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尊敬することの本質

楽天の大先輩、北川さんが「尊敬」について、興味深い考察をしていた。

一応、テキストでも以下

【尊敬は努力】人に対する尊敬は、自然と出てくる感情ではなく、努力である。

どういうことか!?

先日の投稿で、「尊敬」とは自然な感情だという人も多くいて、すごく意外だった。もちろんそういう側面もあるが、私の経験では、尊敬とは努力の賜物だ。

尊敬する、ということは
1. その人の生き様や行動、歴史をしっかりと見て理解すること。
2. 自分が「すごい!」と思える事柄が多く存在すること
が必要だ。

前者はその人の話を聞いたり調べたりしないとわからない。時間がかかる。

後者は自分の経験や努力がないと広がらない。サッカーをやったことがないとサッカー選手の凄さがわからない。物理を齧ったことがないとまるでノーベル物理学賞のすごさはわからない。ビジネスを理解して初めて経営者のすごさがわかる。

ものごとの価値を理解することはそれ自体がすごい大切で、努力が必要なのだ。

その価値理解を起因に他人への尊敬が生まれるので、より広い世界を知れば知るほど、本来は尊敬できる人が増える。

もちろん、ある領域に特化して鍛え上げた人は自分の矜持から、認めない!という感情が芽生えることがあるが、それは自分を認めてほしい気持ちが強く出てしまってるだけだ笑

余談:
気付いた人もいるが、感情が論理性から生まれるのは変じゃないか!?と思った人もいると思う。

論理的な理解を感情につなげて自分の行動変容を起こせることは、すごい人生の価値となる、と私は考えている。むしろこれが、人類最大のハックであるとも。

これについてはまた後日。

つまり、尊敬するためには、
1.対象を深く理解すること
2.自分の経験、知識が深いこと
という2つの条件が必要なのである。

逆にいうと、この2つの条件がないと尊敬などできるはずもない。

ある人について、表面的な理解だけで、「尊敬します!」というのが浅はかな行為であることが説明できる。

ここで、私は1つの問いを投げかけたい。

この尊敬の本質を理解すれば、
世界の80億人の人口のどの一人でも、尊敬の対象になるのだろうか?

ということ。

私としては、世界中の誰でも尊敬されるべきだと思うが、現実はそうなっていない。

一部のクソ野郎から社会のゴミとかクズとか言われうる人がいるし、さらには、社会全体から疎まれる犯罪者のような人々もいる。

彼らを救う、尊敬するロジックはありうるだろうか?

なければ、世の中は尊敬できる人とできない人にわかれることになる。

誰からも尊敬されない人ってどんな人だろうか?

働かないニート?

犯罪者?

考えてみると、そういう人たちを尊敬するのは難しそう。

では、どうするか?

どんな小さなことでも、自分の怠惰に打ち勝って、何かしら自分が価値あると思うことをやるしかない。

それが仮に、一般的な社会通念上、大したことでなくても、あなたの来歴や生まれを理解した上で考察すれば、それは尊敬に値すると言えるはず。

生きる上では、誰もが頑張っていくしかない。

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