スナフキンのサンダルを捧ぐ!③ 〜 カオサンロード 〜
灼熱の太陽と蒸れるような湿気が、僕らを包み込んだ。2人は日本から飛び出し、東南アジアのタイ王国に降りたった。
日本から出るのが、初めての2人は、旅行の知識どころか、英語も全く喋れなかった。
ドムアン空港の売店で、リンゴを買おうとしたが、どう言えばいいのかさえ分からない。そんな中、先輩は大きな声で、
「マイネーム イズ アップル」
キョトンとする店員に真顔でリンゴを指差し、お釣りを受け取る。ちゃんと買物を済ましてきた姿を見て、人間力の凄さを学んだ。
ムッと込み上げてくる熱気に、僕らはジャケットを脱ぎ捨て、空港の外に出る。するとバイクタクシーやトゥクトゥクのドライバーらしき男たちに囲まれ、
「どこに行くんだ、俺の車に乗れ!」
と執拗に付きまとってきた。しかし、なんとかバンコク行きのバスを見つけて、恐る恐るだが乗ることが出来た。
当時は2001年冬である。その頃のタイは、アジア通貨危機の影響でバーツが暴落しており、何を買っても安いイメージがあった。
僕らはバンコクのカオサン通りにある安宿に泊まった。そこはバックパッカーズと呼ばれる宿で、部屋に2段ベッドが2つ並んでいる。
この部屋には最大4人が寝ることになる。
到着した日、その部屋は佐藤さんと2人だけであったが1泊150円という衝撃的な値段に驚いた。
そして晩飯を食べようと外に出ると、色とりどりの屋台が、通りいっぱいに並んでおり、僕らは
「焼きソバとビール2本」
とジェスチャーのみで注文した。その合計は、たったの100円。
しかし、その焼きソバは、お世辞にもうまいとは言えず、一気にビールで流しこんだ。まぁ、この値段で文句を言えるわけがない。
2人は初めての海外旅行で、バンコクまでやってきて2日目の朝、先輩の佐藤さんが、
「マレー鉄道に乗って、行けるとこまで南へ、1人で行く」
と言いだした。僕はいきなり1人になることに戸惑っていたが、先輩は、
「9日後にドムアン空港で会おう!」
とドンゴロスを肩に担いで歩き去った。まるで、スナフキンが冬になると南へ旅立つように、風に吹かれていなくなった。
続