映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」
wowow録画を観ました。
1956年ベルリンの壁建設の5年前の話です
「僕たちは希望という名の列車に乗った」
この時代の東ベルリンが舞台とあって 重いです
ネタバレありますので知りたくない方はスルーしてください
若い世代よりは第二次世界大戦とか
ベルリンの壁とかの認識はあるとは思ってますが
そんなに詳しくはありません
”戦後ドイツは4国で分割されその後ベルリンも分断され壁も作られた”くらいの知識しかないです
でも社会主義と資本主義の違い
なんとなくはわかります
ハンガリーの革命をきっかけに主人公たちはクラス全員でちょっとした意思表示をしたことが
だんだんおおごとになり
反革命として首謀者探しに教育大臣までが出てきます
国の体制からすると
”自分で考え、その考えに沿って行動する”彼らは国家の敵になるということを彼らは身をもって知ることになるのです
学生たちに対して容赦ない、今風に言えばパワハラだ
首謀者を言わなければ全体責任として 国の卒業試験を受けさせないと言わたり
一人一人尋問され、カマをかけられたり、自分たちの知らない家族の話までされたり
けれどみんな 仲間を裏切れないと葛藤する
そして追い詰められていきます
限られた情報の中でそれがプロパガンダだとしても真実だと言われるとそう思ってしまう中で それと全然違う情報を得た時
どちらが真実だか 自分で見極めることが難しい環境で
自分たちの置かれている世界にちょっと疑問をもったり
真実を知りたいと思ったりするのは本能的なものなのでしょうか
今とそんなに変わらないのかと思いながら観ていました
今でも公的な情報は真実とは限らないし、情報操作がどこまで行われてるのかもわからないし
どの情報を信じるかは自分で決めなければなりません
まだ今のが自由に選べることができるし 全然いいとは思います
ただ、当時の彼らの時代背景では死活問題で
下手したら家族もレッテルを貼られてしまう
みんなすごくいい子達で頭も良くて家族思いで友達思いで
結果彼らは自分たちのした行動の責任を選択することになります
まだ壁ができる前なので
彼らのように切迫した”亡命”は少なかったのかもしれませんが
その後東ベルリンから多くの人たちが命懸けで西ベルリンへ亡命をしたという話を聴くと
故郷をすてざるを得ない人たちや、
家族や友達と離れ離れになってしまう人たちの心情を思うと
過酷だったのだろうと心が重たくなりました
主人公たちの”クラスの4名を除くほぼ全員が西ドイツで卒業試験に受けた”
というテロップで映画は終わりますが
その後が気になります
最後まで読んでいただきましてありがとうございます