「治す医療」と「支える医療」
私は医療には「治す医療」と「支える医療」があると考えています。
私が医者になった頃、上級医から「患者が亡くなっても、ご家族の前で泣いてはいけない。ご家族が一番つらいのだから」と教えられました。今思うと、これは医者と患者家族との間にあえて一線を引くということであり、当時の医師には必要だったのかもしれません。それは「治す医療」だったと、今振り返って思います。
「治す医療」とは、患者を治し施す医療のこと。救急医療は、その最たるものだと思います。患者の命を救うために医療技術の粋を尽くして患者の命を救う。患者のケガや病気を治すことが最優先です。救命のため一刻を争う中では、患者の価値観や生き方を確認する時間はありません。
それに対して「支える医療」とは、患者を支え寄り添う医療のこと。在宅医療がまさにそうです。在宅医療は治せない病気や障がい、加齢に伴う心身の衰弱で介護や医療が必要になっても、その人らしく生きることを支える医療です。病気や老化は治せなくても、心身の痛みを緩和することはできます。患者さんは身体が楽になれば、やりたいことが出てきます。それが実現できるように応援するのも在宅医療の役目なのです。そんな患者さんやご家族と対話し、一緒に考え、悩み、時には泣き、喜び合うことが「支える医療」だと考えています。「治す医療」も「支える医療」もどちらも必要で大切だと思います。
ただ今後、多死社会を迎えようとする日本の社会では、加齢により介護や医療を必要とする人が爆発的に増えるため、治療を主体とする「治す医療」ではなく、その人の生き方に寄り添いながら暮らしをサポートする「支える医療」はさらに必要となってくるでしょう。
「治す医療」から「支える医療」へという考え方は、国の医療のパラダイムシフトの大きな方向性にもなっています。 そもそも「治せなくても支える医療」とは何でしょうか?
それは人は生まれたらいつか必ず亡くなることに向き合い、最期までその人らしくよりよく生きることを支援していく医療のことです。そして、この「治す医療」と「支える医療」の両方に大切なことは、医療者として患者に施すときも、医療の限界にある時も、「医療者が患者さんと同じ立場に立って考える」ということだと思うのです。
多死社会を迎える今、私たちは、患者さんに寄り添い、共に歩んでいくこの「支える医療」を進化させていかなくてはならないでしょう。