出たとこ勝負 ② 〜 赤川3丁目の夕日 上巻 〜
大阪に出てきて、西成のドヤ街から都島区赤川という所に移った。そこはスポニチの求人欄で見つけた応募に電話をしたら即採用になったところである。
ここは風呂なしでトイレも共同だが、個室が与えられ、自分の空間を確保できた。古紙回収の仕事ということで軽トラを貸し出された。最初の頃は楽しくて、
「古新聞、古雑誌、ダンボールはございませんか〜」
というアナウンスを流しながら、大阪を走り回っていたが、それもだんだんと飽きた。給料から家賃と軽トラの使用料を差し引かれるとマイナス3,000円という給料明細だけが残った。
そうこうしているうちに、何故か社長に気に入られ正社員として働くことになる。後で聞いた話だが、
「マイナスの給料なのに、いつまでも居るヤツは何者だ」
と言われていたらしい。当時の僕は居心地の良さに意味もなく興奮して、毎日をただ呑気に暮らしていた。
「なんで屋ねん」という立ち飲み屋で毎晩呑んで、しゃべって、歌って、踊って、、、その飲み食いのほとんどを常連の人に奢ってもらっていた。
家に風呂がないので3日に一回、銭湯に通うことになる。冬場はそれでも良かったが夏場は毎日通うことになった。
T山商店という古紙回収の会社で働き出し、立ち飲みのツケも全て払い終わった。
廃品回収で拾ったキックボードに乗って職場に行き、帰りは立ち飲み屋で晩御飯とビールを飲んでフラフラになってキックボードを押して帰る🛴
こんな生活を1年程続けていた。この赤川3丁目には、立ち飲み屋が3件あり、そのほとんどが常連客である。ある日「なんで屋ねん」のマスターが他の2件の店主にソフトボールで試合をしようと挑戦状を叩きつけた。
そして迎えた試合当日、僕はもちろんなんで屋ねんチームにいた。対するN家という立ち飲み屋はガラが悪い。銭湯でよく見るメンツだが、彼らのほとんどに刺青が入っていた。
しかし、高齢化したチンピラ達は、
「ホームランいてもうたれ」
と口では大きいことを言うが、実際はサードフライがいいとこであった。
もう一つのチームはたこ焼き屋である。地元中学校の女子ソフトボール部を何人か連れてきていた。彼女らのママさん連中が常連だという。
そして女子中学生の投げるボールは思った以上に早かった。僕らのチームでも三振する者が続出した。
そうして迎えた9回裏の攻撃、1対0、先頭打者のマスターが四球をえらんでノーアウト1塁。続くヨウヘイは送りバントを成功させる。
ワンアウト、2塁に同点ランナーがいる状況で僕に打順が回ってきた。
「なんとかして次に繋げる」
といつもよりバットを短く持って打席に立つ。相変わらず早いボールだが、4打席目にしてタイミングが合ってきた。一塁線に転がったボールは内野を抜け、ライト前ヒット。
ワンアウト一塁三塁で逆点のチャンス。我がチームの主砲、ダイチに打順が回ってきた。
彼は弱冠ハタチの青年で、アル中の母親と中学生の妹と暮らしている。彼は高校を中退したが、それまで野球部に所属して打撃センスは抜群であった。
ツーストライクまで追い込まれたダイチ、内角高めにきたボールをフルスイングしてバックネットを軽く超えていった。
劇的なサヨナラホームランで試合の幕が閉じた。撃たれたピッチャーの中学生は膝からくずれ落ち、夕日を背に泣き崩れている。
缶ビールを賭けた戦いに勝利した我らはいつもの立ち飲み屋「なんで屋ねん」に戻って宴を始めるのであった。
続
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