ブラックジャックの名言
大切な方がいよいよ最期を迎えようかという時、ご家族の出張や結婚式などで、どうしても「その日」まで本人のイノチを持たせて欲しいと求められることがあります。大切な方に一分一秒でも長生きしてほしいご家族のお気持ちは痛いほどよくわかります。しかし、大切なのは、自然な「死への過程」に抗わないことだと思うのです。
そんな時、私がいつも思い出すのは、手塚治虫の漫画ブラックジャック「時には真珠のように」の章に出てくる名言です。外科医本間丈太郎は、事故で瀕死だった少年時代のブラックジャックに手術を行いました。ブラックジャックにとって本間は命の恩人です。しかし、本間はブラックジャックの体内にメスを置き忘れるという重大なミスを犯してしまいました。
手術から7年後、メスは検査と偽って本間の手で秘密裏に摘出されました。その後、本間はブラックジャックにそのメスを送り、このことを隠し続け、思い悩んでいた罪を告白し懺悔しました。老衰に伴う脳出血、脳軟化症で臨終を迎えようとする恩師本間にブラックジャックが会いに行った時、本間は「老衰は治せん。治しても一時の気休めにしかならん。」と語りました。意識不明となった本間に、ブラックジャックは医術の限りを尽くした完璧な手術を行うのですが、本間が蘇生されることはありませんでした。打ちひしがれたブラックジャックに本間が遺したのは、「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」という言葉でした。完璧な医療を尽くしても、死すべき定めにあった本間の命は死を迎えることになったのです。
1990年にWHO(世界保健機関)「がんの痛みからの解放と緩和ケア」の指針の中で以下のように述べられています。「人が生きることを尊重し、誰にでも例外なく訪れる【死への過程】に敬意をはらう。そして、死を早めることも死を遅らせることもしない」と。
私たちは、生命の神秘を目の当たりにしたとき、医学や人間の力の限界を感じることがあります。今や、医療のある種の行き過ぎた行為は、人間から尊厳ある【死への過程】を、奪ってしまうことになりはしないかと危惧されています。死を間近にした方にとって、亡くなる瞬間に立ち会うことが大切な事ではなく、本人が穏やかに楽に逝けることがもっとも大切だと思うのです。本人はどんな最期を迎えたいと思っているのかに思いを馳せてください。「どんな医学だって、生命の不思議にはかなわん」という本間の言葉をかみしめながら・・・。