを出さなきゃいけない質問や詰め寄られ方』をされたら、もれなくパニックになります。

世の中にはゆっくり進める事もあるんです。
これを『優柔不断』などと雑に処理されたら悲しくなります。

ちょっとだけ偉そうな事を言うと、私は『世界に対する解像度』が人と少し違う気がするんです。だからいろいろ噛み合わない、理解されない。
でもまあ、当たり前か。人それぞれ違うなんて。

学生時代、ありがちですが私だけ置いてけぼりにされてるみたいで悲しかったです。

私はただ、『ねぇ見てよ』って向けた指先を見てほしかっただけかもしれません。
優しい気持ちになれる小さな発見を、本当は書きたいのかもしれないです。

でも除去としての『文句』は継続します。

🔔『しますらしいです』

はい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?