ソングライティング・ワークブック 第197週:Juan Formell y Los Van Van (8)
この投稿で、今後当分『ソングライティング・ワークブック』はお休みします。
前回紹介した『Titimania』に付け加えて
歌の目的について。風刺的な面もあるけれど、堕落した公務員を批判するとか、そういうことではないだろう。ここでも、コンサートに来るオーディエンスを想像してみるといい。オールスタンディングで老いも若きも踊れるような状態だ。初老のオーディエンスがちょっとニヤニヤして踊るような様子が想像できないだろうか?
¡Ay Dios, Ampárame!
ヨルバの神々
奴隷貿易は人だけを連れてきたのではない。西アフリカの神様も連れてきた。かつてキューバには多くのヨルバ人(主に現在のナイジェリア、ベニン、トーゴなど、アフリカの西海岸にいるヨルバ語を話す人々)が奴隷として連れてこられた。だから、今はスペイン語しか話さないとしても、語彙としてヨルバ語の神々の名前は残っている。
Los Van Van の1995年のアルバム『¡Ay Dios, Ampárame!』に『Soy Todo』という歌がある。「¡Ay Dios, Ampárame!」は「おお、神よ、我を守り給え!」という意味で、この『Soy Todo(私はすべて)』には2つのモントゥーノがあって、2つ目のほうで繰り返しコロ(群唱)によってこの言葉が歌われる。
その神様はどうやらヨルバの神々(orisha、オリシャ)のようだ。歌詞には神々の名前がちりばめられている。概ねの日本語を付けておく;
「Soy arere, soy consciencia, soy orunia」が明るいFメジャーで繰り返されて、ひとつめのモントゥーノを形成する。ここまでは神さまの登場といったところだ。後半Dマイナーで群衆が「神のご加護を!」と繰り返す。これは主にオルニアに対してささげられているようだ。
ここから「キューバ人」という言葉が出てくる。キューバ人をお守りください、と言っているのだ。また、「Dale a la musica cubana fuerza-キューバの音楽に強さをお与えください」とも言っている。
最後に「SOMOS O NO SOMOS」というシュプレヒコールが繰り返される。「私たちは…であるか、私たちは…でないか」という言葉だけど、「…」にはキューバ人が入るのだろうか。最後の言葉は「dilo, como es, si, dilo cubano―言ってよ、どうなのか、そう、言うんだ、キューバ人と」としめくくられている。