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誰のための医療なのか?

2011年東日本大震災で、災害支援をした時の話です。私は被災十日後に宮城県気仙沼市に入り、避難生活の中、通院できない高齢者のご家庭を巡回しました。寝たきりで悪化した床ずれ(褥瘡)を治療するプロジェクトの立ち上げに関わっていたのです。そこには、全国から在宅医療のプロフェッショナルや褥瘡治療の専門家が集まってくれました。情報のない中、一軒一軒訪問して対象患者を探し出し、褥瘡治療に当たりました。私たちは当時、在宅医療がまだ広まっていない気仙沼市に訪問診療の真骨頂を提供しているという自負を抱き、活動していました。
 ところが、しばらくすると家族からクレームが出始めたのです。それは「訪問する人が変わる度に褥瘡の処置が変わる。ひどい時には毎回違う人が来て、毎回違うことをして帰る」というものでした。プロジェクトに参加している医療者たちは、支援のために自分の仕事を休み、遠隔地からの交通・宿泊費も自腹でやって来た志の高い人たちです。なぜこのようなクレームが出たのでしょう?
 それは「自分が持っている最善の医療を患者さんに提供して帰りたい」という専門家のエゴにも似た善意によって、プロジェクト本来の目的を見失っていたからだと思います。プロジェクトは「褥瘡を治す」ことが眼前の目的ではありますが、一番の目的は「被災者のためになること」です。私はすべての職種が同じ方向を向いて患者さん・ご家族に関わっていけるよう朝夕のミーティングを提案しました。そして、多職種が連携し、方針の統一ができるよう工夫を重ねました。
 誰のための医療なのか?この大前提を見失ってしまうと、専門家の集団は往往にして、自身の専門性を発揮することだけに終始してしまい、時によっては、被災者の不安をかりたて、有難迷惑にすらなり得るのだと思い知りました。
 被災地で求められることは、被災した患者さん・ご家族が少しでも平穏に療養生活を送ることや、自宅でも納得のいく最期を迎えることです。その手段として、全国から集まった篤い志を持つ多職種が一つのチームとなり、患者さん・ご家族の物心両面をサポートするのです。医師も紙おむつを一緒に配りながら、自分たちにできることは何なのかを考え、行動するようになりました。
 現在も私は、在宅での療養生活を支援するにあたり、患者さんの症状緩和や生きがい、ご家族の心身の状態にも配慮した支援ができているかと、自問自答を繰り返しています。そして、私たちは医療を施すことを優先するのではなく、「患者さん・ご家族が幸せに暮らせているか」という視点を忘れることなく、関わり続けたいと思っています。

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