工業哀歌 ギザギザハートの陸上部④
今回は高校生活の部活について書こうと思う。約30名が陸上部に所属しており、その全員が長距離走を走る。県駅伝では16年連続で優勝しており、常勝軍団であった。
中学で1番走るのが速いと思っていた自分が1年の時は、補欠にも選ばれなかった。この7人がスタメンとされる高校駅伝について、まずは触れておこう。
毎年12月に京都で開催される全国高校駅伝は通称「都大路」と呼ばれる。1995年の第46回大会では5位入賞という快挙を成し遂げた。これは四国勢初の入賞ということで地元の新聞やテレビが大きく取り上げてくれた。
先にも述べたが僕は補欠にも入らなかった。この大会で仙台育英高校のギタヒという黒人留学生の圧倒的な速さに世間は度肝を抜かれる。
それは各校エースが走る1区の10キロ区間で2位と2分以上の差を付けてタスキを渡した。「ギタヒショック」は現場ではもちろんのこと、テレビを見ていた人々にとっても
「レベルが違いすぎる」
と感じたらしい。ちなみにギタヒは卒業してすぐのシドニーオリンピックでケニア代表となり、1万メートルで9位になっている。
ギタヒだけでなく仙台育英には何人か留学生がいてケニアやタンザニアからやってきた。僕の先輩から聞いた話だが、
「あいつら年を誤魔化してるんやで」
という。その先輩はギタヒと別の黒人留学生、ジョンと同じレースに出ていた。明らかに顔が高校生ではなく、大人に見えたので直接聞いてみた。
「ハウ オールド アー ユー?」
するとジョンは
「メイビー 18(エイティーン)」
と答えた。ちょっとメイビーって、と先輩は英語のできる生徒を連れてきて詳しく聞いた。彼らには日本のような戸籍制度がなく、サバンナといわれる草原で暮らしている。
ある程度の年齢で軍の学校に召集されて、生年月日がそこで決まるらしい。なので誕生日はむろん年齢も適当なのだ。
そんなサバンナを走っていた彼らに日本人の高校生が勝てるわけがない。例えば、江戸湾に黒船がやってきたようなもので、太刀打ちのしようがない。
この話の続きは、また今度に書くとして、最近YouTubeで当時の駅伝の映像を見た。若かれし頃のギタヒの走る姿は、サバンナで獲物を追いかけるチーターと重なって見えた。
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