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食べログ的に人を吟味する世界に希望はあるか?〜Netflix「ブラック・ミラー」が問う根源的問題〜

みなさん、Netflixで一話完結型の深いいドラマ「ブラック・ミラー」のシーズン3の「ランク社会」を観賞しただろうか?

※以下ネタバレあり

このドラマは、今のテクノロジーが社会を発展させるという道筋に対するクリティカルな疑問を投げかけている。

そもそも、テクノロジーへ希望を見出すには2つの考え方がある。

1つは、人間を悲観的にみる見方。つまり、人間が良きことをしようとすることに期待しないで、そういう内的な気持ちが湧き上がらなくても、人の行動を規制する、誘導する、という方向性でテクノロジーを使うこと。

もう一つは、そういう強制がなくても自分で良いことをしたいと思う人間を育てることに貢献しようという立場。

「ランク社会」で描かれているテクノロジーは、前者のネガティブなものだ。

ランク社会では、みんな、自分の信用スコアを上げるために、他者の顔色を伺いながら生きている。

そして、それが現実の社会が進む未来をリアルに予測していると思われる。だからやばい。

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ランク社会において、人々は、人との付き合いを食べログ的な発想で行っている。これはディストピア以外の何物でもない。

食べログを見て店を選ぶときみたいに限りなく満点に近い店を「何かちょっとおかしいんじゃないか」と考えたり、でも評価が低いところには行きたくないみたいなことが、人付き合いにおいても、普遍化する可能性がある。

日常で絶えず絶えず信用スコアを気にして生きているやつをクズだと思う感受性が我々にはある(よね?)。

絶えず信用スコアを気にしている短期的な利害だけで人を判断するコスパやろうを友達や恋人にはしたくないと思う。

これは人間的な感情であり、生物的な起源を持つものだと私は信じたい。

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ただし、ラジカルに自分の動物的な欲求を露呈させればいいというものでもない。

それを暴露すれば、ランク社会で描かれているように落ちるところまで落ちてしまう。心置きなフォーレターワードを連発できるが、果たしてそれが望む未来だったのか。

あまりにも評価が低くなるとトレーラー生活になってしまう。吹っ切れてそこに行く覚悟があるか。

もし、そこまで行けば、そこから這い上がる道はそう簡単ではないだろう。


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