隙自語note、大学生編。

隙自語noteも遂に大学生編。簡潔にまとめましょう。
研究室で書いてます。さっさと終わらせたい。

なんというか、大学生活に過度な期待をしていたのかもしれない。

電気系の学科に入学し、科目も理系ばかりで問題なし。
寮に入っていろいろ衝撃的なことはあったけど、友だちもでき。
1年生の5月に初めて彼女ができ。
高校からの延長で軽音サークルに入り、テニスサークルにも入り。
学科の友達とはよく宅飲みでボードゲームしたり。

特に問題はなかったんだけど、絶妙な虚無感みたいなものがあった。

バンドは楽しいんだけど、色んな人がいすぎてなかなか溶け込めず、実力も天地の差。
長い夏休みはどう過ごしていいのかわからなかったので、とりあえずバイト。
よく旅行に行ってる人とか、海外留学してる人とかが羨ましかったんだけど、何故か行動に移せなかった。

紆余曲折あり、軽音サークルとギター弾き語りサークルは1年の終わりにやめてしまった。人間関係のトラブルとかではなく。
塾講のバイトは性に合ってたし、「バイトして金貯めて、彼女と楽しくいられたらそれが幸せ」って言い聞かせていた。

なんで大学に入ったのか。
大学に入るのが普通だったから。他に選択肢がなかったから。自分の理系適性を社会に活かせる形に昇華させるには、大学で学び、研究し、メーカー技術職/研究職になるしかないと思っていた。別に何かつくりたいものがあったわけではない。
俺は遊ぶために大学に入ったわけではない。ちゃらんぽらんなバカ大学生とは違うのだと言い聞かせた。自分は理系学生としてこの国の技術を支え、発展させるために学んでいる。自分の価値を示す方法はそれしかない。社会に価値を提供することで自身の存在意義を実感できる。幸せになれる。そう思っていた。

研究室は忙しそうなところを選んだ。学生の研究成果が顕著で、実力がつきそうなところ。専攻テーマにそれほど強い興味があったわけではない。
プログラミングはできなさそうだけど、産業のコメとして重要な半導体に携われたら、いつか役に立つんじゃね?それで就職できるでしょ、と。

研究室配属後、俺は一生懸命だった。この研究生活に早く慣れ、結果を出し、実力をつけてやると。その意気込みで、同期の中でも一番研究室にいる自負はあったし、先輩にいろいろ教えてもらうために積極的なコミュニケーションを心がけた。
たまたま研究のフェーズが良かったのか、4年の夏頃に国際学会への投稿の話が出た。いい機会だと思い、自信はなかったが学会に向けて取り組んだ。アブストラクトから本原稿、プレゼンテーション資料など、指導教員と学会のメンターから何度もフィードバックをもらいながら、本気でやっていた。

半年以上かけ、学会で発表できることが確定した。会場はアメリカのテキサス州。不安もいっぱいだったが、それ以上に期待の方が大きかった。
アカデミックな場。国際的な場。初めてのアメリカ。頭がごちゃごちゃしつつも、確かな希望に突き動かされていた。

そんな中でのコロナである。
学会は急遽オンライン方式になり、慣れないzoomというツールで英語のプレゼンテーションを録画した。俺の初めての国際学会はそれで終わった。

それからの研究成果は鳴かず飛ばずである。俺が悩んでいる間に、要領の良い同期が何回か国際学会発表をし、ジャーナルを投稿した。
同期の中で一番早く国際学会に漕ぎ着けたはずなのに、もう俺の成果はなんてことなかった。何も生み出せていない。
先輩から引き継ぎ、進歩させ、後輩に引き継ぐ。
俺のやったことはなんだったのか。唯一自信を持って言えるのは、測定プログラムを作り変え、より効率的に測定評価ができるようになったことくらいか。

もう就活も終わっている。何も言い訳をすることはできない。
研究をしなきゃいけない。
成果を出さなきゃいけない。
俺が携わった意味を残さねばならない。
研究から何かを得なきゃいけない。
「できなかった」という事実に囚われるという状況はつくってはならない。

もう、自分に失望する経験を積みたくない。


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