運命はどこにでも転がっている 第7話
喫茶店の中を見渡しながら、歩いていく翔真の後ろに俺は続く。中年女性の集団がいるテーブルでは、声をあげてテニスクラブの若いコーチの話で盛り上がっている。日曜日の昼間には似つかわしくない下世話な噂が、今日のデザートらしい。
別の席では青いポロシャツの若い男に、スーツの年配男性が何やら報告をしていた。若い男がそれに感想や指示を伝えている。だが、話の内容からすると上司と部下という訳ではないらしい。どういう関係なのだろう。
いずれにしても、これから会うゲイカップルでは、なさそうだ。果たしてどんな奴らなのだろう。
彼らに会うことに合意した後の翔真の行動は早かった。あの場所で連絡をして、二週間後に会うことを決めてしまったのだ。それだけ俺たちの関係を先に進めたいと思っているのか。それとも、やはり彼も不安を感じているのだろうか。だとしたら、俺の責任だ。前を歩いている翔真が声を上げた。
「あっ、ハルくん?」
「おっ、翔真?」
明るい声がした方を見ると耳にピアスを着けた茶髪の男がこちらを向いて、手を振っていた。グレーのタンクトップは深いスリットが入っていて、肌がのぞく。えっ、これが翔真の言っていたゲイカップルの一人? イメージしていた姿とは全然違う。
男は立ち上がるとこちらに近寄ってきて、いきなり翔真を抱き締めた。おいおい、どういうことだ。初対面の相手にすることだろうか。男同士だから問題ない? いや、本当にそうなのか。結論が出ないうちに、奥から決して大きくはないが、良く通る男の声がした。
「ハル。人前でいきなりそんなことをしたら、迷惑だろ」
声の主は手にタブレット端末を持った黒髪の男だ。黒い襟つきのシャツにベージュのパンツ。この二人、本当にカップルなんだろうか。ハルと呼ばれた男は翔真から離れつつも、抗議の声を上げた。
「良いじゃん、別に。カズは頭が固いな」
「ハル」
カズと呼ばれた男が語気を強めた。たちまちハルは飼い主に叱られた犬のようになる。カズは立ち上がり、ハルを抱き締めると彼にささやいた。
「ごめんね、ハル。でも、言うことを聞いてくれたから、後でご褒美をあげる」
ハルは今にも尻尾を振り出しそうな顔で、カズの顔を見上げた。
「本当に? 約束だからな。絶対に破るなよ」
「もちろん」
「よっしゃ」
ハルはガッツポーズを決める。俺たちは何を見せられているんだろうか。ぼーっとその光景を見ていたら、カズがこちらを見た。
「すみません、お待たせしてしまって。席に座ってください」
彼の指示に従って、俺たちはソファに座った。オーダーを取りに来た店員に俺はコーヒー、翔真はカフェオレを頼む。店員がいなくなると、翔真が口火を切った。
「初めまして。オレは一ノ瀬翔真です」
カズは一瞬目をぴくりとさせた。しかし、すぐに口元を緩める。
「僕は遠藤一美(えんどうかずよし)です。こっちが覚道悠親(かくどうはるちか)」
ハルは一瞬カズをにらんだ後で、こちらに手を振る。あとは俺か。
「俺は藤原誠史だ」
自己紹介が終わったところで俺たちの飲み物が運ばれてきた。それを受け取って一服つくと、翔真が二人に軽く会釈をする。
「悠親くん、今日はありがとう。二人はよく、こんな風に会っているの?」
「俺のことはアプリの時と同じように、ハルで良いよ。同じ歳だろ。タメ語でいこうぜ。それに俺、悠親って名前が嫌いなんだよね。古くさいじゃん」
「わかった。ハル」
翔真の言葉にハルは歯を見せて笑った。
「で、さっきの翔真からの質問の答えだけど、イエスだ。同類同士の方が余計な気を使わなくて良いじゃん。カップルでつながった方が、いろいろ面倒くさくない」
「面倒?」
「アプリの出会いって、恋人探しを前提に使ってる奴らもいるから」
なるほど。相手が恋人を探している場合、こちらが友だちを探していると伝えていても、相手は期待をしてしまう可能性がある。その点のリスクはカップル同士の方が低い。翔真は質問を続ける。
「そっか。ちなみに、二人はどのくらい付き合っているの?」
「俺が大学に入った歳からだから、二年だな」
「どうやって知り合ったの?」
「最初は俺がダチと居酒屋で飲んでた時に、たまたまハルが隣の椅子に座っていて」
「えっ、どういうこと?」
ハルは頭を掻きながら答える。
「結構酔っ払ってたから、調子に乗って絡んだ」
うわっ、迷惑なヤツだ。翔真はハルに尋ねる。
「それで、どうして付き合うって話になったの?」
「当時は女に振られたばかりで。カズに話を聞いてもらっているうちに、ってところ。そんなきっかけで今ここにいるんだから、人生ってわからないよな」
ハルが笑い出す。それは果たして笑い事なのだろうか。まあ、本人が幸せならば、他人が口を出すことでもない。にしても今、女って言っていたよな。俺はハルに確認する。
「今の話からすると、ハルはカズと出会う前は、男に興味はなかったのか」
「ん、そうだな。男とするなんて、考えたこともなかった。けど、カズと会って、スイッチが入ったってところだな」
スイッチが入る。俺も翔真と出会う前は、男になんて興味はなかった。だとしたら、この心の中にあるものは肯定して良いものなのだろうか。俺が口を開く前に、ハルが俺たちに尋ねる。
「で、二人はどうなんだ? 誠史さんって社会人なんだよな。普通なら、接点ないじゃん。あのアプリで会ったとか?」
翔真が答える。
「誠史さんが電車でオレの落とした学生証を拾ってくれたのが最初」
「おっ、運命的じゃん」
「今から考えるとそうだね。その後も痴漢から助けてくれて。それから――」
翔真の声は小さくなり、消えた。視線はテーブルの上を見つめているようにみえる。彼は何を考えているんだろう。
普通に説明をすれば良いことだ。悩むことなんて何もない。けど、もし自分の欲望の在処に疑念を持ったのならば、どうだろう。翔真の俺に対する気持ちの根拠は身体の反応だ。でも、それが実際には感情と結びついていないのだとしたら? 彼はどんな結論を選び出すのだろう。知りたい。けど、知りたくない。俺は思わず声を出す。
「俺、男を意識したのは、翔真が初めてなんだ。だから、たまに自分の気持ちに確信が持てなくて。ハルも途中で気が付いたんだろ。どうやってわかったんだ?」
「えっ? そんなこと、いちいち考えなくても良くない? つべこべ言わずにヤったら、わかる」
それをすべきかどうかを悩んでいるから、相談しているのだが。頭を抱えたくなるのをこらえている俺を無視して、ハルは続ける。
「それともやり方がわからないってこと? だったら、俺たちと一緒に四人でやってみる?」
は? 何言っているんだ、コイツ。まるでスポーツにでも誘うようなノリだ。きっと冗談だろう。俺ははぐらかす。
「いやいや。そんな訳には、いかないでしょ」
「翔真と誠史さんなら、俺たちは別に構わないけど。なぁ、カズ?」
カップル同士なら面倒くさくないって言っていたのは、もしかしてこういう意味だったのか。俺はカズを見る。
「ハル、無理強いはダメだよ」
カズは顔こそ笑っているが、語気は鋭い。ハルは石像になったかのように動きが止まった。カズは俺たちに頭を下げる。
「すみません。ハル、お二人のことが気に入ったから、ちょっと空回りしてしまったみたいです」
俺が翔真の顔を見ると頷いた。カズが釘をさしてくれたので、ハルの言葉は「調子に乗って口が滑った」ということにしよう。
「大丈夫。カズくんこそ、冗談とはいえ恋人があんなこと言って、嫌だったでしょ」
「いや、別に僕は平気です。お互いに相手のことは拘束しないことにしているので。実際にそういうことをしたこともありますから」
さらっと凄いこと言わなかったか、この人。ハルが軽そうなのは想像がつくが、カズも同じだとは。
「男同士って、そういうのが普通なんですか」
「僕たちはオープンにしているだけで、『恋人同士でしか、しない』っていう人もいますよ」
「カズくんは、ハルくんが別の人とするのは、平気なの?」
「はい。たかがセックスで、僕たちの関係は崩れませんから。もちろん決めたルールを守る前提ですが。望まない相手を巻き込まないのも、そのひとつです」
それだけ自信があるからなのだろうか。それとも俺にはわからない何かがあるのか。これまで想像したこともない話をされて、頭がまとまらない。とりあえず、俺たちにこれ以上何かをするつもりがないことは、わかった。思わず口から言葉がこぼれる。
「世の中、いろいろなカップルがいるんだな」
カズがそれに答える。
「はい。だから、お二人もあまり言葉にこだわらない方が良いですよ」
「どういうこと?」
「枠に当てはめることに意識が向いている気がしたので。けど、実際にはカップルの数だけ関係性があると思うんです。答えを急いでいませんか」
男同士だから。カップルだから。痴漢の被害者だから。俺はこれまで何かの定型に当てはめて、わかった気になろうとしていただけなのかもしれない。
けど、実際には俺たちの関係は、俺たちだけのものだ。枠に当てはまっている必要はない。むしろ枠が俺たちの関係性を見えなくしてしまっていた可能性だってある。俺が頷くとカズは続ける。
「まずは目の前にいる相手を見て、対話を重ねる。それを踏まえてオーダーメイドの関係を築いていく。僕たちはそういう風にしています」
考えてみれば、俺と翔真は知り合ってまだ数ヶ月だ。まだまだわからないことの方が多い。急がずにひとつひとつ、確認していけば良いじゃないか。
それにしても、カズはしっかりしている。翔真の話では二十二歳だから、俺よりも四歳年下だ。それだけ悩み多き人生を歩んで来たのだろうか。その時、ハルが鼻で笑った。
「カズ。それ、どの口が言っているんだ? 俺に散々仕込んだのは、どこの誰でしょうね」
「嫌だな、人聞きが悪い。ちゃんと聞いたよ。ハルの身体に」
カズは笑顔で答える。もしかして、一番ヤバいヤツは、彼なのかもしれない。
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