ライドシェアに命とかかけずに、もっとヤバいことに命をかけたら?
とある経験豊富なビジネスパーソンが、ライドシェアビジネスに参画して起業する、という情報を見た。
これをまわりも、よ!大きいことに取り組む起業家!さすが!
みたいに祭り立てているのも見た。
が、
正直、この人が優秀な人であるなら、こんなことに力を注がない方が良い気がする。
金も持ってるみたいだから、
死ぬまで収入にならないかもしれないような課題、
例えば、クオリア解明、社会構造の変革、宇宙開発、などに生涯を注げたほうが良いのではないか?
ライドシェアのような明らかな利便性が見込まれるものなどは、金儲けがしたい承認欲求の塊に任せておけばいい。
優秀な人がこういうことをやらない理由は、やってもしょうもないからである、という視点を認識しておいてほしい。
もちろん、ライドシェアで社会の利便性が増すことは間違いないので良いことであり、グッジョブである。ただ、これをやる人には、「私は顕在化して既に一定のフォロワーが見込めそうな、ありきたいりな課題にしか取り組めないですが、これを旗振り役でやることは価値があると思うので、僭越ながらやらさせていただきます」というような視点を持つ必要がある。
ただ、優秀な人は、
もっと、社会をひっくり返すようなこと、みんなが、真の意味でワクワクするようなことにチャレンジしてみてはどうだ?
ライドシェアが達成されて、感動があるだろうか?
各個人の生、主観の視点で考えていただきたい。
ルール化された起業、売却ゲームみたいな茶番はやめて、もっと誰の顔色もうかがわない、カオスの<世界>に向き合ってみればどうか?
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