ミッションクリティカル領域における思考停止の線をどこで引くか?
原発処理水が問題になっているが、専門知識をもたない一般人はどうすればいだろうか?
以前、ホリエモンのYou Tubeで「エビデンスレベル」という概念を知った。
このエビデンスレベルとは医療分野で、研究成果を臨床に使用していいのかを判断する基準のようなものです。
正直、原発処理水の危険度について、素人が判断するのは難しい。
仮にその理論を十分に理解していたとしても、その理論が間違っている可能性もある。その間違いの可能性が0.00000001%なのか10%なのかを判定できるためには、相当な専門性がいるだろう。
また、その理論を信じるという立場をとったとしても、その理屈通りに、処理がオペレーションとして行われているか?という問題も残る。作業員が手を抜かずきちんとやるべきことをやるのか?ロボットに作業させたとしてエラーが起こる余地はあるのか?
このあたりを総合的に判断できる人がどれだけいるか?ホリエモンだってわかっていないだろう。
社会はこういう問題にどう取り組めばいいのか?
それは専門家を中心に、教養のある一般人などもまぜた議論が定期的に行われていることが重要。
正解はないから、やるかやらないかの決定プロセスに一般人がしっかり参加していることが重要。
先のようなツッコミどころを指摘し、専門家に答えさせて、専門家と素人の橋渡し役の人を交えて議論する。
そういう場があることが、社会にとって望ましい。
そうでないと、死者がでるような「実験」が大量に出るだけでなく、技術の進歩が遅くなるし、取り返しのつかない負の資産を社会に残してしまう可能性すらある。
何が必要かというと、まずは一般人の教養の引き上げだ。
先の原発処理水の問題であれば、それが安全という経済産業省の説明のロジックはとりあえず理解できる、というようなレベルの人がまず増えることだろう。
物理とか化学とか、もう一度やり直さないと。。。
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