タテ・ヨコのつながりの強さが自慢
村民インタビュー第8弾は、金野地区在住の岡本伸さんです。南北にあった小学校の統合により平成22年に閉校となった泰阜北小学校の最後の卒業生です。
泰阜北小学校時代
―――小学校の特色って何かありましたか。
伸さん:大体の人が歩いて通ってたんですけど、途中から段々人が増えていくんですよね。最終的には1年生から6年生まで一緒になって大人数で通うっていうのが結構楽しかったです。ほぼ全員名前と顔はわかりますし。
―――えー、すごい。学年を越えた交流の場とかもあったんですか?
伸さん:通学もそうだし「地区こども会」っていうのがあって、夏休みや冬休みに集まってカレー食べたり、そういうのはありました。
―――そうなんですね。今小学校は1学年1クラスですが、伸さんの頃は?
伸さん:僕の時もそうでした、ずっとそうですね。学年で15人とかでした。
―――私が小学生の時は3組とか4組とかまであったのでそれが新鮮で。ずっとクラスが変わらないのってどんな感じなんですか?
伸さん:ずっと一緒なんで、楽しかった。みんなのこと深くまで知れるし。あ、自分たち、統合する前の最後の卒業生なんですよ。
―――小学校の統合の時は、どんな気持ちでしたか。
伸さん:ちょっと寂しい部分はありましたね、母校がなくなるってのは。記念にタイムカプセルを埋めて、記念碑も立てました。
高校進学で松本市へ
―――高校進学で一度村を離れてるんですよね。
伸さん:松本に行きました。ここから車で2時間くらい。部活が強いところで野球をやりたくて、松本の高校を選んで寮に入りました。
―――村を出ることに不安や心配はなかったですか?
伸さん:その時はなかったですね。泰阜を出ることへの不安というより、そういう、人数が多いところに行く不安はありましたけど。人数全然違うし、やっぱり。
・・・さっきの嘘ですね、全然ありました、不安。(笑)
―――中学校までは1学年1クラスとのことでしたが高校は多いですよね。
伸さん:15クラスありました。全校で1500人とかいて。泰阜村の人口くらいいるところだったんで、多いなって。それはそれでいろんな人がいて楽しかったですけどね。
―――高校で、出身も様々な人たちに出会って気づいた泰阜の特徴ってありましたか?
伸さん:年齢を超えて仲がいいってのはあると思いますね。高校だとどうしてもクラスの人だけ、みたいになることもあったけど、泰阜では学校だけじゃなくて先輩後輩、地域の人とか、みんな顔も名前も知っててフランクに話せる人たちです。
就職を機に地元へ
―――高校卒業後は?
伸さん:卒業して、地元に帰ってきて就職しました。
―――地元に帰ることにした決め手はありましたか。
伸さん:私立高校だし寮だしでお金かかったから就職しようってのもあるけど、「いつかは村に帰ろう」「村に帰るもんだ」ってのは高校進学で村を出るときから自分の中にあって。「なんで」って理由はわかんないけど、最終的には泰阜に住まなきゃなってのはありました。
―――なるほど…。その感覚が、理解はできても共感はできないというか。関西・大阪は確かに好きだけど、「子ども時代を過ごしたこの地区」みたいな強い地元意識ってあんまり持ってなくて。
伸さん:多分、親も泰阜出身で家を継いでっていう人だし、同級生の親同士も泰阜の中学校の同級生だったりするので。「自分たちもそうなるんだろうな」っていう感覚だと思います。
泰阜村自慢!
―――金野ってどんなところですか。
伸さん:割と派手な地区な気がする、明るい人が多いというか。はっちゃけてる人、学年の中心人物になるような人も多いと思います。(笑)
地区の人数も多くて、「ソレイユ金野」っていうアパートがあって若い家族も多いしIターンで来た人もいるし。飯田市にも近くて便利ですよ。
―――最後に、地元自慢をどうぞ!
伸さん:ありふれたことかもしれないですけど、世代関係なく仲がいい。縦のつながりも横のつながりもある。そこが、自慢ですね。
***
特に理由もなく「選んだ」というわけでもないけれど泰阜村に帰って来た、と話す伸さん。それでもお話の端々からは泰阜村への愛着が感じられ、そこまでの地元愛を持っていない私からするとうらやましいほどでした。
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