「亡くなるまで食べる」ことの意味
四季録執筆を開始してから、毎回記事を切り抜いて保存しているとか、家族で記事を元に話し合っているとか、皆様からの嬉しい声がたくさん届き、その反響に自分でも驚いています。今回は、四季録がきっかけで診療が始まったケースをご紹介します。
神経難病で長い間在宅療養をされてきた南予の80才代の男性は、延命治療を希望せず、自然で穏やかな最期を望んでいました。ある時、自宅で転倒し、入院中に誤嚥性肺炎を起こしたため、食事ができず、点滴をしながら何回も吸引が必要な状態となりました。
松山に住む男性の娘さんは、私が書いた四季録を読み、「父にこんな医療を受けさせたい」とたんぽぽクリニックを訪ねて来られました。父親が、「家に帰りたい。帰れないなら死なせてくれ」とずっと言っているというのです。娘さんは、高齢の母親だけでは自宅での介護は不安だが、父親の意思に反してこのまま病院で最期を迎えるのは忍びないと言われます。私が当院で食支援をすることを提案すると、なんと、南予の病院から松山市の当院病床へ転院されてきました。
今後の方向性を皆で確認したところ、点滴や吸引をやめ、口から食べられるだけ食べて自然に看取ってほしいという意向は、ご本人・ご家族ともに明確でした。その後、点滴を中止すると、1日に10回程度していた吸引は、翌日には必要なくなりました。しかし、本人の意向とはいえ、本当にこの選択で良いのか、ご家族には迷いがありました。そのお気持ちを感じた私が、「食べたいものがありますか?」と男性に尋ねると、男性は「ウニが食べたい!」と即答されたのです。男性の嚥下検査の結果はあまり思わしくなく、食べれられる可能性はわずかでした。しかし、管理栄養士、調理士、言語聴覚士らが本人の食べやすい柔らかさに工夫し、食べることにチャレンジしました。すると、「おいしい!」本人のこの一言と笑顔に、ご家族は涙を流して喜ばれ、この選択に納得されました。
人生の終末期に食べられなくなり、点滴や注入せずに自然な看取りを行う時、それを見守るご家族は、本人の命を縮めたのではないかという葛藤に苛まれる時があります。医療的に食べることは難しいと診断されても、ご家族には、大切な人に好きなものを味わってほしいという思いが変わらずにあります。そんな時、医療を最小限にするからこそできる食支援の取組みが、ご本人には喜びをもたらし、ご家族の気持ちも楽にするのです。その後、退院し、自宅で望みどおり穏やかな最期を迎えることができました。