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気付けば

 チャイムが鳴って、やってきたのは未来だった。
 と、言っても私と未来は誓って知り合いなどではなかったし、未来の読み方はミキでもミクでもない。ミライ。読んで字の通りの未来がきたのだった。
 未来は自分のことを漠然としていて、抽象的で、どんな形にも変容出来ると言っていたが、私のところにやってきた時には彼はきちんとした輪郭を持っていた。流線型の体格、痩せ過ぎも太り過ぎもせず、目尻は下がり、口角があがっている。目尻と口の端がくっついて、ひとつの円になってしまうのではないかと思う位に。
 抽象的なのに輪郭を持っているとは大いなる矛盾だね、と私が皮肉ると、真実は現段階の貴方達には理解出来ず矛盾に見える時がありますね、と未来は笑った。こいつは困った、狂人が家にやってきた、と私は思ったものだ。

 では、なぜその狂人を私は家に招き入れたのかというと、その理由は自分でも定かではない。自分で言うのもなんだが、私は都心にある大学で教鞭をとっており、人よりも理性的、冷静、頭脳明晰な人間であるつもりだ。その私が自分を未来などと名乗る狂人を、我が家に招き入れた。理解しがたい事実だが、事実は事実だ。
 彼の言う「真実は私たちには理解出来ない」という言葉が、癪に障ったのかもしれない。我々現代人の知能を持ってすれば、わからないことなど皆無に近いのだから。今はまだわからないことも、我々は解き明かせるのだ。
 未来はお邪魔します、と言って妙ちきりんな靴を脱いだ。ひどく妙ちきりんな靴。これは何で出来ている? 草か? 木か?
 「その靴ですか? そうか。二千二十年にはまだ無いのか」
 未来はにこにこと笑って、私の横まで来て、私と同じように玄関をじろじろ見つめた。
 「その靴はね、人の皮で出来ています」
 未来がそう言ってにこにこと笑ったので、私はぎょっとした。もしかしてこいつは本当に狂人で、連続殺人犯か何かなのかもしれない。そういえば昔、殺した死体を加工してランプシェードやブレスレットや椅子などを作った犯罪者がいた筈だ。なんて言ったのだったか、あの男は?
 「エド・ゲイン。アメリカ、ウィスコンシン州バーノン群出身。その男は、そんな名前でしたね」
 未来はにこにこと微笑んだまま、殺人犯の名前を口にする。
 ああ、やはりそうだ。過去の猟奇殺人鬼に憧れた病気の野郎が、自分も人の皮をなめした靴を作りたくてやってきた。私はサイコ野郎をまんまと家におびきいれた、間抜けで莫迦な被害者、こいつが帰る時にはこいつの新作の靴になるのだ。
 怯えて冷や汗をかく私の横で未来は顔を顰めて、「想像力が豊かなんだか、なんなんだか」と小さな声で言った。
 「冗談ですよ。この靴は植物由来の新素材で作られています。地球にも優しい、人の足にも優しい。しかし、この靴が人の皮で出来ているからといって、何故そんなにショックを受けるんです?」
 未来は不思議そうに、玄関をじろじろ見つめている。
 「人を殺して、皮を剥いで、それで靴を作るなんて常軌を逸している発想だ。そんなこと、考えるだけでも禍々しい」
 「では、これは一体何で出来ています?」
 きょとんとした未来が指差した先には、私の出勤用の牛革の革靴が踵を揃えて行儀良く置かれていた。

 私が渋々リビングへと招き入れると、未来はわあわあと大騒ぎをしはじめた。あちらこちらへ飛び跳ねながら、家の中の様々なものをじいっと見てはきゃっきゃと騒いでいる。
 「やあ、これがテレビか! はじめて見たぞ! 良かったなあ、やはりこの時代に来て。これはどう使うんです? あ、リモコン。これが! プラスチックとゴムか……つける。つかない? あ、こっちの赤いボタンですか? つける……ついた!」
 テレビの画面がつき、ニュースが流れる。最近は暗いニュースばかりだ。殺人、横領、政治献金、感染病、経済危機……未来は真っ暗に思えるな、と私が顔を顰めた時、未来の叫び声が聞こえた。
 「ちょっと! やめてください! 変な事を考えるから、こんなことになってしまった!」
 大騒ぎをしている未来を見ると、彼は墨でもかけられたように真っ黒で、よく見るとまわりにヘドロのようなドロドロがついている。一体なんなんだ? さっきまでこんなじゃなかったのに。こいつは一体なにが目的なんだ?
 「あなたが未来は真っ暗だとか言うから、全ての問題が僕らに押し寄せて来た! あーあ、こんなに汚してしまって。考え直してください。未来は明るいと。今すぐ、早く!」
 未来はドロドロをつけたまま、ぐんぐんと近づいてくる。私はその剣幕に気圧されて、未来は明るい、と声に出した。
 その瞬間にドロドロは消えさり、未来はばあと輝きだした。買ったばかりのLED電球のように、とても眩しく。
 「良いですか? あなた達の意識は未来と直結してるんです。忘れないでくださいね。あなたが変われば、僕も変わるんだ。軽はずみな思考で我々を困らせないでください」
 未来は憤慨したように溜め息をついて、それからお腹が減りました、と私を見る。私が何を食べたい? と尋ねると、彼はにこにこした笑顔を取り戻し「木の実や、野菜。または果物をいただけますか?」と言った。
 冷蔵庫の野菜を取り出すと、彼は匂いを嗅いで、また顔を顰める。なんと扱いづらい未来だろう。次はなんだと言うんだ。
 「薬の匂いがします。これってもしかして蟲も獣も食べないっていう、農薬野菜というやつですか?」
 「さあ。そのへんのスーパーで買って来たものだからな。知らん。厭なのか?」
 「厭というか……蟲や獣でさえ食べないものは、食べ物じゃないでしょう」
 「じゃあ、食べなくて良い」
 「食べなくて良いというより、あなたも食べない方が良いですよ」
 腹の立つ未来だ。世界は広大で、政治家やその道のプロたちが決めたことで成り立っている。我々消費者はそれに従い、ただ与えられるものを食べるのみだ。農薬? 革靴? それがなんだっていうんだ? 仕方の無いことだ。どうしろっていうんだ。
 未来は自分の髪の毛をふわふわと手で触りながら、テレビのニュースを見ている。テレビの中では相変わらず暗いニュース。世界的経済危機。失業者の増加。国債が増え、貧困が加速していく。
 「ふうん。こんなお粗末な手法の詐欺だったのか。まあ手品でもなんでも、種が明かされなければ魔法に見えるものな」
 未来はそう言って、ふいっとテレビから顔をそらした。部屋の中を歩いて、ランプシェードや、机の素材、椅子の手触り、クッション、たこ足配線、窓硝子をしげしげと見つめて、触ったり軽く叩いたりしている。
 「まさしく令和レトロ、って感じだな。この雰囲気は好きだなあ。馬鹿馬鹿しい事も多いけれど」
 「あのな、さっきから厭なことばかり言ってるが、そんなに未来は素晴らしいのか?」
 私は新聞を広げてから、煙草に火をつける。苛立ちを抑えないと、また未来がドロドロになり部屋を汚されてはかなわない。
 「そりゃあ、もう! 未来は素晴らしいってことを、僕は教えにきたんです。旅行ついでにね。未来は明るくて幸福で、皆が歓ぶ世界になる。そしてその未来を作るのは、あなたの意識だ。あなたたち、ひとりひとりの意識なんです。さっきも言ったでしょう?」
 「そんなに素晴らしいのか。お金にも苦労しなくなるか?」
 「お金! なんて言いました? お金だって? お金のことなんて考えもしなかったな! ああ、可笑しい! 全く過去の人達といったら。心配しないでいいです。心配しないでいい」
 未来はけらけらと笑って、まるでとてもおかしな冗談を聞いたように笑い転げ、涙を拭きながらやっとのことでそう言った。
 「お金の何がそんなに可笑しいんだ?」
 私がそう質問すると、未来はぴたりと笑いをとめて、今度は私をしげしげと見つめる。ふうん、そうかあ。そうなのか。
 一人で何かを頻りに納得し、なるほどなあ、と言って窓をあけた。
 春風がびゅうと吹いて、家の中に入ってくる。新聞がはためき、煙草の灰が飛ぶ。
 「おいおい、風が入る。窓をしめろよ」
 「気持ちいいじゃないですか! 灰は後で掃除しますよ。新聞は小さく畳んで読むと良い」
 全く、なんて奴だ……酷く横暴じゃないか、未来って奴は。
 「あなたはお金というものを信仰しているの?」
 「信仰? 信仰の対象なんかではないさ」
 「じゃあなぜそんなにお金のことを心配するんです? あなたが未来について質問する時に出た言葉は、環境問題や自然のこと、動物たちのこと、自分たちの健康や食の安全のことよりも、お金のことだったじゃないですか」
 未来はあっけらかんとした顔で、部屋の中をてくてくと歩く。あ、お水! と言ってミネラルウォーターを飲ませてくれとせがむから、私は頷いた。彼は戸棚からマグカップを出して、そこに水を注いで水を拝んでからごくごくと飲んだ。
 「だってお金が無くちゃ生きていけないじゃないか」
 「はあ、美味しかった! お金がなくちゃ生きていけないって? 本当にそうかな? お金があれば、生きていけるの?」
 「そうだ。その水だってお金があるから、買えたんだ」
 彼は驚いた顔をして、水をじっと見た。
 「水も買うのか? そうか。それは驚いたな……水は誰から買うんです?」
 「スーパーとか、そういうところさ」
 「違うよ、そうじゃない。それは仲介業者のことですよね。僕が言っているのはね、【水の生産者は誰?】ってことです」
 水の生産者? 水は誰も生産出来ない。わき水を汲んできて、運ぶ人がいるんだ。殺菌する人もいるだろう。その人件費がかかるんだろう。私は徐々に混乱していく。
 「そうか。では水を売っている人たちは、何故お金が必要なのでしょう?」
 「だから言ったろう? 食事をしたり、自分たちも水を飲んだり、洋服や靴を買ったり、家を借りたりするのに使うんだ」
 「要するにお金っていうのは【代わり】であって、一番大事なのは水や食べ物、洋服や靴や家、ということでしょう?」
 未来はマグカップに水を入れながら、話し続ける。
 「水が汚れて飲めなくなったら、お金があってもなくても一緒ですよ。食べ物が無くなっても、一緒。地球の資源が無くなったら、お金なんて単なる紙切れです。なのに、あなたたちときたら、開口一番に『お金の心配はしないでもいいか?』だなんて。変だと思わないんですか?」
 私は混乱していく。この男の言うことは変だ。危険だ。金銭は素晴らしいシステムで、人々が平等に労働を対価に変換でき、何不自由なく暮らす為の素晴らしい発明品である筈だ。
 未来はにやにやと私の頭の上の方を、じいっと見つめて水をぐいぐいと飲む。彼は一口飲んでは、何かを水に話しかけている。奇人。
 「そうか。金銭は素晴らしいシステムか。じゃあ、そのシステムについて考えてみましょう。金融のシステムが素晴らしいものであるならば、何故こんなに貧富の差は激しくなっていくのでしょう? 豪邸に住み、食べきれないほどの食べ物と宝石と車に囲まれる人々と、家も飲み水も学校も医療もない人々がいるのは何故ですか? スポーツ選手が何億円も稼いで、人々の食べ物を作る農家が貧しい暮らしを余儀なくされているのは?」
 「大金を稼いだ人々は、それだけ投資をし、努力をしたのだ」
 「努力したことは認めましょう。しかしそれは行き過ぎた報酬ではないですか? あなたは世界に良い影響を与えたいと、ご自身の研究をなさっていますね?」
 私は頷く。私の研究は世界を前進させ、更により良い方向へと導く為の研究だ。私の考えが正しく、それが証明されれば、人々はまた新たなる文明へと偉大な一歩を踏み出せるだろう。
 「もしあなたの研究が認められたら、それは勿論あなたの功績だろうけれど、あなただけの功績でしょうか? あなたが研究する為の道具を作った人々、それを運んでくれた運搬業の人々、アシスタント、事務スタッフ、あなたが研究する為の体力をくれた食べ物を作ってくれている人々。多くの人たちとの共同研究だとは言えないですか?」
 「そう言えないこともないだろう」
 「ではあなたは報酬はその人達と平等に分けますか?」
 私は答えなかった。全ての人々と報酬を分け合うなど、不可能だからだ。私にだって生活がある。生きて行かねばならないし、次の研究に向かう為の費用が必要だ。
 窓から風が吹き込む。髪の毛が風に揺られて、頬を撫でる。煙草の灰はもうどこかにいってしまった。
 「貴方達は一人で生きているわけではないのに、報酬すら分け合うことが出来ない。何故です?」
 未来が微笑む。長い睫毛、揺れる細い髪の毛。答えは。
 「そう、答えは、そこに金融というシステムの落とし穴、嘘があるからです」
 煙草をもみ消す。口の中が乾く。
 「物々交換でもしろというのかな。しかしそれでは同じことじゃないかな? 多く持つものが、持たざるものを支配する」
 「多く持つもの? 持たざるもの? まだわからないんだな。良いですか。僕やあなたを含む我々は最初から『何ひとつ持ってなどいない』んですよ」

 未来は微笑みながら、机の上に腰かけ、足をぶらぶらさせた。私は二本目の煙草に火をつけて、もう一度問い直す。
 「我々は何も持っていない、というのはどういう意味だね?」
 「そのままの意味です。ご説明しましょうか。例えばあなたがこのまま研究を進めて、あなたの研究を証明できたとしましょう。それはあなたのものでしょうか?」
 「私の発見だ」
 「そう、あなたは発見しただけだ。コロンブスは?」
 「コロンブスはアメリカ大陸を発見した」
 「そう、彼も発見しただけだ。しかもそこには先住民族が住んでいた。人が住んでいた土地を発見しただけだ。土地、権利、発明、エネルギー、全て発見しただけの人間と、もしくは略奪者が堂々と自分たちのものだと何食わぬ顔で売り捌いているのです」
 未来は更に微笑みを増して、私に質問を繰り返す。
 「奴隷は誰のものですか?」
 「ナンセンスな質問だ。奴隷制は廃止された。人身売買は大いなる罪だ。人間は誰のものでもない」
 「では、更にもう一歩踏み込みましょう。肉屋の棚に並んだ牛肉は誰のものですか? 畜産場にいる豚たちは?」
 「それは……」
 「人身売買は大いなる罪であり、無知蒙昧が招く古い悪しき慣習ですね。では、牛の命は誰のものでしょうか? 豚の命は? 植物は? 土地は?」
 私は部屋を見渡す。私のもの、私のもの。私のものはどこだ? 私はお金を払って、これらの物品を手に入れてきた。だが、それは単なる我々が勝手に作った約束の上のことでしかない。私には最早それがはっきりとわかってしまっていた。なぜならば、過去に奴隷を売買してきた人々もそう言ったのだから。
 「私は正当な取引をして、相応の金銭を支払い、この奴隷を手に入れた。だからこの奴隷は私の資産の内であり、私がどうしようと私の勝手だ」と。
 「持つもの、持たざるもの。それは我々が勝手に考えだして来た幻想ですよ。皆持たざるものです。どの国でもそうですが、先住民族の人々に頭を下げ、彼らの生活様式と調和して土地を分けていただく方法もあった筈ですよ。でも我々の祖先は略奪した。闘い、奪い、負けたものたちを迫害した」
 私はうんざりしていた。しかしそれが未来になのか、自分たちになのかは、わからなかった。未来も過去も現在も、同じ私達なのだ。
 「それでも地を耕したり、綿を摘んだり、そうして地上から貰う原材料を作っている人たちはいる。そうした人達はそもそもの生産者に近いのではないか?」
 「そうですね。それすらも地球からの頂き物ですが、生産性という点に於いては、比率は高いでしょうね。ではその綿摘みや農家の人々は、この世界に於いて裕福な暮らしをしていますか?」
 私は黙った。彼らは裕福とは言えないだろう。裕福と言われる人種が、土をいじり、太陽の下で農作物の採取をしているところなど見たことがない。過去には綿摘みは奴隷たちのする仕事だった。
 未来はにっこりと微笑んで、水をごくごくと飲んだ。テレビの中では、感染病の責任はどこの国にあるかと政治家が、こめかみに血管を浮かべて叫んでいる。暴動が起きている。人々が不安に陥っている。金融危機がやってくるのだという。病いや貧困が人々を襲うのだという。
 「未来は幸せなのかな」
 「ええ、未来はとても幸せです。あなたが意識のチャンネルを合わせてくれれば、よりそうなっていきます。意識がとても大切ですから」
 「我々は、どういう社会を作れば良い?」
 「普通のことですよ。無関心をやめて、一部の人間が大量に独占するのを止めさせ、毒をありがたがるのをやめ、殺すのを、甚振るのを、虐めるのを、奪うのをやめる」
 我々は、奪って、いるのか。
 「この時代に来てから、街の中で蟲を見かけません。飛んでないんですよ。鳥も少ない、獣もいない。かといって、獣や蟲たちが住める山も、どんどん切り崩されていて少なくなっている。人が住む家なんて、見る限り沢山あるのに」
 我々は、奪っているのだ。
 蟲や鳥や獣は、どこに住めばいいのだ。何を食べればいいのだ。人里に降りてくれば、殺されるのに。山がどんどんと人里になっていく。我々は奪っている、のだ。
 「未来から持って来た非常食です。半分こしましょうか」
 未来はにこにこと笑って、ナッツのようなものを半分、私にくれた。それはほんのりと甘く、今までに食べたことのないとても美味しい木の実だった。
 「ありがとう。美味しい木の実だ」
 「半分こしたから、僕も一人で食べた時よりも美味しいです」
 大昔に死んだ祖母が昔、そんなことを言っていた。私はその時に久々に祖母の肉声を、耳にすることが出来たのだった。
 『なんでも分け合うと美味しいんだよ。ありがたい、ありがたいと皆で笑って食べると、食べ物はより美味しく、より栄養価があがるんだ』
 祖母は皺くちゃの手で、幼い私に食べ物を半分わけてくれた。微笑みながら、祖母と食べる食べ物は、とても美味しかった。心と身体を満たしてくれた。私たちは、忘れてしまっていたのだ。
 涙が頬を伝う。塩辛い涙は、海の味がする。
 慢心だ。自分たちが全てを操作出来るなんて。自分たちが全てをわかっているだなんて。
 私たちは自分たちの飲み水を汚し、食べ物を生み出す大地を汚し、自分たちの吸う酸素を汚し、全て自分たちのものだから殺しても壊しても何をしても良いと、そう考えて来た。
 「私たちの子供や孫や子孫に、地球の恵みを残せるかな。幸せな未来をあげられるかな」
 「あなたが心から望み、そう生きれば」
 風が吹く。風が吹くのは当たり前だ。必要があって、吹いているのだ。それを人間の都合で捩じ曲げは出来ない。風には風の通り道があり、人には人の生き方があるのだ。
 窓の外で木々の梢が揺れて、ざわめくのが聞こえる。鳥たちの囀りも。未来は風に向かって手を広げて、歌を歌っている。
 言葉にもならない、不思議で幸福な音色。
 その姿は今では黄金色の光に包まれ、とても神々しく見えた。
 「今日は単なる観光旅行でしたが、また近いうちに必ず訪れます。その時は未来ではなく、現在という名前で」
 突風が吹いて、未来はその風に乗って空に舞った。彼のまわりを緑の葉や鳥や蟲たちが踊るように、美しく舞っている。
 私は未来を見送ってから、革靴に向かって頭をさげてお詫びをし、コップにいれた水に感謝の意を告げる。
 窓際で祖母が、にっこりと笑ってくれていた。

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