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われわれは一生満たされることはない(ハイデガー『存在と時間』から)

われわれは一生満たされることはない。

完全にそれでもうゴールに到達したというような主観的な体験は、基本的にありえない。

なぜか?

それはハイデガー『存在と時間』を読めばわかる。

ハイデガーは、われわれのあり方(存在)を徹底して言語化した。

われわれの日々の生を内省してみると、そこには常に、「可能性」を生きる構造がある。

今を生きているが、それは、何かしら過去の把握、目の前の今、少し先の未来の可能性という3つの契機が必ずある。

今、スタバでこれを書いているが、それは、朝仕事をして、昼スタバに来て、コーヒーを味わったという過去の一定の把握があり、さらに目の前のパソコンを叩きつつ、ざわざわした人の話し声を感じつつ、さらに、少し先には家に帰ってトレーニングする、という予定という可能性を少し把握している。

この内、過去や今、未来へと焦点は変わる。集中してパソコンのタイピングをしていれば、今が強くなる。

人間の生は基本的にこういうものだ。

だから、今が楽しくても、すぐに過去や未来に意識が向かう原理的な性質がある。

だから、最強にすべてが最高みたいな状態はありえない。今が満たされても、過去は消えないし、未来はそれが失われることを想像していしまう。

部分的な読みだが、『存在と時間』を読むとこういうこともわかる。

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