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最期の瞬間に医師はいらない

 元高校教師の男性のお話です。実父が脳梗塞を発症し、自宅で逝くことを望みながらも病院で亡くなった経験から、その男性は「延命医療をせず最期は自宅で看取ってほしい」という自身のリビング・ウィル(生前の意思)を書き残していました。すると運命のいたずらか、父親と同じ65歳にして脳梗塞で倒れ、集中治療室に入りました。奥さんは本人の意思を尊重し、病院での治療よりも家族と一緒に過ごせる在宅での療養と看取りを望まれました。 
 私たちが訪問診療を始めて2週間たったある日、奥さんから一本の電話がありました。「先生、2時間くらい前に主人が息を引き取りました。来ていただけますか?」と落ち着いた口調で連絡があり、私はすぐにご自宅へと向かいました。
 奥さんは、しっかりとした表情で「毎日訪問していただき、よく診ていただきました。ありがとうございました。住み慣れた自宅で最期を迎えることができて、主人も満足していると思います」と言われました。死亡診断の後、「亡くなった時、どうしてすぐに連絡をいただけなかったのですか?」と私が聞くと、奥さんは「最期の時間は私と主人だけで過ごしたかったのです。主人とゆっくりお別れしてから、先生にお電話させていただきました」と言われました。
 病院では、患者さんが亡くなると、医師や看護師が死亡診断を優先し、場合によっては家族に部屋から出てもらい、心臓マッサージなどの延命処置をすることもありました。在宅医療においても、亡くなられたらできるだけ早く訪問し、死亡診断をすることが医師の責務のように思っていましたが、この時の奥さんの言葉で、自分の死亡診断に関する概念が覆されました。「最期の瞬間は本人と家族のためにあるんだ。最期の瞬間に医師はいらない」。私はそう確信しました。
 それ以降、「最期は医者を呼ぶことよりもご本人の手を取って、話しかけながら看取ってあげてください。ゆっくりお別れしてからお電話頂いたので構いません」とご家族へお伝えしています。ただし、「不安があればいつでも連絡くださいね」という言葉を添えて…。
 在宅医療では、患者さんが亡くなる瞬間に立ち会う機会は少ないですが、医師がその場にいることが重要なのではなく、最期のその時を家族水入らずで、大切に過ごしてもらうことの方が意義深いと思います。
 最期の瞬間はご本人とご家族のためにあります。住み慣れた日常の中で、人生の最期を迎える安らかな時間が一人一人に尊重されていくことを願っています。

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