抱きしめて欲しい
雨の降る日は、やけに眠たい。
雨の降る日は動物はお休みなのだ。晴耕雨読、と昔から言うではないか。ざあざあと冷たい雨が降るのを、屋根の下から眺めて、土と水滴の会話を聞きながら本を読む。
すると転寝がいつの間にかやって来て、僕は睡気の靄の奥から誰かの囁く幻想的な物語を聞く。
朝はやけにお婆ちゃんの信じていた迷信話を、大切に大切に引き出しにしまっていて、時々それをそっと取り出して僕に手渡す。それは芸術家たちにとっての、インスピレーションとよく似ている。
暗い所で本を読むと目が悪くなる、というのもそれのひとつだ。朝はそう言いながら、部屋の電気を静かにつける。
「ご飯を食べてすぐ横になったら、牛になるよ」
ティーシャツで体育座りをしながら、テレビを見る朝は僕にそう話しかける。僕は、うん、と生返事をして本の内容から思考が離れるのを見つめていた。
「朝って普段すごく理論的なのに、そういうお婆ちゃんたちの迷信をすごく信じているよね」
「おばあちゃんたちは、先人たちの経験に基づいてそう言っているの。目上の人のアドヴァイスは莫迦にせず、素直に聞く方が得策だわ」
「ほら、もう牛になりつつあるわよ」
朝に言われて足を見ると、僕の足は白と茶色の斑が出来ていて、足の指先が蹄に変わっていた。
え。本当に驚いた時には、大声っていうのは出ないものなんだな、と僕の脳は僕の焦りを尻目に冷静に考えている。じゃあ、僕のこの焦りは、どこで感じているんだ? 脳じゃないとしたら、一体どこで。
「大丈夫。君が牛になったとしても、殺して食べたり、狭いところに閉じ込めたりしないわ。沢山の草があるところへ連れていってあげる」
朝はにっこりと笑って、僕に近づいて首のところを撫でる。洗濯のし過ぎで薄くなったティーシャツから、日常用のブラジャーの線が透けて見える。
夜の二十三時頃に、二人でよく行った小さなカフェを思い出す。ホテルのエントランスを兼ねたカフェで、モノクロで静かで寂しくて、暖かい異国のカフェみたいな雰囲気で二人とも気に入っていた。
こんな足ではもう、あのカフェには行けないかな。
椅子が高くて、足を椅子の足置きのステップに載せなきゃいけなかったから、蹄だとぐらぐらしてしまいそうだ。
朝はよくあのカフェにも、今着ている薄くなったよれたティーシャツとサンダルで行っていたのではなかったか。それがなんだかとても格好良かったのだ。僕なんてとてもお洒落して行っていたのに、朝はいつも自然体でさらりと、なんでも軽くこなしてしまうのだ。
身体を起こしても、牛化は止まらなかった。隣の部屋からテレビの音か、子供の笑い声か、夫婦の話し声か、何かが聞こえる。それの正体が何なのかを見極めるには、壁が厚すぎるけれど。
接続詞で繋がれた単語と単語。行の隙間に言いたい事が身を潜めて、真実はいつも伝わってくれないままだ。解像度の低い古びた写真のように、ぼやけた真実。
人生はいつどうなるかわからないから、面白いのだけれど、いつどうなるかわからないから、恐ろしくもあるのだ。
どうしたら、もっとクリアに後悔なく過ごせるのだろう?
昨日まで、というより、さっきまで自分が牛になってしまうなんて思っても見なかったのに、もう僕の下半身はすっかり牛のそれだ。朝の笑い声が柔らかく、部屋の床に沈む。
もう本の内容は入ってこない。言葉が徐々に単なる記号へと変化していくのがわかる。ああ、モーすぐ僕は牛になるのだ。
牛になったら、何をして生きればいいのだろう。
都会のこの狭いアパートでは、牛になった僕は暮らしてはいけないだろう。森の中で暮らすのだろうか? それならば湖の近くがいい。水と食べ物が豊富にあれば、生きていけるから。水面に反転した百日紅の木がゆらゆらと揺らぐのを、一日中見つめていよう。
牛も何かを考えるのだろうか。牛は本は読めないだろうな。
雨は? 雨の日は一体、どうすれば良いのだろうか。牛は、雨の日はどこに居るんだろう?
それに、牛は群れで行動する生き物だろう? でも日本に畜産農家の経営する牧場以外に、牛の群れと出逢える場所なんてあるだろうか?
牧場に連れていかれれば、僕はきっと殺されて食べられるだろう。見ず知らずの人間たちに。雄で牛乳も出ないし。
朝が撫でる背中にふさふさで少し固い毛が生えて来て、じょりじょりと音を立てる。
さきほど食べた夕食が、反芻されて口の中に戻ってくる。僕はそれをゆっくりと噛み始める。もう何の疑問もない。ただそこには僕の命があって、朝の手の柔らかさと、テレビの五月蝿い雑音があるだけだ。
エルエルビーンの上着が、彼女のお気に入りだった。男物の少しサイズの大きな、くしゃっとした古着。
ざらざらした手触りの袖口から覗く、彼女のすべすべの指先を握るのが僕も好きだった。
夏の匂い。どこか遠い、昔の日から訪ねて来た匂いに優しく話しかけられて、いつだって別れはどんどんと辛くなった。
だから僕は最終電車が嫌いで、だからといって何も話せなかった。悲しみを認めれば悲しみが余計に酷くなるだけだから。
あの夜からやってきた僕たちは、何百回のおやすみを通り過ぎて此処まで来た。
愛することは執着することに似ていて、けれど愛することは手放すことでもあるのに、僕はずっと手を離すことが出来ずにいる。
朝を失うことが怖くて、その癖に一瞬一瞬を大切にすることも出来ずにいた。
夜に口笛を吹くと、朝はいつも厭な顔をした。
「夜に口笛を吹くと、蛇が来るよ」
足下を本当に小さな白蛇がにょろにょろと通り過ぎて、それでも先進国家に住む現代人たる僕は鼻で笑った。
「蛇が来たから、なんなんだ? 蛇なんて怖くもなんともないさ」
強がりは強さの証拠じゃない。
わかっていたって、僕たちは強がる。怖いんだ。弱いまま生きるのが。畏れながら生きるのが。裸足のままで大地を歩くことが。
電波を飛ばして、繫がっているように見せかけて、どこにも繫がっていない僕たち。
けれど静かに深呼吸をすれば、好きな人と手を繋いで眠れば、本当のことにはいつでも気付けるのだ。
本当はワイファイがなくとも、僕たちは繫がっている。
宇宙の中に僕らがいて、僕らの心の中に宇宙があって、僕たちはどこまでもどこまでも繫がっている。始まりも終わりもなく、ただ連綿と続く生命の中で呼吸をしている。
弱さを認めるのが怖くて、誰かを傷つけて虐げることで安心し続けて来てしまった僕たちも、何かを愛することによって自分の過ちを反省することが出来るかもしれない。
ざあざあと雨が降って、神々が舞い踊る。祭りが始まる。
雅楽と揺れ動く袖。循環する仕組みが笑い、喜び、叫び、エネルギーを振り回して踊る。
朝は牛になった僕の首に紐をかけて、それをゆっくりと曳いて街を抜ける。近所の静かな森まで、ゆっくりゆっくりと歩く。
人々が驚いて振り返る。僕だって自分のことでなかったら、好奇心と興味にひかれて振り返るだろう。
こんな都会の街に、牛?
雨が蹄や毛皮を濡らす。
「私だけ傘入って、ごめんね」
朝が小さな声で僕の耳に話しかける。僕は大丈夫、と言ったつもりだったが、もおお、と言う音しか出ずに、また数人のサラリーマンたちが驚きと恐怖を顔に貼付けて振り向いた。
森に到着して、水滴に濡れて青く繁る木々の中で、朝は僕の濡れた毛皮を撫でた。
「さあ、どこにいこうか」
僕ら二人に行く宛などなかった。どこにも行く場所などなかった。此処も森とは言え、自然公園の管理する森だ。大きな牛がいたら、すぐに見つかって通報され保健所行きだろう。
八方塞がり。行き場のない旅は息苦しく生きとし生ける僕らの愛を、いきなり切なく悲しい憤りへとすり替えてしまう。
勿論公共機関は使えない為、僕と朝はずっと続く道を歩き続けた。僕は時として物理的にも比喩としてでも道草を食い、朝を待たせた。朝は一日一食しか食べなかったので、元々痩せていた身体が更に細くなり、言葉数も少なくなっていった。
僕は朝を背中に乗せて歩いた。朝が歩けなくなったから。久々に触れる朝の身体は少し骨張っていて固く、驚くほどに軽かった。
朝は僕の背中で小さく呼吸をした。すう、すう。朝の呼吸によって動く彼女の小さなお腹が、僕の大きくなった毛むくじゃらの背中に触れて僕は愛おしさと切なさに苛まれる。
牛になっても彼女が傍にいてくれている幸福と、もう人として彼女に触れ彼女と愛を交わすことが出来ない切なさ。
世界に人は沢山溢れていたが、僕にとっては僕と朝二人きりだけだった。
愛はいつも寂しさを埋めてくれ、そして同時に孤独を際立たせた。それが愛というものが持つ特質だったから。
通りすがる誰かの家のベランダから、洗濯物の馨りがしてくる。柔軟剤の匂い。眠る朝の輪郭の内側で呼吸をする、小さな宇宙。
大きな大きな橋を渡った。下を流れる川の水音が、轟々と耳に届く。それは朝の呼吸音と一体となって、僕の律動の調子を決定する。愛に因る支配。
夕焼けが地平線に沈み、世界を焦がして行くのを眺めながら、僕は何億兆歩めかの一歩を踏み出す。どこに行けばいいのかもわからないまま、どこかに行く為に。
人は住む場所を殖やし過ぎた。陣取り合戦はまだ続いている。不動産、土地転がし、壁が遮る他との繫がり。
過去にはそれぞれの住処があった筈だ。人には人、獣には獣の。人は山を切り崩し、森を伐採し、土をアスファルトで埋め、多くの存在の家や食糧を奪った。
今の僕にはそれがよくわかる。この国はどこに行っても人の社会で、牛の僕が安心して暮らせる場所なんて数えるくらいしかないから。
僕と朝は歩き続けた。アスファルトが熱を吸って、蹄を痛めつける。土だったら歩きやすいのに。人間も靴を履かずに、自分たちの作ったこの地面を歩いてみれば良い。太陽光を放出しないこの無機質な地面は、地球の呼吸を止めているだけではなく、生き物の足の裏さえ傷つける。
半端な科学が世界を照らし、なんでもかんでも明るみに出してしまったから、闇は居場所を失って光の下にぞろぞろと出てくる。しかし闇は光の下であろうと、人々の視線から隠れる。それが闇が闇である所以であり、闇の性質そのものだからだ。
しかし闇は闇の居場所を、失ってしまった。
我々は違うものであり、違うものは同じものにはならない。その境界線を暈して、全てを一緒くたにしてしまったところから間違いは始まっていたのだろう。
夜が来て、また朝になる。朝は僕の背中の上で世界と僕の軋轢によって生まれる振動を、その細い身体に吸収し続けていた。
やがて僕も疲れてしまって、丁度良い森の中に這入り込んで、前足と後ろ足を畳んで地面に座り込む。もおお、と声をかけるが、朝はもう何も答えてはくれない。三日程前から呼吸する音も聞こえなくなった。
静かな朝を背中に乗せたまま、僕はひんやりとした土の上に座っている。朝露が僕の毛皮を濡らす。木々の隙間から鳥の鳴き声がして、小さな蟲たちが一生懸命に僕の身体を這い回る。
僕は尻尾を左右にふり、小蠅を追い払う。朝に蟲が群がっては大変だから。
僕は数日、そのままでいた。僕のまわりに蒼蒼とした草が、生い茂ってくる。瑞々しい命に囲まれて、僕は静寂と朝と転寝をする。
靄の向こうで、誰かの囁く幻想的な物語が聞こえる。
少し体勢をずらした時に、朝の身体を地面に落としてしまった。もう僕の蹄では朝を僕の背中に戻すことは出来ない。蟲たちが彼女の身体にそっと寄り添って、彼女を神々のもとへ還す手伝いをする。
寂しいけれど、暫しのお別れだ。
借りたものは還さなければいけないから。僕に無限大の喜びを与えてくれた、美しい魂の容れ物。尊い抜け殻よ。さようなら。
僕もこの容れ物を、そのうちに神様に還す事になるだろう。貰った時とは違う形態だけれど、許してもらえるだろうか。
湿地帯の湿った地面が、ひんやりと悲しみを癒す。蟲と植物が朝を食べ尽くすのを、じっと見つめていた。
晴れた空から降る、糸のような雨。光の線のような蜘蛛が、目の前を歩いて行く。
さあ、さあ、さあ。雨音は柔らかい。
雨の降る日は、やけに眠たい。瞼が重たくなって、光に包まれる。遠くで朝が笑っているのが見える。
洗濯のしすぎで薄くなったティーシャツ。柔軟剤と夏の匂い。
抱きしめて欲しい。どうか、僕を抱きしめて欲しい。
寂しかったよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?