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親父とオカンとオレ 8 〜弟とファミコン〜
今回は我が家で唯一、ファミコンを買ってもらった、弟の話を書こうと思う。
小学生にとって4年の歳が違えば体力の差は歴然とある。それでも弟は僕の遊びについてきては、よく泣かされていたといわれている。
ある日、そろばん塾から帰っていると弟が友達と畑で遊んでいた。そこは数日前に僕らが遊んで
「畑を子供らに荒らされた」
と学校にクレームが入り、先生から注意を受けていた場所であった。
僕はそろばんのカバンを振りかぶり、迷うことなく弟の頭をバシンと叩いた。
「ここで遊ぶな」
とそれだけを言って、友達の家に遊びに行った。
しばらくして、家に帰ると弟の頭が、なんと包帯でぐるぐる巻になっており、さらに親父の機嫌が悪かった。
「なんかあったん?」
こっそりオカンに聞くと、僕がカバンで叩いた後、弟は頭から血を流して、病院に運ばれたらしい。
慌ててカバンの中を見ると、ソロバンと教科書の他に、細長い文鎮が入っていた。恐らくその文鎮の角が彼の頭に当たったのであろう。
そして弟はケガした部分をバリカンで刈られ、何針か縫ったという。
僕は親父からゲンコツをくらい
「人を叩くな、言って聞かせろ」
と怒られた。
今思えば、親が子供に体罰でしつけをしているのに、その子供が自分の弟に暴力をもって、教育するというのはごく自然な形であったように思う。
膨大なエネルギーと時間を持て余し、同じ空間で、常に一緒に居れば、喧嘩は絶えないだろう。
しかし僕が中学生になると兄弟喧嘩はぴたりと無くなった。
陸上競技と駅伝を本格的にはじめて、自分の持つエネルギーがそれらに注がれ、喧嘩などする暇がなくなったのだ。
またその頃になると、幾分か親父の癇癪の頻度も少なくなり、それは年齢のせいであろうが
「加齢と共に性格は丸くなる」
と世間で言われているように、オカンや子供たちへの態度も少しずつだが、穏やかになっていった様に思う。
話を戻そう。弟は高校に入ってからようやくファミコンを買って貰えた。
正確に言うなら、弟の貯めたお金で買ったので、買っても良いという許可を得た。
僕が小学生の頃、誕生日やクリスマス、正月やお盆など何度も親父に
「ファミコンを買っていい?」
と頼んだが
「ファミコンなんて物は絶対に駄目だ」
と言われ続けた。
姉貴もファミコンが欲しいと頼んだが断られた。
「我が家にファミコンは必要ない」
と親父は断固として許さなかった。
子供たちがお小遣いを必死に貯めて、買いたいとお願いしても、断固として親父はそれを許さなかった。
僕が高校を卒業し、川崎市で働き始めた頃、久々に実家へ戻ると、オカンの部屋で、弟がテレビに向かってファミコンをしていた。
「ファミコン、買ったんや」
と弟の背中に向かって声をかけると、後ろを振り返る事なく
「親父と一緒に行って買ってきた」
と彼はテレビの画面から目を逸らすことなく答えた。
僕は心の中で「もう高校生なんやから必要ないやろ」
とそう思ったが、長年の蓄積されたファミコン熱に無我夢中の姿態を見ると掛ける言葉はなかった。
その頃、姉貴は鳴門にあるリゾートホテルに就職してその社員寮に住んでいた。
もともと狭い教員住宅に5人で生活していたのだが、新しい家に引っ越してすぐ姉貴は高校を卒業することになる。
卒業と同時に就職してホテルの独身寮に入った。
僕の記憶が定かではないが、弟が高校に通っている頃に姉貴は1年間、沖縄の系列ホテルで働いていたようだ。
それからまた、鳴門に戻ってから、姉貴の行動力は、なかなか凄いものがあり、身近にいたオカンが一番よく知っているのではと思う。
アメリカのユタ州にある、英語学校に留学する段取りを1人で考え、それに向けて行動に移していく。
今でこそスマホがあれば、何でも調べる事は可能だが、当時の姉貴のバイタリティを想像だけだが、敬意を込めて書こうと思う。
まず、勤務しているホテルを親父の承諾を得て、辞めなければならない。
そこで登場するのが沖縄で知り合ったハーフの同僚である。
わざわざ沖縄からその同僚を実家に連れてきて、親父にホテルの勤務状況が、どれだけブラックであるかを酒を交えて説いた。
そして姉貴がホテルを辞めるのに、引き留めにくるマネージャーに対して、親父を味方につけて、強引に退職届を出すという荒技をやってのけた。
安かったであろうホテルの給料を、少しずつでも貯蓄して、留学の費用に当てた。
姉貴の周りにアメリカで留学した人間などいたのか分からないが、とにかく一人でビザを取り、入学と住む場所を決めて旅立った。
ちょうど姉貴がアメリカに行く頃、川崎で働いていた僕の陸上部が無くなるという、降ってわいたようなチャンスが巡ってきた。
会社は早期退職制度なるものを用意して、まだ3年しか働いていない僕に200万円の退職金を提示してきた。
しかも辞めてから1年間は、会社の寮に残っても大丈夫だという。
まだ20歳そこそこだった僕は、そんな条件に迷わず飛びついてしまった。
そうして一緒に辞めた先輩と向かった先は川崎駅前にある「HIS」という格安の航空券を売っている所で、
「来週から10日間、どこでもいいからお得なチケットを下さい」
と東南アジアのタイ往復チケットを三万円で手に入れた。そして何の準備もなしに2人は旅立った。
日本から出るのが初めての2人は、旅行の知識どころか英語も全く喋れなかった。
タイの空港に降り立ち、売店でリンゴを買おうとしたが、どう言って買えばいいのかさえ分からない。
「マイネーム イズ アップル」
キョトンとする店員にまじめな顔でリンゴを指差し、お金を渡して釣りを受け取り、買物を済ましてきた先輩を見て人間力の凄さを学んだ。
旅の話はまた今度に書くとして、姉貴と僕は一時期は就職して安定していたが、弟が高校を卒業する前に不安定な状況に陥っていた。
「これはファミコンをしている場合ではない」
反面教師ではあるが、大学に受かるために、猛勉強する弟のモチベーションになったのではないかと、勝手に思い込んで書いてみた。