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大師匠のレッスンで再びコテンパンにされた話(後編)

11月のコンサートを控え、約7ヶ月ぶりに再び大師匠のレッスンを受けに山形まで行ってきた私。
前編では「オーケストラを意識した音の出し方」「ドビュッシーの楽譜の選び方」でした!

後編も大師匠の豪快さと私のポンコツさ盛り沢山でお届けします。

<ベルガマスク組曲>プレリュードは自由に!これこそ演歌!

楽譜の話のお次は演奏の話。大師匠はどうやらベルガマスク組曲において、日本人ピアニストにご不満がある様子。

「あのね、日本人はこの曲を弾くと、どうもセンスが悪い。プレリュードは四角四面にサラッと弾かないことね。みんなサラッといきすぎんだよ。(中略)月の光は演歌みたいに弾く人が多い!シャンソンですよ!みんなド演歌になっちゃうの!そうなってないか見るからね!(中略)はい、どうぞ!」

弾く前から約5分ほどの不満を聞かされた。
日本全国のピアニストの皆さん、大師匠の不満は私が全身で受け止めておいたので、もう大丈夫です。

Tempo rubatoに注目せよ

弾く前から不満を聞かされたので、ガクブルしながら一通り弾き終えて、指導タイムが始まる。
まず、最初の低音から和音を響かせる1小節目。

レッスン後の書き込みでぐっちゃぐちゃ…でもこれはまだマシなほう

絶対に譜面通りに弾いたらいかん!と半分誰かにキレながら話す先生。
テンポ指示はModerato、Tempo rubatoとある。

Tempo Rubatoは音楽用語で「自由なテンポで」
好きにテンポを揺らしてOK!と思われがちだけど(私も昔はそう思ってた)、そうじゃない。
違うの!?と思った人は今すぐwikipediaを読みなさい!

「盗まれた時間」という意味であり、本来的には音符の音価の一部を奪い、他の音符に付与することを意味していた。したがって全体のテンポは変化しなかった。
(中略)
譜面の上でも、ドビュッシーなどの近代フランス音楽では、ad libとは明確に区別して表記されている。

Wikipedia

つまり、テンポは変化させずに音符の長さを本来の長さから調節して、小節内に収めながらも揺れているように弾くのがTempo Rubato。

※Rubatoの解釈は19世紀以降は概念が変わり、楽曲によっては柔軟にテンポを変える意図で使われるケースもある。

では、どの音符の長さを変えるのかというと、アクセントがついた音
アクセントがついた音を強調させるかつ、ちょっと長めに弾く。その他の音は実際の音の長さよりも短めにサラッと弾く
それを4拍の中におさめて、 Rubato の出来上がり。

譜面通りに弾いてしまうと素人っぽくなり、テンポを変えるとねちっこくなるのです。

日本的な和音を見逃すな!

ドビュッシーやラヴェルが活躍した19世紀初めは西洋美術でジャポニズムが流行した時代。音楽も例外ではなく、ドビュッシーは日本をイメージしたとされる曲も多く「西洋音楽に最初にジャポニズムを取り入れた作曲家」と言われ、交響曲「海」では、初版の表紙に葛飾北斎の神奈川県沖浪裏を採用したほど。

この曲にも日本的な音階や和音があり、その部分は特別な和音と解釈して、少し強調させるような強さやテンポで弾く必要があると。

「そこは、ッテレレレェェェ〜〜〜!ってこぶし回して!五木ひろしみたいに!」
「ここは芸妓さんがチャララン〜とお琴を弾くイメージ!いけずな弾き方しないの!」
と、クラシック音楽とは思えない指示が飛んだ。

印象派は陰影や遠近感が命!

絵画と同様に、印象主義音楽は伝統的な楽式や和音にとらわれず、小節や調性の変動、特殊和音を駆使して、自由な音の響きや光の指し方、色彩の濃淡、風や匂いなどを重視した感覚的な印象を表現しているのが特長。

この曲は、同じ音形で違う音で対比を表しているフレーズを連ねた箇所がいくつか存在する。この対比を音で表現して陰影や遠近感を出す!とのこと。
楽譜の指示に従って弾くだけでも、それっぽくなるけど「それじゃプロとして足りないでしょうよ!!」とこってり絞られました。
(プロって言ってくれてありがとう、師匠)

明るい和音と暗い和音の構成であれば、前半はキラキラした音、後半はソフトペダルと鍵盤の表面をなぞるような弾き方でふわっとした音を出す
ピアノの音量は長く伸ばすほど減衰するので、その次の音は減衰した音量より小さく弾き、クレッシェンドをかけて遠近感を表現する…などなど。

和音が持つ表情や楽譜の指示、前後関係から、前述した Rubato の表現も含めて、どう陰影や遠近感をつけていくかを考えて、音楽を作っていくことが大事!

<ベルガマスク組曲>月の光はシャンソン!クールビューティーになれ!

多くの日本人が演歌っぽく弾いていると、大師匠がご不満の月の光。
弾いて4小節目で「やっぱりど演歌になってた…」と呆れ顔。
その後もずっと隣で小言が飛び、弾き終わったと同時に意気消沈。

テンポ指示以外はハイドン以上に動くな!

最初のテンポ指示はAndante、各所にTempo Rubato・Un poco mosso(少し動きを持たせて)・En animant(活き活きと)とある。

指示がない部分は、最初の速度指示であるAndanteを適用。このAndanteの部分をいかにクールに弾くかで他の部分が活きてくるそう。
「クールビューティーって分かる?」と言われるくらい、私の演奏はクールのかけらもなかった様子。

特に演歌っぽさが出やすいのが5〜8小節目でメロディーが動く部分。
少しテンポを早める人(私も含めて)が多いが、それは演歌調。

この部分は気持ちを入れずに淡々と弾くのが良いらしい…

淡々としすぎているくらいでちょうど良い。「ハイドン以上に動くな」だそうです。
これ、実際にメロディーを弾き方と同じように声に出して歌ってみると、分かりやすく演歌っぽくなって、大ショック。
歌心は歌わないと分かりません。

盛り上がりは思い切り!それ以外は上品に!

前半をクールに淡々と弾くからこそ、最大限に活きてくるのがいわゆる「サビ」の部分。

冒頭のクールな雰囲気から徐々に感情を入れて、サビで思い切り歌い上げなければ、盛り上がりが表現できない。

シャンソンで有名な「愛の讃歌」を聴くと分かるように、盛り上がり部分は伸びやかかつ、思い切り歌い上げている。

サビが終わったら、徐々に落ち着けて、クールビューティーなパリジェンヌに戻るわけです。
特に最後はpppなので、前半以上のクールさが必要。
先生からは「あなたどこの女なのや?(急な山形弁)」と煽られた。

大きな音を出すより、小さな音を出すほうがとても神経を使う
小さい音とはいえ、会場では聞こえる音量と響きでメロディーをなめらかに弾く必要がある。ひたすら音を指先でコントロール。
先生からは「クールに!」「上品に!」「もーっとクールに!」と言われ、神経を張り巡らせたので頭から煙が出そう。脳みそが疲れるとは、まさにこのこと。

最後はテンポじゃなくて音の動きと音色だけで表現!

最後は同じ和音がアルペジオになって繰り返され、静かに終わる。
先生とこの部分の解釈を巡り、こんなやり取りが繰り広げられた。

先生「morendoって分かる?(・∀・)ニヤニヤ」
私「分かります!」
先生「速くなりますか?遅くなりますか?」
私「遅くn 先生「そうでしょう!なんで速くしたの?」
私「同じ和音で停滞するので少し動きがある方が良いとおm 先生「アルペジオで音が動くから停滞しません!

被せながらの全否定。ぴえん。
morendo(モレンド)は「消えるように」という音楽用語で、イタリア語では「死ぬ」「死にそう」という意味。

死にそうになりながら、スピードアップはおかしいですねぇ…

最後はハープのような音色で徐々に打鍵をゆるめ、高音の響きがふわっとするように弾く。
アウトロなので、余計な動きや歌心はなくてOK!

番外編:月の光の舞台はフランスではなかった

月の光=セーヌ川に浮かぶ月!!と思う人も多いはず。このイメージはドビュッシーはフランスの風物を多く表現した曲が多いことからきていると思う。

この曲の当初のタイトルは「感傷的な散歩道」、優しくも切なさを感じる曲調から、私のイメージはこう。

湿度が残る初秋の夜、セーヌ川沿いを歩きながら、薄く雲がかかった月を見上げ、ふと寂しさを感じて感傷にひたる。
夜風に吹かれながら、ぼんやりとした月がほんのり川に浮かぶのを眺めながら、また独り歩く。

ということを伝えたら、大師匠から

「違うよ!これはイタリア留学中に書いた曲!湖に月が浮かんでてね、風がサァァァ〜〜〜っと吹くんだよ」

とひっくり返された。ではその情報を基にイメージを再構築。

夜の散歩中、湖に浮かぶ月を眺めながら、セーヌ川に浮かぶ月を思い出す。
郷愁を感じていると、風が吹いて、草木がそよそよと揺れる。

これなら初版のタイトル「感傷的な散歩道」も、ノスタルジックなメロディーもしっくりこない?

<死の舞踏>サン=サーンスの原曲をしっかり聴け!

弾く前から「この前も聴いたじゃーん!」と言い放つ大師匠。前回のレッスンでも最後に一度通しただけなのに。
むしろ、この曲をちゃんと見てほしくてはるばる山形まで来たのに。

2度目の最短記録を更新

0時を知らせる鐘の音。1音目を出した瞬間に「そんなゴツい音出さないの!性格出てるよ〜」と止められた。
展覧会の絵のとき、2音で止められる最短記録を更新した1時間後、再度記録を更新
ちょっと待て、大師匠の中での私の性格は「ゴツい」なのか。心外だ。

何度も人前で弾いている曲ということもあって、今回も弾きながらガンガン指示が飛ぶ。
爆音で弾く私の隣で、先生が大声で

これからゾンビが出てくるんだから!もっとゾクゾクする音!
しっかりー!そう!!ターンタンターンタン♪そうそう!!
ワルツ!いいぞ!いいぞー!
そこ左手抑えて!
クライマックス来るよー!
左頑張れ!左!!
はい、弦楽器の音!そうそう!その音!!いいぞ!
んああああああああ!そこで間違うなよー!!

と叫び散らしていた。
地元の巨匠にいいぞー!と連呼されるのは気持ち良いが、相変わらず人が弾いている間、黙っていない。
先生の魂の叫び(?)が面白くて、笑ってミスってしまい、怒られるの繰り返し。

原曲の楽器を把握してピアノ譜に落とし込め

一通り弾き終わり、先生が「原曲をもっとちゃんと聴いたほうがいいね」とひとこと。
原曲はオーケストラの交響詩。サン=サーンスがどこでどんな楽器を使って、音の特徴を耳で感じて、オーケストラのスコアを読みなさいと。

この曲はヴァイオリンソロがたくさん登場するので、パートごとにどんな音色なのか、ボーイングはどうなっているかを分析してピアノの音色に落としていかないと「リストの自信満々なピアノ編曲」に聞こえてしまう。(実際そうなのだが)
高校時代は副専攻でオーケストラ(1stヴァイオリン)を選択していた私。それを活かすときがきた!(遅い)

帰りの新幹線からオーケストラ版を聴きこまくては!!(単純)

次の曲をちゃっかり渡されて帰宅

なんと高校生ぶりに先生から、次の曲を渡された。しかも2曲も。
私のお得意なリストから、詩的で宗教的な調べより第10曲「愛の讃歌」と、ロシア物も弾けると認識されたのかチャイコフスキーのドゥムカ。
両方とも難曲だけど弾けると思って渡されているなら、弾いてみせようじゃないか。
(てか、次って来年じゃん…?まだコンサート終わってないじゃん…?)

ドゥムカにいたっては、楽譜を見せてもらったので初見でちょこっと弾いたら「そこはもっとねっとりと弾かないと〜!もう!」と初見レッスンが始まりそうになり、弾かないわけにはいかなくなった。

「ほら!ここから難しくなるからな!HAHAHA!難しいだろう〜?」と楽しそうに弾く先生に「昔からそうやって、私に難しい曲渡していじめるの好きですよねぇ!?」と反抗してみた。

「うん、でも、キレイな曲が多いでしょ?(キョトン)」

きっとこの人には一生敵わない。いいぞって言わせたことだけでも今回の大収穫。

またコンサート前に大師匠に仕上げた曲たちをコテンパンにされに行ってきます。

【告知】11月26日にコンサートをやります!

ありがたいことに、一般チケットとクラファンプランのグッズチケットは完売しました。
クラファンプランの動画チケットがまだ5枚残っています。みなさん、ぜひ満席にしてくださいっっっ!!!!!
詳細はこちらの記事からご覧ください。


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