『ソードアート・オンライン』から学ぶラノベ発想方法!!
はじめに
川原礫先生の『ソードアート・オンライン』は『ハリー・ポッター』に比肩するレベルで認知度の高いライト文芸と言えるでしょう。そんな超メジャー作品をなぜこれまで構造解析のnoteで取り扱ってこなかったのか? それは『ソードアート・オンライン』がものすごく「ムズカシイ」商業作家の技術で書かれているからです。
創作初心者の方で『SAO』のような作品を書きたい、という方はたくさんいらっしゃいます。そして、作品を読ませていただくと……? そこに書かれているのは「設定」の羅列だったりします。
確かに『SAO』には膨大な「設定」が出てきます。ゲームの設定、ソードスキル、ナーヴギア、総務省……。さらにキリト・アスナといった主人公・ヒロインを中心とした、膨大な数のキャラクターたち、種族……。
『SAO』に憧れてライト文芸を書いてみたい、と思い立った方が「設定」を書き連ねてしまうのは、無理からぬことなのかもしれません。
しかし……。
いくら「設定」を書き連ねても、「作品」を書き上げることはできません。
もう一度言っておきましょう。
「設定」で「作品」は書けない!
これだけ世の中にファンタジー小説、ゲーム小説が溢れているのです。「設定」だけ聞かされたって、「はいはい、アレのパクリですね」以外に感想を持ちようがないではないですか。
そもそも、『SAO』に憧れてライト文芸を書きたい、と思ったのに、どうして「キリトとアスナ」というキャラクター抜きで発想できるのか?
キリトとアスナを抜きに『SAO』は成立しません。
『ソードアート・オンライン』シリーズのパッケージをざっと眺めてみてください。
表紙を飾っているのは〝何〟でしょうか?
ゲーム設定でしょうか? 魔法? 魔獣? ソードスキル?
――いいえ、キャラクターです。
僕のnoteでは度々、引用している『読書世論調査』の「本を選ぶときの基準」を改めて見てみましょう。
読者が本を選ぶ基準(読書世論調査)
1位 タイトル
2位 表紙
3位 原作本(アニメ化決定、映画化決定)
4位 話題作(10万部突破!100万部突破!)
5位 友人のすすめ
読み手は「設定」で本を選んでいないことがわかります。
「設定」はキャラクターたちを魅力的に見せるための「舞台装置」に過ぎません。
あなたは、舞台装置が美しい演劇を観に行きたいと思いますか?
それとも気になる俳優が出演している演劇を観たいと思いますか?
ちなみに、僕はエドワード・ゴーリーが美術監督を手掛けた『ドラキュラ』が好きです。
……と!
このような人間は玄人といいますか、ごく一部のファンに過ぎないはずです。
多くの読み手が『SAO』に夢中になっているのはキャラクターです。
「設定」ではありません。
このように論理的に考えていけば、『SAO』のような作品を書きたい場合、どうすればいいのかは必然的に見えてくるはずです。
なのに、なぜ創作初心者は「設定」を考えてしまうのか?
それは『ソードアート・オンライン』がどのような商業作家の技術で書かれているかを知らないから、わからないのです。
今回の構造解析では、技術的に『ソードアート・オンライン』を分析していき、あなたにも『SAO』のような作品を書けるようになってもらいたいと考えています。
※このnoteは13000字を超える分量で、他の構造解析noteよりもボリュームが有るため、600円という価格設定になっています。
小説というメディアについて
アニメや映画やゲームといった娯楽に対して、小説という娯楽は活字のみを綴って読解作業を強いられる、苦行のメディアです。
日本の人口は、2050年(30年後)には1億人を下回ります。ライト文芸が主なターゲットとしている、若年層は20年後には半分に減ります(約53%減)。
人口は減ることは確定している。
では、本を読む人の割合は増えているのか?
毎日新聞の読書世論調査2020によれば、全体で「本を読む人」は45%。「読まない人」は51%と、「読まない人」の方が割合として多いというデータが出ています。
活字を読むのがただでさえ苦痛なのに、面白くもない「設定」を読まされたら、読み手はどう思うのでしょうか?
「面白くない文芸作品」がこれ以上、この世の中にあふれることは、将来の読み手を殺していることにほかなりません。
『機動戦士ガンダムUC』などで知られる作家の福井晴敏先生は、『ミステリーの書き方』という書籍のなかで以下のようにおっしゃっています。
ドラマの流れより、敵味方のキャラクターの人生を追う構造にして、読者の興味を最後まで引っ張ることに留意した。(中略)実はこれができるのが小説の特性であり、他のメディアに対抗し得る最後にして最大の武器
この文章は『ソードアート・オンライン』の魅力をそのまま語っているかのようではありませんか。
『図書館戦争』シリーズの有川浩先生も文庫版の対談で以下のように語っています。
キャラクターの感情に寄り添って書く、というやり方は絶対に守り通さなければいけないと思っています。
キリトや、彼と関わっていくヒロインたちの心の動き、成長が「伝わる」。だから「面白い」と感じているはずなのです。
キャラクターに感情移入ができるから、夢中になって読み進めることができる。
いくら「設定」を考えても、感情移入できるようにはなりません。
キャラクターの魅力――彼・彼女が抱える悩み、不安、共感性を追求することは、小説でしか表現できないこと。
この大前提をみなさんと共有した上で、以下よりさらに『SAO』における設定=世界観について考えていきましょう。
設定=世界観の正体
『多重人格探偵サイコ』などで知られる大塚英志先生は『キャラクター小説の書き方』という書籍のなかで、以下のように述べています。
「世界観」とは読者がキャラクターの目を通じて「観る」世界でなくてはならない
また、大塚英志先生は『物語の体操』という書籍のなかで、「世界観設定」を考えるに比例して「学力」も問題になってくるのでは、と述べています。
「学力」=情報を精緻に調べ上げる力、です。
知識を頭の中で論理的に整理整頓し、体系づけていく作業は、「学力」が必要になってきます。概念や用語を定義づけし、関連付けし、比較・差別化していく。
この作業を、「学力」が低い――言うなれば、「学校の勉強が嫌でライト文芸を書いている」人が、「設定」を書き連ねることはできないのです。
ここでいう「学力」とは、「頭がいい・悪い」ということではありません。「好奇心」とも言い換えられるかもしれません。
最後まで好奇心・興味を維持し続けて、知識を探求し、それを「活字」で伝えることができる人が、「設定」を「作品」に昇華できるのです。
もしあなたが「学力」にコンプレックスがあるのであれば、「設定」よりも「キャラクター」に命を賭けましょう。
これには自戒が含まれています……。
僕はもともと、Production I.G.というアニメーションスタジオで文芸スタッフとして働いていました。
当時、Production I.G.は高学歴(東大、京大、早稲田卒)の脚本家やプロデューサーがたくさんおり、難解なSF設定などを構築していました。
アニメスタジオを退職し、フリーの作家になってそういったSF作品を書こうとしたとき、編集者に僕は言われたことがあります。
「君さ、東大いまから受けてきなよ」
……つまり、「東大卒の作家」という肩書があれば、僕の書いた「設定」を読んでくれるだろうが、お前は何者でもない、という意味です。
そういった経験もあり、僕は創作初心者には「キャラクター」を魅力的に描くことをおすすめしています。
あなたの普段感じている「鬱憤」を晴らしてくれるキャラクターは、あなたにしか書けません。あなたの感じている「鬱憤」は、他の人も感じている「問題」かもしれません。このとき、あなたは読み手に届く作品を書く可能性を手にしています。なんと生産的なことでしょう!
また、「設定」を考えすぎると「劇外を流れる時間」に問題が生じてきます。
『機動戦士ガンダムUC』では、ユニコーンガンダムというモビルスーツが登場します。しかし、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に登場する、νガンダムのパイロット、アムロ・レイのトレードマークも実はユニコーンだったりします。この関連性はまったく意図していないものだったそうです。
↑肩パーツや盾に、よーく見ると「赤いユニコーン」マークがあります。
↑ユニコーンを模したガンダム、ユニコーンガンダム
これはガンダム数十年余りの歴史のなかで膨大な設定が構築されてきたものの、そのすべてを作者側が把握できなくなってしまって、そのようなことが起こったのです。
「劇外を流れる時間」とは、僕が師事したアニメーション監督の神山健治さんが多用していた言葉です。
読み手は当然、はじめてその作品を目にするわけですが、キャラクターたちは読み手が読み始めた瞬間から生まれたわけではない、ですよね?
キャラクターが17歳だったら、作品に登場するまでに17年間、「世界観設定」のなかで生きてきたわけです。
でも、読み手は「世界観設定」をはじめて読むわけですから、「説明」が必要になります。
「この世界は、こんな魔法が使える世界なんだよ!」
と、キャラクターたちが語り始めた途端、読み手は「??????」と混乱します。
この違和感こそ、「劇外を流れる時間」の不在です。
よくドラマで、電話に出るシーンがあります。
「何? 二丁目で暴行事件発生? 被害者は大学生? わかった、今すぐ刑事を派遣する!」
……この会話の相手は、いったいなんと言っているのでしょうか? 電話に出てる人は、オウム返しに話しているのでしょうか?
読み手に電話の内容を伝えようとする余り、「劇外」、すなわち、電話の向こう側の会話を「考えていない」からこのようなことが起こります。
「設定」を積み重ねていくということは、自らキャラクターのセリフの難易度を上げていることにほかなりません。
その世界に生きるキャラクターが、ちゃんと作品外(劇外)で生きてきた時間を描かなければならないからです。
実は、これをやっているのが『ソードアート・オンライン』です。
デスゲームに巻き込まれたキリトたちは、第一巻の物語開始時点で、すでに2年に及ぶ劇外の時間が流れています。
そして、2年というゲーム内での歳月の積み重ねをちゃんとキャラクターを通じて描いているのです。
この「劇外を流れる時間」を「設定」で説明することはできません。
たとえば、キリトは第一巻冒頭で「攻略組に参加せず、孤独な戦いを繰り広げている」という、悲壮な決意が語られます。
これを「ベータテスター」という「設定」で説明しようとはしていません。
「ベータテスター」という「設定」はあくまで、キリトという「最強無敵」のキャラクターの「孤独」を描くための「背景」にすぎません。
「ベータテスターという設定なんだから、孤独なんです。わかるでしょ?」
……とはならないのです。
第一巻には「ベータテスター」としてどのような扱いを受けてきたか、という「劇外を流れる時間」がきちんと描かれています。
それがキリトというキャラクターを魅力的にする内的な欲求(【嘘】【ゴースト】)にもなっています。
※キャラクターについては後述します。
それでも「世界観設定」から発想したい方。
僕のもうひとりの師・押井守さんはこのようなことを映画監督のジェームズ・キャメロンに話したそうです。
(ハリウッド映画が魅力的なキャラクターから発想するのに対し)
「映画っていうのは、唯一、『世界観』から着想できるメディアなんだ。それこそ映画の醍醐味と言っていい」
『ブレードランナー』などの映画は、物語よりも、圧倒的な「世界観」によって魅了します。
自分の語りたい「設定」について、映画という媒体に着目するのもひとつの手かもしれません。
ちなみに、川原礫先生は漫画も書いていらっしゃいます。ラノベとして出版される以前に、先生は『ソードアート・オンライン』を何年にも渡って書き続けてきました。
「劇外を流れる時間」に説得力があるのは、そういった裏事情も関係していることでしょう。以下のリンク先は初期のSAOの雰囲気を味わえる、川原礫先生公式の同人誌です。SAO好きなかたはぜひチェックしてみてください。
「家訓」を決めて最後まで書き上げる!
創作初心者の方で多い傾向として、「作品を最後まで書き上げられない」というものがあります。
すでに作品を何作か書き上げたことがある方は、「そんなもの、最後まで書いたらいいじゃないか」、もっと言えば「作家になりたいんだったら最低限、最後まで書けよ」と言いたくなるかもしれません。
どうしてこのような事態に陥るのか?
それは何となく思いついた「設定」を書き連ねているから、このようなことが起こるのです。
作品を書くためには、「根性」が必要です。
別に僕は根性論をここで語るつもりはありません。
この「根性論」もロジカルに分析していきましょう。
「根性」とは、「最後まで書き上げる熱意」と言い換えることができるでしょう。
要するに、
書き上げられない=根性がない=大して興味のない題材(テーマ)だった
――ということなのです。
「好きで好きで仕方がないこと」であれば、寝食を忘れて書き上げることができるはずです。
「設定」の前に、「あなたが書きたいこと(テーマ)」が必要なのです!
ここで注意が必要なのが、「愛」とか「正義」とか、そんな抽象的なことを「テーマ」にしないということです。
諫山創先生は『ウルトラマン』のような作品が描きたくて『進撃の巨人』を生み出しました。
岸本斉史先生は『忍空』という忍者マンがのような作品が描きたくて『NARUTO』を生み出した。
いいじゃないですか、かっこつけなくて。
『○○』みたいな作品を書きたい――!
自分が好きで好きでたまらないことを、ハッキリさせましょう!
自分が何を書きたいのかわからないのに、作品を書き上げることができるはずがありません。
電撃文庫元編集長の三木一馬さんは、作家との打ち合わせではかならず「作家が書きたくて仕方がないこと」を決めるそうです。
これが「家訓」と呼ばれるものです。
『ソードアート・オンライン』では、川原礫先生の「ゲーム好き」という想いが溢れています。
(※川原礫先生は『ウルティマオンライン』がお好きだった)
「あのネットゲームの雰囲気を活字にしたい!」
自分が好きで好きでたまらないこと、自分が体験したことがはっきりイメージできる状態で作品を書き始めています。
これが、創作初心者と商業作家の明確な違い、でしょう。
自分は何を書きたいのか?
これを偽らないことです。
そして、『ウルティマオンライン』をプレイしていた川原礫先生は、知り合いのプレイヤーがゲーム内で出会い、結婚したことを印象的に編集者に語ったそうです(『面白ければ何でもあり』三木一馬・著)。
このゲーマー同士の結婚をきっかけに、『ソードアート・オンライン』を構想したのではないか。僕はそう思いました。
(※すみません、あとがきなどからの完全な推測ですが……)
世の中に「ゲーム」「異世界」「ファンタジー」「剣戟」といったライト文芸は溢れています。
しかし、第一巻で主人公とヒロインがゲーム内で結婚するというオリジナリティは、『ソードアート・オンライン』以外にありません。
ゲーマー(=非モテ)と結婚(=リア充)の意外性。
これは、ゲームをプレイしていた川原礫先生でなければたどり着けないアイディアだったはずです。
あなたが「好きで好きでたまらないこと」は、このようなオリジナリティを持っています。それは他の誰にも書くことができません。
『ソードアート・オンライン』のような作品を書きたいのであれば、まずはあなたの「好きで好きでたまらないこと」をハッキリさせましょう!
「書き上げる」ためには、「自分の好きで好きでたまらないこと」を見つける。
それを見つける方法に、「ハマっていた作品で語る自分史」があります。
幼稚園、小学生低学年・高学年、中学、高校、そして大学……。
それぞれの時期で自分がハマっていた作品、好きだった作品を列挙するのです。
そうして、「自分が好きな作品傾向」を見つけ出して、「あなたの書きたいもの」を見つけ出してください。
ちなみに、『異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術』では物語冒頭、プレイヤーカップルを主人公の魔王が嫉妬から倒してしまいます。
同じゲーム題材の作品だが、『SAO』とは違うんだぜ!ということを、冒頭であえてやっているように思えます……。
むらさきゆきや先生はつまり、『ソードアート・オンライン』を構成するオリジナリティの部分をちゃんとわかっており、そことの差別化を図っているのです。
キャラクター(SAOの核の部分)
ここからは『ソードアート・オンライン』に登場する主要キャラクターを分析していきます。
ライト文芸におけるキャラクターというのは、「まんが・アニメ的な記号(アーキタイプ)」として描く必要があることは、すでに他のnoteでも述べてきています。
では、『SAO』においてはどのようなアーキタイプが使われているのかを見ていきましょう。
キリト/桐ケ谷和人
キリトのキャラクターアーキタイプは「最強無敵」に分類されます。いわゆる、「俺TUEEEE!!」というやつです。最近はあまりこのような言い回しはしないので、僕は「最強無敵」と呼んでいます。
「最強無敵」は『ハリー・ポッター』シリーズのハリーがまさにこのアーキタイプになります。
「最強無敵」はズルいくらいに強い。
言ってしまえば、努力もしてないのに、強い状態。
「なんでこいつは最初から無敵なんだよ!」とツッコミを入れてくるというのは、近年のライト文芸、そして、生まれながらにしてヴォルデモート卿を倒したハリー・ポッターの物語に親しんだみなさんなら、いないことでしょう。
キリトは1巻の段階ですでに100階層あるダンジョンんの74階にいるハイレベルのプレイヤーであり、ユニークスキル《二刀流》を持っています。
「努力して強くなっていく物語が書きたいんだ!」という方は、降り注ぐ雨に「晴れの日が俺は好きなんだ!」と叫ぶようなものです。
商業的に成功しているライト文芸作品――ハリー・ポッターを筆頭に――最初から「最強無敵」な主人公が爽快なバトルアクションを繰り広げています。
たしかに『アリシゼーション編』ではキリトはレベル1から再スタートします。
それでもあっという間に整合騎士という最強レベルの敵と渡り合うまで強くなります(最短コースで強くなる)。
活字のみを綴って伝えなければならない、小説というメディアにおいて、どのように読み手を楽しませることができるのか?
その答えのひとつが、「最強無敵」なのです。
この作品は主人公が「努力」してレベル1からスタートする物語です。
しかし。
レベル1からスタートするのは聖騎士としてであって、実は暗黒騎士としては「最強無敵」です。
このように、「努力を描きたい」という場合にも、「最強無敵」の要素をどのようにキャラクターに盛り込むかが重要になってきます。
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