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バリ島音楽と芸能の旅2024 -8.ニュピ、旅のまとめ

3月に行ったバリ島の旅、いよいよ最終回です。
今回は、前回からの続き、オゴオゴ明けのニュピの1日について、また、旅全体の感想などをまとめていきたいと思います。

1.ニュピ

大騒ぎのオゴオゴの一夜が明け、ついにニュピの朝を迎えました。いつもは朝からバイクの音が絶えないウブドの町も、この日は本当に静か。朝から基本的には鳥たちの鳴き声しか聞こえません。

町の様子を見たいと、屋上に登って通りを見てみましたが、もちろん道に人気はありません。時々見回りのスクーターが通るのですが、この日ばかりは電動スクーターに乗っていて、静か!
見回りスクーターのおじさんと目が合うと、家の中にいなさいと怒られるかと思いきや、満面の笑顔を向けてくれました。どうやら敷地内にいる限りは問題ないようです。

本当に何もしない、してはいけない1日というのは、現代社会ではとっても貴重ですね。休みの日でも、ついついパソコンに向かってしまいがちですが、何にもしてはいけない!と区切られれば、ただボーッと過ごす時間がいかに豊かを思い知ります。

もちろん、最近は観光客向けには、ホテルではWi-fiなどOKだったりするようですが、基本的に携帯のネット接続も制限され、テレビやラジオも放送されず、飛行機も飛べません。万が一緊急病院に行く際も、そのバンジャール(町内会)の見回り担当の人が付き添っていくという徹底ぶりです。

おかげでこの日は本当にのんびりと過ごせました。昼に宿の奥さんがナシゴレンを作ってくださり、美味しくいただき、みんなで庭に座ってだらだらおしゃべりしたり、旅の前半を振り返ったり。

日が落ちると電気も付けられず、火も使えなくなるので、夕方あわててご飯と味噌汁を作って済ませました。

今年は雨季が明けるのが遅れ気味だったようで、滞在中もクニンガンくらいからずっと雨続きでした。この日も曇り空で時折パラパラ降ったりはありましたが、もし少しでも晴れたら、明かりをつけない分、ニュピの夜は満天の星空が見られると聞いていたので、期待は捨てずにいました。

20時ごろ、また屋上に上がって空を見上げ、夜の静けさ、と言っても、意外と賑やかな森の声をずっと聞いていました。なんと贅沢な時間!
時々見回りの電動スクーターがくると、ライトが夜の闇を切り裂くように通り過ぎます。スクーターのライトがこんなにも明るいのか!と新鮮です。

一度部屋に戻りましたが、22時過ぎごろ、宿の奥さんが私たちの部屋に声をかけにきてくださいました。呼ばれて外に出ると、なんと、雲が晴れて星空が広がっているではありませんか!
念願のニュピの夜の星空を見ることができたのです!私たち、持ってるかも!笑

最近は山の上にでも行かない限り、地上でこれだけの星を見ることは不可能ですよね。それが叶うのがニュピなのですね。本当に久しぶりに見た星空に、ああ空にはこんなにも星たちが瞬いていたのか、と思い起こされました。空に星があるなんて、すっかり忘れていた気がします。
(携帯での撮影なので一部しか写っていませんが、以下星空の写真です。オリオン座が日本と向きが違ってみえて新鮮。)

ニュピの星空

2.ニュピ明けの朝

翌朝は、宿の家族と一緒に田んぼの中にあるVillaのレストランに朝食を食べにいきました。

久しぶりに太陽が見え、ニュピが明けると同時に、どうやら雨季も一緒に明けたように感じさせる陽の光です。田んぼの稲に降りた朝露に朝日が当たってキラキラと輝き、なんだか生まれ変わったような気持ちでした。

ニュピって本当にそういう意味があるのかもしれませんね。一度リセットして日常の淀みを洗い流す、デトックスみたいな感覚。または一度あの世へ行って帰ってくる、みたいな、なんにせよ一度無になってキレイになって、また日常を活性化させていくというとても大事な1日なのだと感じました。

ニュピ明けの朝の田んぼの風景
田んぼのVillaに向かう道中

初めてのニュピは、やはり期待通り、最高でした!そして、私たちが日常忘れてしまっている大事なことを思い起こされ、見つめ直す貴重な時間になりました。
バリの人たちは、そういう時間を定期的に持つことの必要性を強く感じているからこそ、今でもニュピの時間を持ち続けるのでしょう。その豊かな時間を守り続ける姿から、私たちはもっと学ばなければいけないと感じました。
貴重な体験に、心から感謝です。

3.旅のまとめ

8回にわたって書いてきた、バリの旅日記。まだまだ書ききれなかった体験や出会いもたくさんありますが、今回はこれで一旦終わり。最後に全体を振り返ってみたいと思います。

まず、バリに6年ぶりに足を踏み入れ、やはりあの湿度が高く、ねっとりとした空気が、私はとても自分の体に合っているということを改めて感じました。ここにいると水を得た魚のように体が楽になる感覚があり、やはりバリが好きだなあと実感。
そして、人々が本当に暖かい。知らない人でも目が合えば笑顔を向けてくれる。なんだか久しぶりに、人との距離の近さ、境界線のなさを感じられた気がしました。

それから、若者が多いのもとても活気があっていいですね。オゴオゴを始め、若い子たちが生き生きとしている姿、子供が素朴に走り回っている姿がとても印象的で、高齢化で熟成してきた日本社会と比べると、その勢いがやはりうらやましく感じられました。

そして、社会が成長、経済発展とともに失って行きがちな、非効率なものの中にある本質的なものがいかに大事か、ということをバリの人たちが深く分かっていて、それを失わないように努力していること(もしかしたら無意識的なのかもしれませんが)に、やはり大きな学びがあるなと感じます。

少し前に、NHKの番組「100分で名著」で、人類学者・宮本常一の「忘れられた日本人」が取り上げられ、興味深く拝見したのですが、そこに書かれたかつての日本社会は、まさに今のバリと重なるものがあります。

共同体を大切に、互いの目に見えない支え合いがあり、また時には丁寧に時間をかけて皆が納得するまで話し合って検討する、など、今では非効率だからと失われてしまった人々の他者との関わり合いが、そこにはたくさん見受けられます。

私たちが「効率化」」「タイパ」「経済成長」を優先し、失ってしまったものの中に、実は一番大事なものが潜んでいるのではないか、ということを、この本やバリの人々の様子を見て感じられるのです。
バリの人たちが必ず口にする、「バランス感覚」という哲学が、私には深く響きます。「物事どちらかに偏ると絶対に良くない。だから大事なことをやるなら同じくらい、無駄なこともやらないとバランスが崩れてしまうんだよ。」と、滞在先の家主、ニョマンさんは熱く語ってくれました。バリ・ヒンドゥーの考えはバロン(善)とランダ(悪)が共存、拮抗し、そのバランスが大事と考えることとつながります。
まさに祭りや芸能は、なくても生活できるのかもしれませんが、一見無駄なことの中に、共同体の維持や日常生活の活性化、経済的効果や技術の継承など、などとても大事な役割が多く含まれているのです。

その「無駄なこと」でも「とても大事な役割」を指すのが、まさに芸能や音楽です。祭りを行うことでつながりを作り、技術を継承したり、ガムランの演奏をすることで、次世代への継承が生まれ、他者との交わり合いの仕方を学ぶ機会が生まれたり。と、まさに音楽や芸能はその大事な役割を持っているのです。
この旅を通して、改めてその音楽の役割を思い起こさせられましたが、宮本常一の残した記録にあったような社会は、残念ながら日本からはほとんど姿を消しつつあります。では、音楽の本来の役割を現代社会にあった形でどう取り戻せるか。それをこれからも考えて、自分なりに活動を続けていきたいと思います。

また折に触れ、その感覚を取り戻しにバリに通いたいと思います。ぜひバリの皆さん、変わらぬ笑顔で待っていてください!
この旅でお世話になった多くの方に感謝を込めて。
Terima Kasih banyak, Sampai jumpa lagi!

お世話になった宿の皆さんと。また会いに行きます!

次回予告

8月末に、今度はジャワ島にジャワガムラン研修へ行く予定です。またレポートを書きますのでお楽しみに!

演奏してると邪魔しにくるかわいい宿のワンちゃん・リキと



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