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日和佐町長 の話

今から30年程前のである。平成の太上天皇が徳島県南部に位置する日和佐町へ行幸に来られた。

当時の日和佐町では町をあげてのお祭り騒ぎの状況であった。(現在徳島県日和佐町は合併して美波町)

「こんな漁師町の片田舎に天皇陛下が来てくださる」

と誰もが胸を躍らせ、一生の思い出にひと目お会いしたいと大浜海岸へ集まった。

この海岸にはウミガメが産卵にやって来ることが有名で「ウミガメの町」をアピールしている。

また、大浜海岸の式典では日和佐の町長が、

「こちらが今朝、産卵を終えたばかりのウミガメでございます」

と陛下に満面の笑顔で説明していた。しかし、明仁様(あきひとさま)のお顔は物哀しい表情で、優しく町長にある事を告げたのであった。


遡ること2日前、町長は地元の漁師たちを集め、

「何としてでもウミガメを捕まえてこい、これは絶対命令だ」

と地域の有力者も同行して式典でのアピールに必死になっていた。

しかし、アカウミガメの上陸はそう頻繁にあるものではなく、必然的に漁師たちは、沖に出て網で捕まえることになった。

漁師たちは大船団を結集してウミガメを捕まえに行ったそうである。はるか南に下った太平洋沖で1匹のウミガメを捕まえた。

それがあの式典で登場したウミガメである。

一方、太上天皇は魚類学者として知られ、日本魚類学会に所属し、国外の専門誌にも論文が掲載されておられる。

よりによって、日和佐の漁師たちや、この町長は明仁様がウミガメにそれほど詳しいとは知るよしもなかった。式典の上で、身の程知らずを思い知る。

「こちらはアオウミガメのオスですね。このウミガメは浜に上がってくることはありませんよ」

この時、町長は手を震わせ、アオウミガメよりも、青い顔をしていたそうだ。

小声でコッソリと、周りに気を使い、伝えて下さった明仁様の人柄を語るエピソードである。

そして日和佐の町長に

「出来るだけ早く海に返してあげて下さいね」

とウミガメにも気を使っておられたという話である。


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