おい、福田!③ 〜 超ブラック自動車期間工 〜
高校の同級生である福田との再会は、2003年真夏の阿波踊りの最中にあった。
僕は上京して3年勤めた会社を辞め、オーストラリアまで行き、そこからまた実家のある徳島で、当時は大工の見習いをしていた。
その日はお盆に帰省した友達と阿波踊りを見ていた。崩れた浴衣を着て、見るからに酔っ払いの男が、目の前を通り過ぎた。
ふと、笑った感じが似ていたので、
「おい、福田!」
と声をかけた。すると男は振り返り、目が合った。これが5年振りの再会である。
人混みの中を掻き分け、福田の携帯番号を聞いて、その日は分かれた。
翌日、家の近くで会って、お互い近況の話をした。
彼は東京を離れ、岡山県で某M自動車の期間工を2年ほどやっていた。それは刑務所に等しい扱いを受けて過ごしたという。
そこは人里離れた山の中に、4階建ての団地が何棟も並び、その殆どが期間工の宿舎になっていた。毎日送迎バスで工場に連れて行かれる。
移動手段はそれ以外なく、何もしなければお金は貯まるというが、金の貸し借りや、麻雀、賭博が蔓延っていた。月に2、3件は自殺や暴行、盗難などの事件が、起きていたという。
また、売店の様な移動販売があり、アンパンなど甘い物が異常に高かった。コンビニで100円もしない菓子パンが、500円で普通に売られていた。
しかもそれらが、直ぐに売り切れになっていたのだという。酒を飲まない人間は、甘いもので欲求を満たすらしい。
敷地の周りに、有刺鉄線のフェンスが無いだけで、中は生き地獄のありさまであった。
彼の職場では、遅刻や無断欠勤には罰金の制度があり、福田は刑務所より劣悪な環境で働かされていた。
何とか2年の期間を終了し、退職金を貰って今度は大阪で働く事にした。家賃が2万円のマンションを借りて、彼は一人暮らしを始める。
そこで水道の浄水器の訪問販売の仕事を見つけた。そして福田の真骨頂であるマシンガントークを使って売りまくった。
岡山の自動車工場で2年かけて、貯めた額を大阪では、2ヶ月で稼いだという。話を聞いていた僕は、
「何で2年も工場で働いてたん?」
と尋ねた。彼は遠くを見つめて、
「禊ぎみたいなもんなんかなぁ」
と遠くを見て、答えを探す様に言った。
福田から禊ぎという、意外な言葉が出たのに驚き、僕は、
「お前でもそんな考えがあるんや」
と少し小馬鹿にした様に伝えた。しかし、彼は至って真面目な顔で、
「気分の浮く時と沈む時があるからなぁ、、、」
とまた遠くを見つめていた。
続