数学にしても、アートにしても、生物、化学など何にせよ、
結局、その基盤となる国語力が一番重要なのでは?
と最近思う。
国語力があれば、結局、最終的にクオリアや存在の問題で理詰めが行き詰まらうことを考えざるを得なくなり、
その前提で、いろいろな概念を使うことになる。
この感覚を持っている人は、私の感覚だと100人に1人で、
さらに、自覚的に持っている人はさらに100人に1人のような気がする。
ただ、これは希少性の話で、
現代でお金を稼げるとか、成功できる、
こととは直接の関係はない。
むしろ、深い思考ができることがスピードや大胆さを阻害することもある。