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愛犬キャットの話Ⅱ[親父の威厳]
キャットという名の大型犬の物語である。
オカンが怪我をしてから、親父がキャットを散歩へ連れて行くことになった。
自転車の前カゴに、野球のバットとボールを入れ、大型犬のリードを持ちながら、自転車を走らせる。どう見ても危なっかしい格好の散歩であった。
オカンが怪我をしたので、危険だから代わったはずの散歩は、さらに危ない形で親父に引き継がれていた。
キャットが我が家に来て3年で、僕は高校を卒業し、家を出た。さらに4年が経ち、弟も
「神戸の大学に行く」
と家から居なくなった。親父はまだまだ元気だが、怒る相手がオカンだけという、物足りなさを感じていたのではないか。
子供たちの代わりに、母方のお婆さんが泊まりに来るようになる。半年から1年毎に神奈川の伯母さんの家とウチの実家を行ったり来たりしていた。
祖母は80歳を過ぎても精力的に働いた。
「まだまだ若い者には負けん」
と夏の暑い日でも庭の草刈りをやり、土を耕し、野菜を育てる。
また、お婆さんはキャットにエサをあげたり家の掃除や洗濯など、とても懇親的であった。
お婆さんの育てた野菜をオカンが漬物にして作ったアテは、さぞかし美味かったであろう。親父の酒も進んだはずだ。
たまにだが、祖母が神奈川に行く時や、うちの実家に帰る際に彼女達3人は、
「親子水入らずの旅行」
を楽しんだ。大体は2、3日で帰ってくるのだが、その間の実家は、親父とキャットのみで掃除が苦手な親父が居間をぐちゃぐちゃにしていた。
旅行から戻り、余韻に浸ることもなく、散らかった家の片付けは、さぞかし大変だったと思う。
またオカンは、近所のうどん屋さんで、働いていた。弟が高校に入る頃からなので、十数年勤め上げたと思う。
ある日、僕はそこの店長と一緒にご飯を食べる機会があった。仕事をしないでフラフラしている僕に、
「お母さんと一緒にバイトでもどう?」
と心配して声を掛けてくれたのだ。
「オレはうどん屋になるつもりはない」
と、オカンの目の前で、無下に断る生意気な時期であった。
その頃、僕は気が向けばキャットを散歩に連れて行き、気が向かなければ、寝そべって遠くを見ているキャットの真似をして、部屋でただひたすら、遠くを見ていた。
いつの頃だったか忘れたが、庭の柵を飛び越えて、
「キャットが家出した」
と聞いたことがある。それは親父とオカン2人が必死になって探し回ったが、見つからず、4、5日して、ひょっこりとキャットは現れたという。
どこかに行きたい場所があったのか、はたまた自由を求めて彷徨っていたのか。
その数年後に同じように家を出て見知らぬ土地で彼は亡くなった。
真っ黒でツヤのあったキャットの体は、白い毛が混じりはじめ、最期は半分くらい白くなり、膿や目やにも出ていた。
普通は10年くらいが寿命と言われるラブラドール・レトリバー。
「我が家のキャットは18年」
という大往生を遂げた。
犬を飼って暮らしたい。これが親父の子供のころからの夢であったそうだ。
賃貸住宅では叶えられなかったが、自分で家を建て、庭を作り、連れてきたのがキャットである。
酒を呑み、時々おこる親父の癇癪は、もしかしたら、愛犬への威厳を示していたのかもしれない。
続
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